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2022年12月31日

暇なので行ってみた。(岩窟)【青の洞門】

青の洞門(あおのどうもん)
大分県中津市本耶馬渓町樋田・曽木
(行った日:2022/12/2)

収容所から先月に引き続き、またしても、自由時間を頂きました。

(●ˇ∀ˇ●)収容所の所長に渡したかいがありました。

(●ˇ∀ˇ●)賄賂!!!

(●ˇ∀ˇ●)悪い事と知りつつ喜んで受け取って頂き、、、

m( _ _ )mありがとうございます。

(●ˇ∀ˇ●)看守様は心良く自由時間を下さいました。

(︶^︶)うむ、うむ、なんと人間らしい人間じゃ!!

(●ˇ∀ˇ●)金をつかますとスムーズですな〜!!

(●ˇ∀ˇ●)賄賂じゃないっすよ、寄付っす。

(︶^︶)嘘はいかんな〜!!

(︶^︶)このような事がばれれば、、、警察!

(︶^︶)バレにくい受け渡し方を伝授しましょう!

(︶^︶)パチ屋を使うのが一番ですな〜!

(︶^︶)世の中お金なんで〜

(︶^︶)店長にお金を掴ませとけば、、、協力は必然!

(︶^︶)後はお口が固ければ、、理想!!

注)賄賂を渡す事もこのような寄付をする事もありません。

※まともに運営しているパチ屋の方はすいません。しかし、疑念は払拭できず、、、!

こんな事はさておき、、、

どこに行こうか模索した結果、鯉に餌をあげようと思い「青の洞門」に行ってきました。せっかく耶馬渓まできたので、時期は少し遅くなりましたが紅葉も見てきました。

「青の洞門」は大正8年(1919)に発表された菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」で一躍有名になったようです。

写真@ー1、写真@ー2
IMG_1612j2.jpgIMG_1612j.jpg

o(*≧▽≦)ツ┏━┓ちょっと、能書きを、、、!

江戸時代に始まった灌漑(かんがい)用水路の建設により、青の洞門がある山国川の水がせき止められ、川の水位があがりました。そのため、通行人は競秀峰の岸壁に作られた鉄の鎖を命綱にして大変危険な道を通っていました。

享保20年(1735)に越後(新潟県)の禅海和尚が諸国巡礼の旅の途中、耶馬渓へ立ち寄り、危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、同年、資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、寛永3年(1750)には第一次落成式が行われ、人は4文(約80円)、馬は8文(約140円)の通行料を徴収し、日本初の有料道路とも言われています。

30年余り経った明和元年(1764)、全長342メートル(うちトンネル部分は144メートル)の洞門が完成しました。

明治39年(1906)から翌年にかけて行われた大改修で大部分が原型を破壊されたと言われています。残っているのは、トンネル内の一部に明かり採り窓などの手掘り部分だけだそうです。

写真Aー1、写真Aー2
IMG_1616j.jpgIMG_1615j.jpg


現在は入り口(写真Aー1)がこんな感じで、最初に明けたあかり窓(写真Aー2)が残っています。

写真B
IMG_1614j.jpg



写真C
競秀峰と山国川。

(⊙ˍ⊙)記憶によれば、、、

IMG_1622j.jpg

(⊙ˍ⊙)手前の川に鯉がたくさんいたのですが、、、

ಥ_ಥ川には一匹も鯉がいませんでした。

(#`-_ゝ-)売ろうとする奴が持ってくからじゃね〜?

( •_•)>⌐■-■鯉を持ってくな!

(╯‵□′)╯︵┻━┻鯉に餌あげれなくなるわ〜!!!

(#`-_ゝ-)もしくは冬だからなのか?

※管理しているのだと思いたいです。

写真Dー1、写真Dー2
IMG_1625j.jpgIMG_1626j.jpg

大正5年(1916)に実業之日本社が日本新三景を全国に募り、選ばれたのが、、、

( •̀ ω •́ )y九州耶馬渓、北海道大沼公園、三保の松原。

その時の石碑が写真Dー2です。

奥にいくと競秀峰探勝道にはいります。

すべて回っている時間がないので、妙見窟だけ行ってきました。

写真E
IMG_1627j.jpg登山道の階段があること、、、




(❁´◡`❁)なんて幸せなんだ。

こんな小さな幸せをかみしめながら登りました。

写真F
╰(*°▽°*)╯見えた〜妙見窟

IMG_1629j.jpg

10分程度の山道でしたが、やっぱ、きついですね!

