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2020年12月16日

アヴォカドとエビとキュウリと

私の最近のお気に入りは、アヴォカドである。体にいいということもあって、ずっと前から時々食べてはいたが、ペーストをしっかり作ってエビとキュウリと組み合わせて食べる美味しさにすっかりはまっている。アヴォカドをひとつ買うと半分ずつ使って食べるので、最低週に2回は食べていることになる。
201216アヴォカドDSC_0439.JPG

本当は、料理の状態で紹介したかったのだが、例によって、食べ終わってから、「あ、写真撮り忘れた・・」ということで、苦肉の策で材料写真にてご容赦いただきたい。
基本は、以前投稿したアヴォカドペーストとエビとキュウリのサンドイッチなのだが、カナッペの様にクラッカーやポテトチップスの上にのせて食べたりもしている。

ペーストは、アヴォカドペーストに玉ねぎのみじん切、塩コショウ、ライムジュースを加えて混ぜる。オリーブ油をさっとかけても美味しい。これをパンなどに塗り、塩もみしたキュウリのスライスと小エビの塩ゆでをのせて食べる、ただこれだけである。
しかし、ランチの時のジントニックにも、夕食の最初のおつまみとして白ワインとあわせてもいける。

もうひとつのバリエーションは、南米風のディップにするパターンで、これは、玉ねぎの他にトマトとパプリカかピーマンのみじん切りを加えてオリーブ油を加えてディップにするもの。これもなかなかいける。

今夜は、アヴォカドとエビとキュウリのカナッペと、ジョンソンヴィルのフランクフルトのソテー、自作のザワークラウトとパンなど、簡単な夕食ですませた。

質素でシンプルなメニューだけど、大好きなジョンソンヴィルのソーセージは、しっかりした食べ応えがあり、十分満足できる食事になった。今夜もごちそうさまでした。

#アヴォカド #ジョンソンヴィル












2020年12月15日

植物が語りかけてくること

私は、植物に対する知識はほとんどない。花や木の名前もあまり知らない。時々恥ずかしくなることもある。昔は、花や木々などにもほとんど興味がなかった。庭は好きで、京都などでは、小堀遠州作庭の名園などを訪れたりしていたこともあったけれど、それ以上の気持ちはあまり起きなかった。

そんな私が、50を過ぎた頃から、花や木を見て、美しいと思ったり、季節のうつろいに心を動かされたりするようになった。絵は、小学生の頃からずっと好きだったので、同じ感覚で花などを見るようになってきたこともあるのかもしれない。麦秋の麦畑や、青々とした田んぼの美しさに心を打たれたりする。

時々鉢植えを買って来ることも多くなった。しかし、悲しいかな、植物を育てる才には恵まれず、ポトスからパセリまで(笑)、鉢植えはすぐに枯らしてしまうことが多かった。
それは現在も同じで、なかなか上手に育てられないので、もう半ばあきらめている。
いちばんいい状態の時に眺めて楽しみ、やがて枯らしてしまって、「ごめんなさい」とつぶやく。そんな繰り返しである。

とはいえ、時折、長持ちしてくれるものもある。今キッチンに飾っている紅葉した小枝は、先週散歩した時に、川沿いの土手に生えていたのを摘んできたものだが、1週間以上もってくれている。枝ぶりと色が美しくて、空き瓶に投げ込んでおいたのだが、今も私を楽しませてくれている。FB友達の皆さんのご意見によると、どうやら南天のようだが、同じ日に摘んだ南天と思しき赤い実と葉のほうは、少し元気が無くなってきている。
201215DSC_0423.JPG

植物が、語り掛けてくれることは、色々あると思う。たいていは、その時々の自らの心情が植物に重なり、それが心に響くことが多いのだろう。しかし、無心の状態でふと見た時に、その美しさにはっとさせられることもある。南天を摘んできた時がそうだ。川端の雑草の中で、赤い実と赤い葉のたたずまいが、なんともいえぬ風情で、思わず摘んできてしまった。そのように心が動いてしまうことも面白いなあと思う。

