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2023年11月28日
暇なので行ってみた。(城)【中津城】
中津城(なかつじょう)
大分県中津市二ノ丁本丸
(行った日:2023/10/29)
旧諭吉邸の他に黒田孝高(官兵衛)が1588年(天正16年)に築城した中津城に行ってみました。
(〃>目<)にっくき黒田め〜!!
(︶^︶)どんな手を使っても、勝てばよいのです。
(︶^︶)なぜなら修羅の時代(戦国の世)だから!!
φ(゜▽゜*)♪こんな詩(うた)が残ってます。
「にくきかな〜!にっくき黒田!にくきかな〜!」
(╬▔皿▔)╯変な嘘をつくな!!
(╬▔皿▔)╯しかもなんだこの詩は!!
(╬▔皿▔)╯嘘でももうちょいマシな詩つくれや〜!!
இ௰இ平気な顔して嘘つけるようになって、、、!
இ௰இ大人になりましたな〜!!
(╯‵□′)╯︵┻━┻これが大人なら、、、ガキで結構!!!
豊前宇都宮氏(城井氏)のゆかりの地も行ってます。
⇒(https://fanblogs.jp/freeblog001/archive/49/0)
中津城に入ると奥平家の歴史資料などが展示されており、登った先にある景色です。
町側と海側を撮っておきました。
ちなみに、中津城は
1588年(天正15年)黒田官兵衛孝高により築城
1600年(慶長5年)細川忠興入城
1632年(寛永9年)小笠原長次入城
1717年(享保2年)奥平昌成入城
1871年(明治4年)廃城
てな感じの歴史です。
(o゜▽゜)o☆中津城近くには主に3つの神社があります。
(o゜▽゜)o☆奥平神社(おくだいらじんじゃ)、
(o゜▽゜)o☆中津大神宮(なかつだいじんぐう)、
(o゜▽゜)o☆城井神社(きいじんじゃ)
御神祭
奥平貞能(おくだいら さだよし)
奥平信昌(おくだいら のぶまさ)
奥平家昌(おくだいら いえまさ)
この三人は1561年(永禄3年)から1619年(慶長19年)に至る58年間幾多の戦功を立て、徳川に忠義を尽くしてきました。
特に2代目の信昌は初代京都所司代として凶賊から民衆を守り、人々から義勇と武功を称えられ、神格化!!!
(o゜▽゜)o☆おみくじ引くとかわいい巫女さんが、、、
(o゜▽゜)o☆くじを運んでくれます。
ご神祭
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
(o゜▽゜)o七五三の時期だったので、看板が、、、!
(o゜▽゜)o衣装を着た人は見ませんでしたが、、、!
(o゜▽゜)o他に、、、
(o゜▽゜)o境内末社として扇城神社があり、
(o゜▽゜)o宇都宮鎮房の従臣45柱が祭られています。
奥平神社、、、「大吉」(写真Eー1)
中津大神宮、、、「大吉」(写真Eー2)
(o゜▽゜)oどちらも大吉!!!
(o゜▽゜)o今年も後2か月あまり、、、いい事あります。
(o゜▽゜)oと、、、思ってた方が幸せなので、、、
(o゜▽゜)oそう思っておこ〜と!!!
※おみくじを引いた日からの月数を書いています。
今回訪問した場所はお金がかかります。
福沢諭吉旧居(9:00〜17:00)
中津城(9:00〜17:00)
中津歴史博物館(9:00〜17:00)
の共通観覧券で700円!!!
(o゜▽゜)o共通観覧券買った方が「お・と・く」です。
(o゜▽゜)o行ってませんが、
「中津市木村記念美術館」
「村上医家史料館」
「大江医家史料館」
の割引券もついています。
では、読んで頂きありがと。また、よろしく。
ーーーー追伸
(๑•̀ㅂ•́)و✧ごちゃ、ごちゃ言われようが、、、
(๑•̀ㅂ•́)و✧僕の知識欲を満たすためには、、、
(๑•̀ㅂ•́)و✧行くしかない!!!中津歴史博物館に!!!
