2019年09月01日
地震大国・日本を考える日
9月1日は防災の日
小中学生にとって、9月1日は憂鬱な気持ちを抱えたまま学校の始業式に向かうのが毎年の定番ですが、今年は日曜日なので多少は気分が和らぎますね。
9月1日は学校の始業式であるのと同時に防災の日ということで避難訓練が行われます。
これが9月1日の憂鬱を多少なりとも紛らわせてくれたものですが、今年のように9月2日が始業式の場合、避難訓練は学校でやるのでしょうか?
9月1日が防災の日になった理由は、ご存じの通り関東大震災に由来しますが、2011年の東日本大震災や、地球温暖化による異常気象の影響もあり、昨今は防災について世の中の関心が高まっている傾向にあります。
今回は96年前に起きた関東大震災の全容について語りたいと思います。
首都圏を襲った未曾有の大地震
大正十二年(1923年)9月1日午前11時58分、相模湾北西部を震源としたマグニチュード7.9の大地震が発生しました。
これが関東大震災です。
この地震では主に東京・神奈川・千葉の南関東の被害が大きく、特に東京・横浜の大都市が壊滅的な打撃を受けたため、東京と横浜を結ぶ京浜工業地帯が完全にマヒ状態となり、日本経済はパニックに陥りました。
この地震による死者・行方不明者は10万5千人を超え、建物の全壊と全焼失は合わせて32万戸以上、被害総額は60億円(当時)を超えるものとなってしまいました。
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朝鮮狩りと虐殺事件
震災による混乱の中、「朝鮮人が暴動を起こした」というデマが飛び交い、混乱に更なる拍車がかかってしまいます。
これに対し、震災の翌日に組閣した山本権兵衛内閣は戒厳令(非常事態に際し軍隊に治安維持の権限を与える)を発令しましたが、この軍隊の不穏な動きがむしろデマの信憑性を増してしまいます。
市民は自警団をつくり関東全域で大規模な朝鮮人狩りを行なった結果、数千人の朝鮮人と数百人の中国人を殺害してしまいました。
明治四十三年(1910年)の日韓併合以来、多くの朝鮮人が日本に連れてこられたことの影響もありました。
一方で混乱のどさくさに紛れて、亀戸警察署で平沢計七ら10人の労働運動指導者が軍隊に殺害(亀戸事件 9月3日)されたり、無政府主義者の大杉栄が憲兵大尉の甘粕正彦に殺害(甘粕事件 9月16日)されるといった、政府が裏で糸を引いていたと思われる社会主義運動の弾圧事件もありました。
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なぜ甚大な被害が出てしまったのか?
大震災と聞くと建物等の倒壊によるダメージを想像しますが、実は震災の被害にはそれぞれの特徴があるのです。
例えば、平成七年(1995年)に発生した阪神淡路大震災では建物の倒壊による圧死が死者の大部分を占めたのに対し、平成二十三年(2011年)の東日本大震災では津波による溺死が圧倒的に多かったのです。
それでは、この関東大震災において死者の大部分を占めた原因は何か?
それは、火災による焼死です。
関東大震災の総死者数約10万5千人のうち、実に9万人以上が火災により焼死したのです。
火災が広がった原因として、当時日本海沿岸を北上していた台風からの強風が関東地方に吹き込んだため、地震で倒壊した建物から出火した火が強風に煽られ広範囲に延焼し、特に木造住宅が密集していた東京や横浜の街を焼き尽くしてしまったと考えられています。
しかし、この大火災で街が壊滅状態になったことを契機に大規模な都市復興が始まります。
それまでの入り組んだ狭い道が広くまっすぐな舗装道路に整備され、木造住宅が耐震耐火に優れた鉄筋コンクリートのビルに次々と生まれ変わるなど、進化した大都市へと変貌を遂げていきます。
まとめ
- 関東大震災は東京・横浜を中心に10万5千人以上死者行方不明者を出した
- 震災の混乱に乗じて朝鮮人が大量に殺されたり社会主義者が虐殺された
- 被害が拡大した原因は強風に煽られた都市部の大火災
東日本大震災の被害を大きく上回ると予想される南海トラフ地震が今後30年以内に発生する確率は70%以上ともいわれています。
地震列島・日本に住む限り、地震への備えは誰しもに必要といえますね。
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