キッチンで過ごす時間が多くなった理由のひとつは、この古い町家の中で、父の寝ている部屋を除くと、外を眺められる場所は、二階を別にすればキッチンだけでなのある。中庭を眺めながら食事をしたり、鳥の気配や、雨が降り出したことなどを感じられる。雑草も伸びて、荒れ放題の庭になってしまっているが、私は、それもまたひとつの趣ではないかとも思っている。いいものはほとんどなくて、安物ばかりだが、花器は割りに数多くあるので、時々玄関に花を飾ったりしている。そうすることで、穏やかな気持ちが広がる気がする。

植物が語りかけてくることは、年を経るごとに様々な言葉に変わってくるようだ。











2020年12月14日

紅葉と初雪

向かいのお寺の紅葉が美しい。
201214紅葉.JPG

しかし、冬将軍の到来に伴って紅葉も終わりを迎え、落葉の季節になっている。冬に向かう最後のあでやかな紅色ということでもある。
わが家の玄関には、落葉したもみじの葉が、風に運ばれ吹き溜まっている。
玄関を掃きながら、もみじの葉が増えているのを見て、ああ、冬に近づいているなあと感じる。
ちりとりの中に、冬へのうつろいを見るわけだ。

昨日、シベリア寒気団がやってくる話を書いたが、今日は天気予報通り富山市で初雪が舞った。県西部は、日中は降らなかったけれど、明日の朝には、初雪が積もるそうだ。30pほどの積雪になりそうだという予報もあったが、さてどうだろうか。

トイレ前の廊下の気温は、昨日に比べてぐっと下がった。夕食後に暖房を切ったら、10時過ぎには、12度くらいになっていた。明朝は、ひとケタの気温になるかもしれない。

北陸道沿いの町家は、夏の暑さをしのぐ事を主眼とした作りになっている。ウナギの寝床で、両脇を隣家にはさまれている構造の中で、少しでも湿気を逃がし暑さをしのごうとして中庭を作り、廊下から裏庭まで風が通るような作りにしてある。だから、冬は寒い。
私が子供の頃、廊下は三和土(たたき)だった。洗面所はタイル作りで、タオルかけのタオルが、朝凍っていたこともあった。
私が中学生の頃に改装されて廊下は板張りになり、トイレは水洗に変わり、さらに私が実家に戻ってからは、暖房なども強化したが、それでも寒い。
今よりずっと寒い家の中で、体の弱かった母は、毎日家事をしていた。心臓を患ったのも、急激な血圧変化、いわゆるヒートショックも影響していたのではないかと最近は思っている。

昔より快適になったとはいえ、今でも肌寒い台所で、明朝のお米をとぎながら、母のことを思い出していた。

2020年12月13日

冬がやってくる

暖かい12月が終わろうとしている。明日からは、シベリアからの寒気団が、じわりと日本海側に、その冷たいマントを拡げてくるようだ。
201213天気図.jpg


考えてみたら、もう12月も半ばだというのに、北陸にしては比較的暖かい日が続いていた。例年なら、厳しい冷え込みが何日か続いたり、雪が降ったりしている頃である。
降雪に備えて、ここ数日はタイヤ交換ラッシュで、ガソリンスタンドや、タイヤ屋さんなどは大忙しだとラジオでも伝えていた。
お向かいのお寺も、参拝客用に屋根からの落屑を防ぐ三角形の雪除けを本堂の前に設置し、昨日は、自家用車のタイヤを交換されていた。

今年は、久しぶりに氷見港のブリの水揚げが順調なようだ。ここ数年の不漁は、海水温の異常だったという説が有力だが、この冬はどうなのだろうか。雪が多く気温が低ければ海水温も低いから、水揚げにも影響するのかもしれない。そういえば、「ブリ起こし」の雷が、今年は少ない気もするけれど。

コロナVが流行ろうと、季節はいつものように巡ってくる。昨年は、雪の少ない冬だったが、今年は雪が多いという予報が主流だ。

100年古民家ぐらしにとっては、また厳しい季節がやってくる。やれやれ。

#冬将軍











2020年12月12日

とどまらぬ感染拡大

今日、全国で新たに3024人がコロナVに感染したという。今月10日の2971人を上回り、過去最多を更新した。
201212コロナ東京621人.jpg

東京都では、621人とこれまで最高の感染者数、大阪府429人、愛知県206人、北海道189人だという。東京での感染拡大は、この数日500人以上のペースが続いている。以前より検査数が増えたから感染者も増えているということだけではすまない増加ペースだと思う。
しばらく感染者が出なかった富山県でも、この数日感染が続けて報告されている。これまでほとんど感染者の出ていない県西部でも感染者が出始めた。県東部の感染者の一人は、関東に出かけてマスクをせずに何人かの人と会ったという。以前感染した何人かも東京や関西に出かけて感染した可能性が高いということだった。