と思い大分県中津市の歴史や出土品を見学させて頂きました。
行った時には企画展で長谷川義史(はせがわ よしふみ)絵本原画展が開かれていました。
(๑•̀ㅂ•́)و✧初めて知り、初めて原画を見させて頂きました。
(๑•̀ㅂ•́)و✧独特なインパクトのある絵でした。
博物館の中にカフェがあったので、記念に「耶⾺茶わらび餅」を食って博物館を後にしたのでした。。。
(๑•̀ㅂ•́)و✧美味しかったです。。。
大分県中津市二ノ丁本丸
(行った日:2023/10/29)
旧諭吉邸の他に黒田孝高(官兵衛)が1588年(天正16年)に築城した中津城に行ってみました。
中津城です。 豊前宇都宮氏が黒田長政により殺された地でもあります。 |
(〃>目<)にっくき黒田め〜!!
(︶^︶)どんな手を使っても、勝てばよいのです。
(︶^︶)なぜなら修羅の時代(戦国の世)だから!!
φ(゜▽゜*)♪こんな詩(うた)が残ってます。
「にくきかな〜!にっくき黒田!にくきかな〜!」
(╬▔皿▔)╯変な嘘をつくな!!
(╬▔皿▔)╯しかもなんだこの詩は!!
(╬▔皿▔)╯嘘でももうちょいマシな詩つくれや〜!!
இ௰இ平気な顔して嘘つけるようになって、、、!
இ௰இ大人になりましたな〜!!
(╯‵□′)╯︵┻━┻これが大人なら、、、ガキで結構!!!
豊前宇都宮氏(城井氏)のゆかりの地も行ってます。
⇒(https://fanblogs.jp/freeblog001/archive/49/0)
中津城に入ると奥平家の歴史資料などが展示されており、登った先にある景色です。
町側と海側を撮っておきました。
ちなみに、中津城は
1588年(天正15年)黒田官兵衛孝高により築城
1600年(慶長5年)細川忠興入城
1632年(寛永9年)小笠原長次入城
1717年(享保2年)奥平昌成入城
1871年(明治4年)廃城
てな感じの歴史です。
(o゜▽゜)o☆中津城近くには主に3つの神社があります。
(o゜▽゜)o☆奥平神社(おくだいらじんじゃ)、
(o゜▽゜)o☆中津大神宮(なかつだいじんぐう)、
(o゜▽゜)o☆城井神社(きいじんじゃ)
奥平神社です。 |
御神祭
奥平貞能(おくだいら さだよし)
奥平信昌(おくだいら のぶまさ)
奥平家昌(おくだいら いえまさ)
この三人は1561年(永禄3年)から1619年(慶長19年)に至る58年間幾多の戦功を立て、徳川に忠義を尽くしてきました。
特に2代目の信昌は初代京都所司代として凶賊から民衆を守り、人々から義勇と武功を称えられ、神格化!!!
(o゜▽゜)o☆おみくじ引くとかわいい巫女さんが、、、
(o゜▽゜)o☆くじを運んでくれます。
中津大神宮です。 |
ご神祭
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
(o゜▽゜)o七五三の時期だったので、看板が、、、!
(o゜▽゜)o衣装を着た人は見ませんでしたが、、、!
城井神社 ご神祭 宇都宮(城井)鎮房 (うつのみやしげふさ) |
(o゜▽゜)o他に、、、
(o゜▽゜)o境内末社として扇城神社があり、
(o゜▽゜)o宇都宮鎮房の従臣45柱が祭られています。
奥平神社、、、「大吉」(写真Eー1)
中津大神宮、、、「大吉」(写真Eー2)
(o゜▽゜)oどちらも大吉!!!
(o゜▽゜)o今年も後2か月あまり、、、いい事あります。
(o゜▽゜)oと、、、思ってた方が幸せなので、、、
(o゜▽゜)oそう思っておこ〜と!!!
※おみくじを引いた日からの月数を書いています。
今回訪問した場所はお金がかかります。
福沢諭吉旧居(9:00〜17:00)
中津城(9:00〜17:00)
中津歴史博物館(9:00〜17:00)
の共通観覧券で700円!!!
(o゜▽゜)o共通観覧券買った方が「お・と・く」です。
(o゜▽゜)o行ってませんが、
「中津市木村記念美術館」
「村上医家史料館」
「大江医家史料館」
の割引券もついています。
では、読んで頂きありがと。また、よろしく。
ーーーー追伸
(๑•̀ㅂ•́)و✧ごちゃ、ごちゃ言われようが、、、
(๑•̀ㅂ•́)و✧僕の知識欲を満たすためには、、、
(๑•̀ㅂ•́)و✧行くしかない!!!中津歴史博物館に!!!