写真Gー1、写真Gー2
IMG_1631j.jpgIMG_1636j.jpg

妙見窟には小さな社(やしろ)と禅海?みたいな像がありました。

写真H
IMG_1633j.jpg見晴らしよくな〜い。



写真I
IMG_1640j.jpg首がない!!

たくさんの人が観光に来てくれるのはいいのですが、こんなものが増えるのは嫌ですよね〜!


(╬▔皿▔)╯かわいがられすぎですね!

(╬▔皿▔)╯「なで、なで」「なで、なで」、、🔁

(╬▔皿▔)╯「なで、なで」「なで、なで」、、🔁

(╬▔皿▔)╯首が取れちゃった〜!!

(╬▔皿▔)╯首を持っていった奴返しなさい。

( ̄▽ ̄)"マナーは守りましょう!

鯉が一匹もいなかった事は残念ですが、久々に「青の洞門」にいきました。
競秀峰の景観も良かったですね。気が向いたら行ってみて下さい。

次回は少し紅葉が残っていた所です。

よければ、読んで下さい。よろしく!!




posted by 馬場栄一 at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩窟

2022年12月05日

暇なので行ってみた。(公園)【仲哀公園】

仲哀公園(ちゅうあいこうえん)
福岡県京都郡みやこ町〜田川郡香春町
(行った日:2022/11/10)

豊前国分寺でお経も上げてもらい仏の力を借りて、仲哀公園に行ってきました。

仲哀公園がある場所を仲哀峠といい、仲哀峠を登って行くと旧仲哀トンネルがあります。

その昔、仲哀天皇の突然死や殺人事件などもあいまって、今では心霊スポットにもなっているようです。

そういうの縁起をかつぐ方なので、無念の魂が眠る所を土足で踏み入るようなまねはできません。
(殺されたのだから「無念だろう」と言う自分の思いです)

一応の礼儀は忘れずに訪問したつもりです。

( •̀ ω •́ )y仲哀天皇の方は突然死なのか、

( •̀ ω •́ )y暗殺や謀略によって死んだのかは、

( •̀ ω •́ )y分かりません。

写真@
IMG_1552j.jpg旧仲哀トンネル入り口です。

明るい時間ではありましたが、雰囲気はありました。


仲哀トンネルは京都郡みやこ町と田川郡香春町をつなぐ全長約432mのトンネルです。明治17年(1884)に工事が開始され、明治23年(1890)に完成しました。

森鴎外が(明治34年 1901)に小倉陸軍に所属していたため演習のため仲哀隧道(旧仲哀トンネル)を通りました。その時読んだ句が、

「雨に啼く鳥は何鳥若葉陰」(あめになくとりはなにどりわかばかげ)

こんな句です。

( •̀ ω •́ )yせっかく来たので、、、

( •̀ ω •́ )yトンネルの中にも入ってきました。
※立入禁止で「こんなの公開して目に付いたら怒られるかな〜」と思いながら、、、

( •̀ ω •́ )✧やっぱり書きます。

写真A
IMG_1541j.jpg入ってすぐは岩のゴツゴツ感がたまらな〜い場所です。


( •̀ ω •́ )y少し進むと、、、

突然、、、!!!!!「ぎゃー、ぎゃー」と何かの声が、、、

ฅฅ°́Д°̀))ドキっ!!


写真B
私の推理が正しければ、犯人はコイツです(赤丸内)。

( •̀ ω •́ )y鳥でした。

ฅฅ°́Д°̀))びっくりさせんな!!

IMG_1550j.jpg

動画を撮りながら進んだのですが、、、

トンネルの途中で写真を撮ろうと動画を止めて、、、

前方を見ようとスマホから目をはなし、、、

スマホに目を戻した瞬間

(((٩(๏Д⊙`)۶)))ドキッ!!

反転して自分の顔が写っていました。

ฅฅ°́Д°̀))何回もびっくりさせんな!!

反転ボタンに手が触れていたんでしょうね!!

( •̀ ω •́ )y操作は正確に!!

写真C
IMG_1545j.jpg進んでいると、岩のゴツゴツした所はなくなり、コンクリで固められていました。

写真Cは反対側からの写真です。


反対側の入り口は、、、

写真D
夕日がきれいでした。

IMG_1544j.jpg

仲哀公園は、こんな感じです。

写真Eー1、Eー2
IMG_1554j.jpgIMG_1553j.jpg

道の両脇には桜が1000本くらい植えてあり、桜がきれいです。

見晴らしも良いです。

写真F
IMG_1578j.jpg田舎の町の夜景なので、派手さはありませんが、夜景も見れます。

トンネル内はちょっとですが落石の跡も見られたので崩落の危険もありますね。何かあった場合はすべて自己責任です。

仲哀公園の桜も開花時期になれば、きれいな場所なんですが、いわくつきなのでもったいない場所だなと思います。

興味本位で行って荒らして帰るのはご法度ですね。

精神的に嫌でなく、マナーを守れるような人なら行ってみて下さい。

また次回もよければ読んで下さい。よろしく!!
posted by 馬場栄一 at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 公園