GOTOキャンペーンは、感染拡大とは直接関係がないと専門家も言っていると政府は繰り返しているが、それはおそらく正確な裏付け調査をする方法がないから専門家も明快に因果関係を説明できないだけだろう。もちろんそれ以外にも、政治的理由があるのかもしれないけれど。

人の移動が加速すれば、感染リスクは確実に拡大する。ワクチンができつつあるが、日本での接種は、来年の春過ぎくらいだろうか?しかし、それまでにもし重篤な副作用がアメリカやイギリスで発生すれば、日本での接種はさらに遅れるかもしれない。悪いことばかりを書くつもりはないけれど、世界に冠たる清潔好きでルールを守る真面目な日本人の国民性をもってしても、こうして、GOTOなどで少しタガが緩むと、それは結果に反映されてしまう。

数か月前、もしかすると東京での感染者が1000人を超えるかもしれないとSNSに書いたことがあったけれど、それが現実味を帯びてきたことが本当に怖い。
それが現実にならないことを、本当に心から祈るばかりだ。














2020年12月11日

ラジオを聞きながら

家にいる時間が長いので、一日の暮しに少しでもリズムをつけるために、ラジオを使っている。
7時過ぎに台所に入り、ラジカセをつける。NHK三宅民夫の「マイあさ」が始まっている。政治、経済、国際情勢まで非常によくまとめられた情報を聞くことができて、毎日、勉強になる情報が得られる。8時半までこれを聞きながら朝食の支度をしつつ、自分の朝食を先に済ませてしまう。8時半にマイあさが終わるころには、食事を食べ終え、父の朝食の支度も8割方は完了させている。
201211radiko.jpg

父が起きている時には、そのまま朝食を食べさせるが、起きていない時には9時まで待ちながら、NHKFMのクラシックカフェを聴く。父の食事の世話を終えて、キッチンに戻り片づけをする。その間は、内容によっては、NHKラジオの「らじるラボ」を聞くこともある。(でも、かつての「すっぴん」ほど面白くない)この頃にはラジカセからパソコンのradikoに切り替えているので、番組内容の確認もできる。つまらなかったら、FMか他局を聴く。
このあたりから、音声をミュートしてテレビを付けておき、時々目をやる。
父の下の世話をして洗濯や掃除をするともう昼前になっている。ここでらじるラボの後半を少しだけ聞きながら、テレビの画面もチェックして、キューピー3分クッキングや、ETVの番組などを目で追いそちらが面白そうであれば切り替える。

12時過ぎになり、「昼のいこい」の吉松アナの声が流れてくる。
これがまたいい。お昼になったことを実感させてくれる。古関裕而さんのテーマ曲の昭和的な響きは、今や心地よいクラシックである。吉松さんの語りも実に味がある。
そして、お気に入りの武内陶子さんの「ごごカフェ」が始まる頃には、自分のランチを、だいたい用意し終えて食べている事が多い。武内さんの番組は、実に心地よい。話しぶりは、結構はしゃぎ気味でにぎやかなのだが、不思議に気にならない。彼女の人の良さが、コメントのあちこちからにじみ出ていて心が和む。言葉の選び方にも人柄が出ていて好感が持てる。

父には、1時頃にランチを食べさせる。日によって食欲がない時には2時頃になることもある。その間も竹内さんの声が流れている。
父のランチをすませて片づけを終えると、たいていは、洗濯ものを干したりする。一仕事を終えてキッチンのテーブルに座り一息つく。その間も竹内さんの番組が流れている。
メールやSNSを見たり、ブログのネタを考えたりしながらパソコンの前ですごす。4時前になって、竹内さんの「じゃあね、バイバイ」という声を聞いて4時近いことがわかる。

そして、夜は、17時45分に、たぶん富山でしかやっていない山中千尋さんの帯番組を聞きながら、夕食の支度をしつつジンを飲む。

こんな風に、私の毎日の暮しの区切りに、ラジオが句読点をつけてくれている。
radikoのおかげで、また多くの人がラジオの魅力を再発見していると思う。
radikoのキャッチじゃないけれど、ラジオっていいね。

