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2021年01月05日

あての時代

最近ちょっと気になっているのが、酒の肴という言葉にとって変わって、酒のあて、という言い方が主流になっていることだ。たぶんここ数年ではないかと思うがいつの間にか、肴とかつまみという言葉がすっかり追いやられて、ネットでもテレビでも、あて、一辺倒といった感がある。
210105あてのイメージ.jpg
(写真は、イメージです)

あて、というこの言葉、もともとは関西の言葉である。これまで、関東ではあまり使われていなかった。酒に「あてる」つまみ、とか、酒席に「あてる」とかいうところから生まれた言葉のようだが、明確な由来は定かではないようだ。

私がこの言葉に出会ったのは、今から40年ほど前、会社に入って数年くらいたった頃、初めて大阪に出張した時だったと思う。仕事を終えて新大阪駅で、新幹線を待ちながら一杯やろうと居酒屋風のお店に入った。席に座ってビールを頼むと、お店の人が「あては?」と聞いてきた。「えっ?!なんのこと?あて、わてのこと?!」と一瞬とまどった。彼は、「ああ、つまみのことですよ」と言い直した。なるほど、あてというのか?しかし、当時、東京の飲み屋で、あては?と聞かれることは、おそらく皆無だったと思う。

それがいつの間にか、つまみをさすメインの語となっている。関西の言葉が全国区になったわけだ。
私は、北陸の人間なので、地元の言葉には、関西からの影響を受けている点がかなりある。関西弁に共通する言い回しも多い。しかし、私の故郷では、あてとは言わなかった。

私は、肴、という字が好きだ。酒肴、という言葉も良い。なんとなく美味しいものを感じさせてくれて、魚を中心とする酒にあうお料理をイメージさせてくれる。だから今でもあてという言葉はあまり使わない。
あて、という言葉には、あてる、という動詞が由来のせいか、ちょっと動的なラフな印象を感じてしまう。そのせいか、どうもいまひとつ好きになれないのだ(あくまで個人的な見解です)

「あてなよる」というNHKの番組がある。私の大好きな料理家の大原千鶴さんが店主のお店にゲストをお招きして、ソムリエの若林さんと一緒に、工夫を凝らしたつまみと酒でもてなすという趣向だ。この場合の、「あてな」、は名詞にかかる形容詞のような使い方だが、キャストが千鶴さんのせいか、こちらはあまり気にならない。いや、毎回紹介される「あて」がとても魅力的で、彼女の素敵な笑顔とあいまって、いつも心を動かされている。もし、こんなお店があったら、しょっちゅう通ってしまうなあ(笑)

#あて #あてなよる













2021年01月04日

オートリピート

認知症の特長のひとつに、同じ話を繰り返すというのがある。
事実の記憶を繰り返すのはまだよいのだが、介護者を困らせるのは、夢に見たようなことを現実だと思い込んで、繰り返し話すことだ。まるで記憶のオートリピート。
私の父の場合には、ゴルフと葬式の2つでこれが起きることが多い。
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「明日はゴルフや」と父が言う。もちろんゴルフの予定など当然ないのだが、彼にとっては、明日ゴルフをやるというのは、「確かな記憶に基づく確定スケジュール」なのだ。ゴルフの予定はないよ、と説明しても納得しない。さらに困るのは、その質問を繰り返すことだ。数日前は、同じセリフを、10分おきくらいに、10回近くも繰り返された。そのたびに呼ばれて、何度説明してもしばらくすると同じことを言ってくる。それは、言われる側にとっては、なかなかのストレスになる。どんなに温厚な人でも、オートリピートのように質問が繰り返され、説明をしてもなかなか納得されないとなればイライラもするだろう。

先週は、親戚の人が亡くなり明日は葬儀のはずだと言い続けた。その人は、ずいぶん前に亡くなっている。この時も、その人はもう何年も前に亡くなられたよと説明したが、なかなか納得しない。そうか、と答える時もあり、納得してくれたかと思ったらしばらくしてまた同じことを言う。

人の記憶は、コンピューターのメモリーの仕方と仕組みが似ているところがあるらしいが、まさにプログラムエラーのように、メモリーの同じ位置に戻って、同じ発言を繰り返す。人の心の中に残って繰り返されていく記憶は、どんなふうにできあがっているのだろうか?
もし父と同じような状態になったら、私は、何を繰り返し語り続けるのだろうか?・・・