2022年12月04日

暇なので行ってみた。(寺)【豊前国分寺】

豊前国分寺(ぶぜんこくぶんじ)
福岡県みやこ町国分304
(行った日:2022/11/10)

収容所からめずらしく自由時間を頂いたので、何をしようか模索した結果、近くの寺に行ってきました。

m( _ _ )m看守様〜、ありがとうございます。

(︶^︶)よい、よい!

写真@
IMG_1515j.jpg高野山 真言宗 金光明山 豊前 国分寺の門です。


( •̀ ω •́ )y少し、御託を並べてみたいと思います。

国分寺は奈良時代に741年 聖武天皇の勅願で全国の国ごとに設置された僧寺と尼寺の二院制の国立寺院です。

735年頃から天然痘(疫病)や食料の不作が続き、740年には大宰府で藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)が反乱を起こしました。

こうした疫病、不作、反乱などの社会不安を仏の力(金光明景勝王経と鎮護国家思想)で取り除こうとしました。

(︶^︶)仏の力を信じるのです。

(︶^︶)破戒僧ばかりではないのです。

(︶^︶)力が均衡しているものは、、、

(︶^︶)やはり、最後は、、、気合と根性!心の強さ!

(︶^︶)ここにたどり着けない奴は、、、

(︶^︶)まだまだ、未熟、、、!

(╯‵□′)╯︵┻━┻修行しなおしてこ〜い。

国ごとに国分僧寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)を建立し、僧寺には七重塔をつくり20人の僧を置き、尼寺には10人の尼を置くことが定められました。

僧寺の伽藍(がらん)は南門、中門、塔、金堂、講堂、鐘楼、回廊などが南を正面にして216m四方の寺域に配置され、尼寺はやや規模が縮小されたサイズだったようです。

奈良時代後半から衰退がはじまり、豊前国分寺は命脈を保ち天正年間(1573年〜1591年)に大友宗麟によってすべてが焼き払われたと伝えられています。

江戸時代になって復興が始まり元禄年間(1688年〜1703年)には塔を除く主要建物が完成しました。明治28年(1895年)に三重の塔が完成し、昭和60年(1985年)から2年間の改修工事(〜昭和62年)を経て現在に至っています。

写真A
IMG_1500j.jpg三重の塔です。

二段目の塔の梁に12星座が彫られているらしいです。



写真B
こんな感じで、12星座あります。

これは、蟹です。

IMG_1523j.jpg

( •̀ ω •́ )y分かる星座は分かるんですが、、、

写真Cー1、写真Cー2
IMG_1527j.jpgIMG_1526j.jpg

( •̀ ω •́ )y消却法で、、、多分、、、

( •̀ ω •́ )y乙女座(写真Cー1)と双子座(写真Cー2)だと思います。
※間違ってたらごめ〜んね!

(╬▔皿▔)╯よ〜分からん!!

( •̀ ω •́ )yもうちょっと、分かりやすくして欲しいですね!

( •̀ ω •́ )y判定がムズい奴がまだいます。

他にこんなのもあります。

写真D
IMG_1513j.jpg弘法大師が救済のため諸国行脚している様です。



写真E
十三仏。
亡くなった人の供養に用いられます。

IMG_1537j.jpg

初七日 不動明王、二十七日 釈迦如来・・・など決まっているようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E4%BB%8F

詳しく知りたけりゃこれ見て!!人差し指サイン

写真F
IMG_1498j.jpg国分寺跡公園です。


( •̀ ω •́ )y掃除も草刈りもされて、きれいな公園でした。

写真G
案内所と資料館があったので、訪問しました。

「高度知的生命体」と思われるための実績作りを目論んでいる筆者としては、、、

IMG_1502j.jpg

訪問せざるを得ない!!

( •̀ ω •́ )y堅実に実績を積んでいますね。

大きくはないですが出土品なんかを見学できます。

写真H
IMG_1512.JPEG本堂です。


φ(゜▽゜*)♪住職の方にお参りさせてハート

と頼んだら、心良くお参りさせて頂きました。

φ(゜▽゜*)♪3分くらいのお経も上げて頂き、、、

<(_ _)>ありがとうございます。

次回も良ければ読んで下さい。よろしく!!

posted by 馬場栄一 at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) |
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