#radiko #ラジオ #ごごカフェ














2020年12月10日

オーブン料理の楽しみ

一昨日に続き、昨日もテレビで見た料理を作ってみた。
今回は、きょうの料理で見たワタナベマキさんのローストポーク。名前の通り、オーブンで豚の塊肉をローストする。
一昨日のレミさんレシピの豚バラ肉とカブの料理も折よく冷蔵庫に材料がそろっていたが、昨日のローストポークもちょうど買ってきたばかりの豚ロースのブロック肉があった。

番組で見た印象では、わりとシンプルな作り方だったが、あらためてレシピを見ても、それほど難しい工程ではない。オーブンの低い温度でじっくり焼いていくという調理方法だ。

作り方は、ざっとこんな感じ
オーブンは130℃に温めておき、オリーブ油を入れて熱したフライパンで、肉の全面に焼き目をつける。
シートを敷いた天板に、肉の脂を上にしてのせ、130℃のオーブンで約1時間焼いたら、肉を取り出し
アルミ箔で包んでオーブンに戻し、粗熱が取れるまでそのままおいておくだけ。
あとは、肉を焼いたフライパンとアルミホイルとに残っている肉汁に赤ワインとしょうゆを加えて煮詰めたグレービーソースを作ってかけるだけ。けっこう簡単。オーブン任せ。
ということで、こんな風に焼きあがった。レシピにおおむね忠実に作れば出来上がる。
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パンを焼くようになって、マドレーヌなどお菓子作りの楽しさも知り、さらには、オーブンを使った料理も楽しむようになった。オーブン料理って大げさで面倒な印象があったけれど、実は、決められた温度で決められた時間ほっておけば出来上がるということで、むしろ簡単なのだということを知った。
それいでいて、仕上がりは、時になかなかゴージャスなメニューも出来上がる。

オーブンレンジなのに、レンジとしてしか使っていない皆様、ぜひオーブン機能もお試しを。

#ローストポーク  #オーブン料理














2020年12月09日

訪問看護が教えてくれたこと

9月に父がコンディションを崩し自宅で抗生物質などの点滴を行う必要があったので、かかりつけ医の指示により、点滴治療のために看護師さんに数日来てもらった。
その際に、メディカルケアの他に、オムツの世話などもやって頂いた。彼女に話を聞くと、特に病気がなくても、週1回程度メディカルチェックなどで訪問するご家庭も多いとのこと。
これまでは訪問看護について、我が家の場合には、あまり必要ではないと思っていたが、実際にその様子を目にして、非常に心強く、また手慣れたしっかりした看護師さんだったので、点滴終了後も週一回訪問看護に来ていただくようにお願いした。

週に一度、介護のことをよくわかっている看護師さんに来てもらうと、こちらの悩みも理解していただけるし、メディカルチェックや、皮膚や体調の異常も相談できて、医師にもすぐに連絡を取り対応してくれる。また、オムツ交換後の体の洗浄や、爪切り、手足の簡単なリハビリなどもやってもらっている。そのあいまに、なんということのない会話をすることは、人と話す機会が非常に少なくなっている私にとっても、心理的なストレス緩和になっているのだということを感じる。オムツの世話も、たとえ1回でも免除されると楽になる。父も、私以外の人と話すことで、気分転換になっている様子だ。
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(写真は、ご本人の了解の上で掲載しております)

定期的な来訪者のスケジュールが入るだけで、1週間に新しいリズムが生まれる。
メディカルケアだけでなく訪問看護には、様々な側面があるのだということに、あらためて気づかされた。

この6年ほど、介護に携わる方々を見ていて、つくづく大変な仕事だということを実感しているが、訪問看護もまた、大変な仕事だと思う。彼女も一日にいくつもの訪問先を訪ねるという。
コロナ禍の今、介護現場で働く人たちは一層苦労が増えていると思う。日本中の介護現場の皆様に、心から感謝とエールを送りたい。