#認知症

2021年01月03日

ジンと私

元旦のNHK「あてなよる」を見ていたら、ゲストの七之助と瑛太が、ジンを飲むのは久しぶり、と言っていた。
私は、ほぼ毎日ジントニックやマティニを飲んでいる。やはり変わっているのかな?(笑)
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小説に登場するマティニの味に憧れて、20歳を過ぎてお酒が飲めるようになってすぐにバーに足を運んだ。当時は、まだ大学生だから、バーでカクテルなどを飲むのは、敷居が高くてなかなか勇気のいることだった。年配のお客さんにからかわれたこともあったが、お酒のマナーなどについて教えてもらったこともあった。カクテルブックを買って勉強したりもした。当時はインターネットなどない。

社会人になって、仕事で飲む機会が増えたこともあって、ジン好きは加速した。バー通いも多くなった。広告会社の営業だった私にとって、良い店を知っていることは、接待などでも大切な情報だった。なじみのバーテンダーからは、お酒のことから恋の話までたくさんの事を教えてもらった。

ジンを冷凍庫で冷凍すると、非常においしいということを雑誌で読んで、確かにおいしくてびっくりして、冷凍庫にいつも一本ジンを入れていた時期もあった。しかし、仕事が忙しくなったこととジンの飲みすぎも少し影響したのか、20代の終わりに少し体調を崩したので、冷凍庫のジンはやめた。冷凍したジンは、凍らずにトロリとなって口当たりが良くなり非常に美味しいので、つい飲みすぎてしまう。

あれから40年が過ぎた。私は、いつものように、ジントニックをステアしている。

#ジン  #ジントニック  #マティニ













2021年01月02日

新年もコロナの猛威は続く

新年早々、驚くべきニュースが入った。アメリカでの累計感染者数が、2000万人を超えたという!
累計で、東京都2つ分に相当する人が感染したのだ。そして、死者は34万人だという。こちらは、高岡市2つ分である。高岡市の住民の倍の人たちが、亡くなったというのに等しい。中規模の地方都市2つ分が、一年でゴーストタウンになったようなものだ。壮絶な数字である。想像がつかない。
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(写真はAFP)

ペストやコレラ、天然痘、そしてスペイン風邪など、これまでにも疫病がはやったことはあった。しかし、医学がすすんだ現代において、これほどの猛威をふるった疫病はないのではないか。

トランプ大統領は、まるで、王座にこだわり続ける王のように、今も敗北を認めていない。しかし、彼の任期も今月20日までだ。もし仮に万一バイデン氏に何かあっても、トランプ氏が復活することはない。ようやく彼がホワイトハウスから去る日がやってくる。

タラレバ話ではあるが、もし彼が大統領でなければ、アメリカの感染者や死者は、もう少し少なかったのではないかと思う。
最大の罪は、イメージの影響である。彼は、マスクを拒み続けた。メディア社会の現代において、毎日ニュースに登場する国のトップが、マスクをしていなければ、「まだ大丈夫」だといういわれのない感覚はすぐに蔓延する。感染症の専門家の意見を尊重し、もっと用心深い人が大統領であれば、すぐにマスクと手洗いを呼びかけたかもしれない。しかしトランプ氏はマスクをこばかにし、専門家の意見を軽視して、風邪のような病気だとうそぶいていた。アメリカには、「チキン」という言葉がある。臆病者という意味だ。トランプ氏は、チキンではない、ということをアピールするようなタイプの人に見える。しかし、疫病に虚勢を張っても意味がないのだ。
そして、そんな人だから、経済政策を優先して、ニューヨーク市などでの感染が拡大したタイミングでも、国としての防疫対策において積極性を欠いた。

これはあくまで、裏付けのない、私の個人的見解である。しかし、あながち大きく間違ってもいないのではないかと思っている。

欧米でワクチン接種が本格的に始まっている。ワクチンがその効力を発揮してくれることを祈るばかりだ。また、治療薬においても、革新的な効力の薬剤が生まれることを心から願っている。

#コロナウィルス













2021年01月01日

丑年元旦

新しい年があけた。2021年1月1日、数字だけで並べると、20210101。2と0と1だけの年号で10が連続する。数字の並びが美しい。
天気予報に反して、それほど雪が積もらない元旦となった。

