事実の記憶を繰り返すのはまだよいのだが、介護者を困らせるのは、夢に見たようなことを現実だと思い込んで、繰り返し話すことだ。まるで記憶のオートリピート。
私の父の場合には、ゴルフと葬式の2つでこれが起きることが多い。
「明日はゴルフや」と父が言う。もちろんゴルフの予定など当然ないのだが、彼にとっては、明日ゴルフをやるというのは、「確かな記憶に基づく確定スケジュール」なのだ。ゴルフの予定はないよ、と説明しても納得しない。さらに困るのは、その質問を繰り返すことだ。数日前は、同じセリフを、10分おきくらいに、10回近くも繰り返された。そのたびに呼ばれて、何度説明してもしばらくすると同じことを言ってくる。それは、言われる側にとっては、なかなかのストレスになる。どんなに温厚な人でも、オートリピートのように質問が繰り返され、説明をしてもなかなか納得されないとなればイライラもするだろう。
先週は、親戚の人が亡くなり明日は葬儀のはずだと言い続けた。その人は、ずいぶん前に亡くなっている。この時も、その人はもう何年も前に亡くなられたよと説明したが、なかなか納得しない。そうか、と答える時もあり、納得してくれたかと思ったらしばらくしてまた同じことを言う。
人の記憶は、コンピューターのメモリーの仕方と仕組みが似ているところがあるらしいが、まさにプログラムエラーのように、メモリーの同じ位置に戻って、同じ発言を繰り返す。人の心の中に残って繰り返されていく記憶は、どんなふうにできあがっているのだろうか?
もし父と同じような状態になったら、私は、何を繰り返し語り続けるのだろうか?・・・
#認知症
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