2019年10月28日
聖徳太子は実在したのか?
教科書から消えつつある名前
皆さんは聖徳太子と聞いて、何を連想しますか?
僕はやはり「一万円札」に描かれた肖像画を連想しますが、これを最初に思い出す世代は何歳くらいからでしょうか?(笑)
一万円札に描かれた肖像画といえば福沢諭吉がもうすっかり定着して、次は渋沢栄一に代わることまで決まってますからね。
それと、『日出処の天子』(山岸凉子 作)という聖徳太子と蘇我蝦夷(そがのえみし)が主人公の漫画を友人から見せてもらって一時期ハマったことがありました。
そんな中高年以上の日本人であれば誰でも知っているだろう思われる聖徳太子の名を、知らない若い世代が増えてきているのをご存じですか?
その理由は、聖徳太子の名が歴史の教科書から徐々に消えてきているからです。
最近の教科書では聖徳太子のことを厩戸皇子(うまやどのおうじ)と記載しており、(伝・聖徳太子)のような注釈が入っているものはあっても、「聖徳太子」を正式な名称として記載している教科書は現在ほぼありません。
何しろ1400年以上前に活躍した人物ですから、近年の歴史研究によって解釈が変化してきたのですが、聖徳太子が行なった数々の政策にも疑問符を付ける学者が多いのです。
というわけで、今回は様々な謎に包まれた聖徳太子について語りたいと思います。
数々の超人伝説
聖徳太子(厩戸皇子) 574年〜622年(※「大化」以前で元号なし)
聖徳太子は父・用明天皇、母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の間に生まれましたが、出生時から様々な伝説があります。
母は夢の中で救世観音が口の中に飛び込んだ後に身籠ったといい、厩の前で出産したので「厩戸皇子」と名付けられました。
太子は幼少期から聡明で、5歳の時には一日で数千字を覚え、6歳では既に経文を読み始めたといわれます。
さらに、太子が12歳の時、朝鮮半島から日羅(にちら)という僧侶が来日し、太子を一目見るなり「この方は救世観音の化身である」と言って深く礼拝したといいます。
そして、太子の伝説で最も有名なのが、10人の話を一度に聞き、全ての話を正確に理解した上でそれぞれに的確なアドバイスをしたという逸話ですね。
この話は豊聡耳(とよさとみみ)といわれ、太子の常人離れした能力を物語る逸話です。
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政策の疑問点
太子にまつわる伝説の多くは後世に創作された逸話であろうと思われますが、次に彼が行なった様々な政策についての疑問点を見ていきます。
・冠位十二階(603年)
氏姓制度による門閥主義(生まれながらの家柄だけで身分が決まってしまうこと)を排除し人材の登用を目指した政策ですが、『日本書紀』には太子が制定したとは書かれておらず、この政策の中心人物は太子ではなく蘇我馬子だったのではないかという説があります。
その理由として、冠位十二階は朝鮮半島の制度を模して作られましたが、当時、朝鮮半島からの渡来人との関わりに不可欠な政治家が馬子だったからです。
・憲法十七条(604年)
役人に守るべき道徳と従うべき規律を説き、政治家としての心構えなどを定めた法律ですが、その中に書かれている「国司」という官職は憲法十七条が制定された時点では存在しない官職なのです。
この時代に存在しない官職が記載されていることから、憲法十七条は太子が制定したのではなくもっと後の時代に制定されたものではないかとの見方もあります。
・仏教の奨励
太子は積極的に仏教を奨励し、自らも『三経義疏』(さんぎょうのぎしょ)という、法華経・維摩経・勝鬘経の三経典を注釈した本格的な仏典研究書を書いたとされますが、これも『日本書紀』には太子が著したとは一言も書かれていないのです。
また、太子が建立したとされる世界最古の木造建築として有名な法隆寺にしても、太子が建立したという確実な史料がないのです。
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本当は実在しなかった !?
上記のように、ちょっと空想染みた伝説や政治家としての業績にも疑問点が多いことから、聖徳太子という存在自体に疑問を抱く向きもあります。
あの髭を生やして笏を手にした有名な肖像画にしても、その衣装からして百年近く後の奈良時代のものと思われることから、実物ではなく想像で描かれた人物画ではないかといわれています。
太子の存在に疑問を抱くようになった理由の一つとして考えられるのは、古来より日本にある太子を宗教的に崇拝する“聖徳太子信仰”です。
その中で太子の様々な伝説が形成されていったと考えられるのですが、あまりにもその人物像が美化され聖人扱いされ過ぎたため、逆にその存在自体までもが疑われてしまったのでしょう。
結論としては近年の教科書が示す通り、厩戸皇子という政治家は確かに実在したが、厩戸皇子が数々の伝説に彩られた聖徳太子と完全に同じ存在だと考えて欲しくはない、といったところですね。
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まとめ
- 聖徳太子は出生時から様々な伝説に包まれた人物
- 聖徳太子が行なった政策には多くの疑問点が残されている
- 聖徳太子には装飾された伝説が多いので、事実のみを記載しなければならない教科書には厩戸皇子の名を使用するようになったと思われる
大阪には太子にちなんだ地名があることを紹介した10月7日付のブログもご覧になってみて下さい。
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