と思い大分県中津市の歴史や出土品を見学させて頂きました。
行った時には企画展で長谷川義史(はせがわ よしふみ)絵本原画展が開かれていました。
(๑•̀ㅂ•́)و✧初めて知り、初めて原画を見させて頂きました。
(๑•̀ㅂ•́)و✧独特なインパクトのある絵でした。
博物館の中にカフェがあったので、記念に「耶⾺茶わらび餅」を食って博物館を後にしたのでした。。。
(๑•̀ㅂ•́)و✧美味しかったです。。。
2023年11月07日
暇なので行ってみた。(家)【福沢諭吉旧居】
福沢諭吉旧居(ふくざわゆきちきゅうきょ)
大分県中津市留守町586番地
(行った日:2023/10/29)
大分県中津市に野暮用があったので、行ったついでに、、、
あの、一万円札の人物で有名な、、、福沢諭吉が住んでいた家
に行ってきました。
(๑•̀ㅂ•́)و✧一万円札になっていなくても、
(๑•̀ㅂ•́)و✧有名だと思いますが!!
やはり、「高度知的生命体」と思われるための実績作りのため、
たまにはこんな所に行かなければ、、、
(๑•̀ㅂ•́)و✧真実性が損なわれる
と思い訪問することとしました。
(╬▔皿▔)╯ちょっと待て!!実績がある事は大切!!
(╬▔皿▔)╯しかし、、、気持ちも大切!!
ただ、、、「人に認めてもらいたい」と言う承認欲求を満たすため、もしくはお金のために動き、うわべだけの体験をし、話す奴がいますが、
きれい事を言っても行動がともなっていなければ、薄っぺらな言葉としかならないように、、、
「行動を起こすための気持ち」
も大切な事だと思います!!
(๑•̀ㅂ•́)و✧ちなみに、、、
(๑•̀ㅂ•́)و✧僕は承認欲求を満たすために動いています。
福沢諭吉は1835年1月10日大阪堂島の玉江北詰にある中津藩蔵屋敷で福沢百助の次男として生まれました。1836年父百助が死亡し、母子6人とともに中津に帰郷。
19歳の時長崎を遊学、蘭学をお勉強!!のちに儒学者白石照山の塾で学びました。
その後、、、
(@^0^)刺客にねらわれたり、
(@^0^)慶応義塾の起源の蘭学塾開いたり、
(@^0^)渡米したり、
(@^0^)ヨーロッパ行ったり、
(@^0^)いろいろあって、その経験から、、、
「西洋事情」「学問のすゝめ」「文明論之概略」などを発表し隔絶されていた日本人を啓蒙したのでした。
こんな家(写真Aー1)に住んでたみたいです。
2階の窓辺でお勉強していた土蔵(写真Aー2)です。
福沢家の家紋は3種類あるみたいですが、これは定紋(写真Cー1)です。
ハート型をした窓(写真Cー2)なのでしょうか?分かりませんが、、、ハート型をしています。
Σ(っ °Д °;)っこ、この頃には、もう、、、
Σ(っ °Д °;)っハート型が流行っていました。
(@^0^)昔の人は時代を先取りしてますわ〜!!
注)流行っていたのかどうかは定かではありません!
母、お順はその女性の虱を取り諭吉に石の上で潰させて、虱を取らせてもらったお礼に握り飯を女性にあげるのでした。
(@^0^)心のお優しいお母上様ですね。
話は変わりますが、福沢諭吉の「学問のすゝめ」の中に
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
と言う言葉があります。
平等性を説いたものみたいですが、礼儀やマナーをなくせと説いたものではないと思います。
もう一つ、「独立自尊」
独立自尊とは、「自他の尊厳を守り、自分の判断や責任で行動を起こす」と言う意味。
自分の尊厳ばかり守っている人たち、、、
行動や判断に責任を取れない人たち、、、
自分の行動や判断に責任を持ち、、、それが他人に実質的に迷惑なら責任をとりましょう!!