一年に一度であるが、神棚にお神酒をあげてお参りをしてから、初めて自分だけのために、おせちと雑煮を用意して食べた。最近はあまり日本酒を飲まなくなったので、久しぶりにゆっくりとおせちを肴に、中庭の雪を眺めながら酒を楽しんだ。
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おせちは、正月の間食べ続けることができて、食事の支度を休むこともできる保存食であり、新しい年が良い年になるように願いを込め縁起をかついだものが並んでいる。そして、酒のつまみになるものばかりである。

数の子は、子宝に恵まれ子孫繁栄を願うもの。田作りは、畑の肥料だったイワシを使うことから「田を作る」ので田作り。ごまめ(五万米)とも呼ばれ、豊作祈願の料理である。そして、尾頭付きだ。黒豆は、まめに働き、まめに暮らせるようにという思いが込められている。

私のおせちは、一人用でもあり、いつもの年にも増して質素なものになったが、おせちの代表であり三つ肴とも呼ばれる数の子・田作り・黒豆、そして富山の郷土食である大根と人参と油揚げを和えたお酢和え、初めて自分で作った伊達巻など伝統的なものは、最低限並んでいる。かつて富山県西部のお雑煮は、非常にシンプルで、だしに椎茸の煮たのを入れて味付けした汁に餅を入れるだけだった。私が子供の頃は、まさにこうしたものであったが、東京生まれの家内と結婚して、鶏を甘辛く煮たものと大根と人参を茹でたものを入れた雑煮になり、非常に美味しいので、それが定番になった。

おせちを食べ終わって、東京の家族にLINEでテレビ電話をした。あちらは、朝昼をかねてこれからおせちを食べるという。久しぶりに元気そうな妻や息子たちの顔を見た。
コロナV感染者が1000人を超えた中で、なんとか家族が無事でいることに、ただただ感謝である。

新しい年が始まり、コロナVのワクチン接種もアメリカやヨーロッパで始まった。日本でも2月から接種が行われる予定だという。このワクチンが奏功して、少しでも穏やかな年になることを、心からお祈りしたい。

#丑年 #元旦 #おせち













2020年12月31日

2020年の大晦日

大晦日の朝、北陸地方では、降雪があった。今日は一日中雪が降っている。それも、あっという間に積もるような降り方の時間帯もあった。明朝には、またそこそこまとまった雪が積もっているかもしれない。中庭にある茶席用の待合の屋根の雪が心配なので、雪を落とす道具を、廃材で作ることにした。昼前から始めて3時前には出来上がった。早速雪をおとしてみたが良い具合だった。

3時過ぎからは、おせちの支度にとりかかった。毎年変わらぬのメニューだが、今年は父がおかゆ以外は食べられなくなったので、どうしようかと迷ったけれど、やはり最低限のものはつくることにした。北陸のおせちになくてはならない「お酢和え」は、私の好物でもあるので絶対に作る。まずこれから始めた。
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続いて煮物を少しだけ。そして今年は、伊達巻も作ってみた。こげつき癖のついたフライパンだったので、焼き上がりは失敗したが、まあ、これもご愛敬だ。少なくとも自分で簡単に作れることがわかったのは大きい。
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そして酢ごんぼ(ごぼう)と煮物を作り、煮干しを炒ってごまめを作った。あとは、雑煮用の大根とニンジンを煮てひとまず完了。

武漢からの謎のウィルスで始まった今年。本来ならオリンピックに沸いたはずの2020年。
そして災害の年・・・などなど余りに多くのことが起きた今年。そして、激動の年の大晦日に、東京の感染者は、ついに1000人を超え、全国でも4000人を超えた。

日本でのワクチン接種は、2月の予定だという。新しい年を迎えて、ワクチンが奏功して感染者増に歯止めがかかることを心から祈りたい。

#大晦日 #おせち













2020年12月30日

SOMETHING STUPID〜竹内まりやを聞きながら

radikoプレミアムで、日曜に放送された山下達郎のサンソン・恒例の竹内まりやとの夫婦放談を聞きながら、ランチの支度をしている。
今日は、トマト缶が半分残っていたので、豚肉のトマト煮を作り、ニョッキで食べることにした。ジャガイモを茹でてニョッキを作る。
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料理をすることは、きちんと下ごしらえをしたりなどを含めると、やはりそれなりに時間と手間がかかる。朝食のあとかたづけをして、父の下の世話をして一休みしているとあっという間にランチの仕込みタイミングになる。今日もそんな感じだ。