#訪問看護 












2020年12月08日

一杯のミルク

父の噛む力が衰えてからは、食べられる物の種類が限られるようになったので、栄養補給のために毎食ミルクを飲ませるようにしている。そのおかげで、私も飲むようになった。何しろ骨粗しょう症防止など高齢者に非常に良い食品なので、前期高齢者である私にとっても、良いということになるわけだ。
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何10年ぶりかで毎日飲むようになると、あらためてミルクの美味しさに気が付いた。父も、食事のたびにミルクを一口飲んでは必ず「うまい!」と言う。まるで口ぐせのように。
ミルクが非常に体と相性の良い食品だということが、細胞に沁みていくような味わいからも感じられる。
また、おそらくミルクの製造技術が向上して、子供の頃に飲んでいた牛乳よりも美味しくなっているのではないかという気もする。(もちろん牛乳びんに入っていた昔の牛乳は、濃くて香りが強かったようにも思うので、素朴さという点では、昔のほうが美味しいのかもしれないけれど)

父にはだいたい1食に100から120ccくらい、私も同じくらいを朝と昼に飲むので、2日ほどで1リットルの牛乳がなくなる。そうなると、当然空の紙パックも、これまでよりハイペースで出るようになる。ちょっと油断するとキッチンに牛乳の空きパックがすぐにたまるほどだ。かくして、調理と片付けを終え、音楽を聴きながら一息ついている時間には、洗って乾かしておいた紙パックをハサミで切り開く作業をしていることが多い。リサイクルするためと、一部はまな板代わりにも使う。今日も、昼下がりのキッチンテーブルでヨーヨーマを聴きながら紙パックを切っている。

赤ちゃんにとって、ミルクは命をつなぎ成長するための大切なもの。そして、ものを食べにくくなった老人にとっても、また命をつなぐものである。
人は、オムツにはじまりオムツに還り、ミルクに始まり、ミルクに還る。












2020年12月07日

カラダの悲鳴

また手首が痛くなった。これで3週間くらいだろうか。以前も書いたが、手首が痛いと、まずパン生地をこねるのが大変だ。しかし、こう痛みが続くとそれだけではすまない。一番困るのは、父の世話をする時だ。介護には、父の体を動かしたり起こしたりという動作がつきものだ。そのたびに痛みがあって力が入らないことがある。もうひとつ、最近は指にしっかり力が入らない時があり、ウィスキーボトルを握ってグラスに注ぐのがしんどいことがある。これは私にとっては相当にゆゆしき問題だ。パン生地より重要なことだ。(笑)

パソコンを一日中使っているからではないかと妻が言った。私もそうではないかと思っているが、はっきりした原因はわからない。整骨院にも行ったことがあるけれど、結局は固定して湿布するだけなので、同じことは家でもできる。しかし私の場合、一日3食の炊事があり、水仕事がつきものだから包帯で固定などはしていられない。今は手首用サポーターを使っているが、水仕事をするので、つい外している時間の方が長い。
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整形外科に行ってステロイド注射を打ってもらうと痛みが消えるのは知っているが、痛いし怖い。コロナVのことがあるから、あまり医者にも足を運びたくない。そんなわけで、ずるずるとそのままにしている。自分でマッサージをして、サポーターをしながら、痛みをごまかしつつ日々を過ごしている。

そんな折、さらにトラブルが重なった。今度は歯である。数週間前から、詰め物をした奥歯に食べ物がひっかかるようになった。この数日は、舌で触れると、少し穴が空いてきているように感じたので、ついに意を決して歯科に出掛けた。確かに穴が開いているので詰め直すとのこと。しかし、型を取り、まず台座を最初に詰めて、そのあとで上のかぶせ物をするのだという。家の近所の歯科であるが、父の治療に付き添っていて、非常に信頼できる医師であると思っているので身を任せる。詰め物を取った大きな穴には、仮の詰め物を入れられた。しかしあくまで仮なので、噛むことはできない。食事はふだんあまり使わない左側の歯でかんで食べる。なかなか不便だ。夕食を食べながら、あと2週間もこの食べにくい状態が続くのか、とちょっと悲しくなった。今の私にとって、食事は日々の重要な、心と体の元気のもとだ。

数年前の大手術といい、今回の手首と歯のトラブルといい、まあ60数年も使っていればカラダにも金属疲労(懐かしい言葉)が起きてくる。まあ、いたわりながら、もう少しだましだまし使っていくしかない。

#カラダ















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