(๑•̀ㅂ•́)و✧ちなみに、本は読んだ事ありません。
新たに何かを成そうとする場合、他人に迷惑になる事があります。
暗殺されそうになる事、それは、暗殺しようとする側にとっては迷惑な行為をし、邪魔な存在なのです。
どのくらいの規模で何を成そうとするかにもよりますが、、、
強い決意と意思をもっていなければ成すことはできません。
次回もまた読んで下さい。よろしく!!!
大分県中津市留守町586番地
(行った日:2023/10/29)
大分県中津市に野暮用があったので、行ったついでに、、、
あの、一万円札の人物で有名な、、、福沢諭吉が住んでいた家
に行ってきました。
(๑•̀ㅂ•́)و✧一万円札になっていなくても、
(๑•̀ㅂ•́)و✧有名だと思いますが!!
やはり、「高度知的生命体」と思われるための実績作りのため、
たまにはこんな所に行かなければ、、、
(๑•̀ㅂ•́)و✧真実性が損なわれる
と思い訪問することとしました。
(╬▔皿▔)╯ちょっと待て!!実績がある事は大切!!
(╬▔皿▔)╯しかし、、、気持ちも大切!!
ただ、、、「人に認めてもらいたい」と言う承認欲求を満たすため、もしくはお金のために動き、うわべだけの体験をし、話す奴がいますが、
きれい事を言っても行動がともなっていなければ、薄っぺらな言葉としかならないように、、、
「行動を起こすための気持ち」
も大切な事だと思います!!
(๑•̀ㅂ•́)و✧ちなみに、、、
(๑•̀ㅂ•́)و✧僕は承認欲求を満たすために動いています。
福沢諭吉は1835年1月10日大阪堂島の玉江北詰にある中津藩蔵屋敷で福沢百助の次男として生まれました。1836年父百助が死亡し、母子6人とともに中津に帰郷。
19歳の時長崎を遊学、蘭学をお勉強!!のちに儒学者白石照山の塾で学びました。
その後、、、
(@^0^)刺客にねらわれたり、
(@^0^)慶応義塾の起源の蘭学塾開いたり、
(@^0^)渡米したり、
(@^0^)ヨーロッパ行ったり、
(@^0^)いろいろあって、その経験から、、、
「西洋事情」「学問のすゝめ」「文明論之概略」などを発表し隔絶されていた日本人を啓蒙したのでした。
こんな家(写真Aー1)に住んでたみたいです。
2階の窓辺でお勉強していた土蔵(写真Aー2)です。
中身はこんな感じ!! 6畳くらいの部屋が4部屋!! |
福沢家の家紋は3種類あるみたいですが、これは定紋(写真Cー1)です。
ハート型をした窓(写真Cー2)なのでしょうか?分かりませんが、、、ハート型をしています。
Σ(っ °Д °;)っこ、この頃には、もう、、、
Σ(っ °Д °;)っハート型が流行っていました。
(@^0^)昔の人は時代を先取りしてますわ〜!!
注)流行っていたのかどうかは定かではありません!
虱(しらみ)取り石です。 諭吉が子供の頃、髪はボウボウ、着物はボロボロの女性がいました。 |
母、お順はその女性の虱を取り諭吉に石の上で潰させて、虱を取らせてもらったお礼に握り飯を女性にあげるのでした。
(@^0^)心のお優しいお母上様ですね。
話は変わりますが、福沢諭吉の「学問のすゝめ」の中に
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
と言う言葉があります。
平等性を説いたものみたいですが、礼儀やマナーをなくせと説いたものではないと思います。
もう一つ、「独立自尊」
独立自尊とは、「自他の尊厳を守り、自分の判断や責任で行動を起こす」と言う意味。
自分の尊厳ばかり守っている人たち、、、
行動や判断に責任を取れない人たち、、、
自分の行動や判断に責任を持ち、、、それが他人に実質的に迷惑なら責任をとりましょう!!
(๑•̀ㅂ•́)و✧ちなみに、本は読んだ事ありません。
新たに何かを成そうとする場合、他人に迷惑になる事があります。
暗殺されそうになる事、それは、暗殺しようとする側にとっては迷惑な行為をし、邪魔な存在なのです。
どのくらいの規模で何を成そうとするかにもよりますが、、、
強い決意と意思をもっていなければ成すことはできません。
次回もまた読んで下さい。よろしく!!!