トマト缶の残りを片づけたいので、朝食後から何を作ろうかと考えていて、豚肉のブロックも処理をしないといけないことに気づき、半身は夕食でローストポークにして残りの肉をトマトで煮ることにした。トマト煮は、シンプルで簡単だ。鶏とか豚とか、相性のいい肉と玉ねぎやニンジンなどを炒めて一緒に煮れば、それなりのものが出来上がる。
それをパスタで食べようかなと思っていたら、少しだけ切ったジャガイモの残りを見つけたので、ニョッキを作ることにした。私は、こんな風に冷蔵庫の材料を見ながら作っていくことが多い。材料を発見しながらストーリーを描いていくような感じが性に合っている。と言いながら、昨日のパスタの残りも見つけたので、結局パスタも用意してしまった。
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竹内まりやと大瀧詠一の素晴らしいデュエット曲「恋のひとこと」/SOMETHING STUPID が流れてくる。大好きな曲だ。原曲はシナトラと娘のナンシーのデュエット曲だが、竹内まりやと大瀧詠一二人のバージョンは、それにひけをとらない名演だと思う。そして、この曲が、大瀧さんの最後のレコーディングでもある。

大学生の時にはっぴいえんどに出会って以来聞き続けてきて、そこから派生してシュガーベイブから吉田美奈子、大貫妙子などを聞いていった。それからもう40年以上になる。

そんなことを考えながら、出来上がったニョッキを食べた。あらためて大瀧さんのご冥福を祈りながら。

#恋のひとこと  #ニョッキ












2020年12月29日

幸せな暮しとは?

父の世話を初めてから7年あまりが過ぎた。その生活に入ろうと決めた時から、いくつかのことを失った。東京での仕事とか、東京の家と富山の家という二重生活、(いや、アパートを借りていた時には三重生活だったな)による相当な出費増。心理的な重圧によるストレス、命に係わる大病をわずらったこと・・・などなど。そこそこ苦労はしたと思う。東京にいる家族にもいっぱい迷惑をかけている。本来あるべき家族関係をかなりスポイルしたのではないかとも思っている。とりわけ仕事をしながら家事も支えた妻の苦労は想像にかたくない。

父が完全に寝たきりになって、世話をする物理的な負担は増大したと思う。一日二回のオムツ交換、3食を調理し、食べさせ、後片付けをすること。父のそばを長時間離れらないために外出もままならず殆どの時間を家で過ごす事など。
しかし、その苦労は、父が勝手気ままに出かけたり、私の目を盗んで自転車に乗って転んだり、といった様々な父の行動を心配しなくてよくなったことと差引ゼロかもしれない。何しろ、お寺の用事とゴルフと知り合いの葬儀に必ず顔を出すことが最重要課題で、世間の常識にはあまり耳を貸さず自分の理屈だけで動くゴーイングマイウェイの人だから。(それは私も同じだと、時々妻にも言われるが)
それに、外出せずに家にいることは、それほど嫌いではない。

今日は、とびきり美味しい漬物と御餅などを父の友人から頂いた。夕食に、頂いた極上の赤かぶと大根の漬物を食べて酒を楽しんだ。幸せな食事だった。
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私は、一人の食事をあまり辛いと思わない。むしろ楽しめるほうかもしれない。実家で暮らしていると、スーパーで買い求める食材は、魚も野菜も美味しい。東京のものよりもかなり恵まれていると思う、今日の午後はフルーツケーキを焼いた。3食とも質素だけどとても満足のいく食事を楽しんでいる。食が満たされていることは、精神的にかなり大きなことだと思う。ささやかだが大切な幸せだと思う。それによってずいぶんと私は救われている。

人生は、幸せ半分、不幸せ半分だと山口瞳さんが書いていたような気がする。そうかもしれない、と最近少し思えるようになった。この数年は、自分の不幸にばかり目が向いていたようだ。きっと、この先、もう少しいいこともあるのだろう。そう思いたい。

#幸せの意味












2020年12月28日

ホイップクリームの罠

クリスマスにイチゴのケーキを作ったが、ついうっかり生クリームを全部使ってしまったので、ホイップクリームがかなり余ってしまった。ご近所の元パティシェの方に使い道を聞いたら、料理に使うとか、ウィンナコーヒーとか、フルーツサンドに使うとか、と教えて頂いた。甘さは少し抑えめにしたのだけれど、やはり甘いので料理にはどうかなあ、と思いつつも一昨日は、クリームシチューにちょっといれてみたらこれが十分美味しかった。これなら使える!まずひとつのアイデアはOKだ。

昨日は、フルーツサンドイッチも作ってみたが、これがなかなかヤバイ、いや、危ない!
美味しいのである。禁断の味だ。キウイフルーツとバナナのスライスをはさんでクリームを塗ったなのだけだが、旨い!キウィとバナナのシンプルなサンドだったけれど、イチゴとかオレンジとかも入れたら、きっとさらに美味しいフルーツサンドができるに違いない!
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そして今日は、ランチのデザートに、リンゴをトースターで焼いたものと、パンの切れ端にバナナのスライスをのせたものにクリームを塗ったオープンサンドを食べたが、これまた美味しい。(例によって、食べることに気を取られ写真を撮り忘れました)

いかん、これはいかんぞ。クリームは、まだ残っている。でもさすがに明日くらいまでには食べないと悪くなるだろうしなあ・・・そうなると、毎食、何かしらに使って食べないといけない。ああ、なんという悩ましさだろう。
ホイップクリームが無事なくなった時、そのカロリーは、たぶん私のお腹周りの肉に加えられ、体重に置き換えられるのだろう・・・ホイップクリームの罠は続く・・・・

#ホイップクリーム 











2020年12月27日

年の瀬に

今日は、12月27日・大安。ということで、正月飾りなどを買い求める。といっても、今や玄関用の小さな鏡餅と、玄関大戸上のしめ飾りくらいである。あとは、台所に小さな御餅を飾るくらいか。本当はお蔵の前にも飾らなければいけないのだが、すっかり略式になってしまった。昔は、お餅をついたからといって出入りの方からおすそわけを頂いたりしたが、そんなこともなくなって久しい。鏡餅も、三方に紙を敷いて飾ることもせずに、市販のものを組み立てて完成、という感じだ。ここ数年、三方は、蔵に入りっぱなしである。
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ふとカレンダーを眺めれば、今日を含めてあと5日で、災害とコロナに翻弄された激動の令和2年/2020年も終りである。
今年は、台所の火の回りなどは、今月半ばに掃除をすませておいた。(ひまな老人ならではである。)
明日からの数日は、富山のおせちである「おすわえ」(お酢和え)や「酢ごんぼ」(=酢ごぼう)などを仕込んだり、神棚を掃除するなど恒例の作業をいくつかこなしていくだけだ。

お酢和えは、いわゆるなますであるが、油揚げと人参を醤油と砂糖とみりんなどでさっと煮て大根と和えて酢で味を調えるのだが、味付けや柚子を入れる入れないなど各家庭によって微妙に違いがあり、私が子供の頃には、年始のお客が、「うちのは味が濃い」、とか「うちのほうが甘いな」とかあれこれ言いながらそれを肴に酒を飲んでいた。
そういえば、40年ほど前、父が現役の頃には、お正月といえば、年賀のお客が次々とお越しになり、父が不在の時には、私が来客へのご挨拶なども対応していた。それも今となっては懐かしい思い出である。リタイヤ老人二人の住まいには、訪れる人もすっかり少なくなった。

お正月には、ブリ1本を父がさばいて、叔父の家族がやってきてみんなでブリを肴に食卓を囲んだり、母方の家を訪ねて、帰省しているいとこや叔父たちと一緒に酒を酌み交わすこともあったけれど、叔父たちも鬼籍に入り、親戚の行き来もほとんどなくなってしまった。さらにコロナVのおかげで、今年はいっそう静かな年の瀬になっている。

TVからは、年末恒例の京都南座・顔見世興行で、仁左衛門出演の「熊谷陣屋」を放送している。年末の風物詩は、今やテレビ画面を通して味わうものになっているのかもしれない。

#年の瀬  #正月飾り #鏡餅














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