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2020年12月15日

植物が語りかけてくること

私は、植物に対する知識はほとんどない。花や木の名前もあまり知らない。時々恥ずかしくなることもある。昔は、花や木々などにもほとんど興味がなかった。庭は好きで、京都などでは、小堀遠州作庭の名園などを訪れたりしていたこともあったけれど、それ以上の気持ちはあまり起きなかった。

そんな私が、50を過ぎた頃から、花や木を見て、美しいと思ったり、季節のうつろいに心を動かされたりするようになった。絵は、小学生の頃からずっと好きだったので、同じ感覚で花などを見るようになってきたこともあるのかもしれない。麦秋の麦畑や、青々とした田んぼの美しさに心を打たれたりする。

時々鉢植えを買って来ることも多くなった。しかし、悲しいかな、植物を育てる才には恵まれず、ポトスからパセリまで(笑)、鉢植えはすぐに枯らしてしまうことが多かった。
それは現在も同じで、なかなか上手に育てられないので、もう半ばあきらめている。
いちばんいい状態の時に眺めて楽しみ、やがて枯らしてしまって、「ごめんなさい」とつぶやく。そんな繰り返しである。

とはいえ、時折、長持ちしてくれるものもある。今キッチンに飾っている紅葉した小枝は、先週散歩した時に、川沿いの土手に生えていたのを摘んできたものだが、1週間以上もってくれている。枝ぶりと色が美しくて、空き瓶に投げ込んでおいたのだが、今も私を楽しませてくれている。FB友達の皆さんのご意見によると、どうやら南天のようだが、同じ日に摘んだ南天と思しき赤い実と葉のほうは、少し元気が無くなってきている。
201215DSC_0423.JPG

植物が、語り掛けてくれることは、色々あると思う。たいていは、その時々の自らの心情が植物に重なり、それが心に響くことが多いのだろう。しかし、無心の状態でふと見た時に、その美しさにはっとさせられることもある。南天を摘んできた時がそうだ。川端の雑草の中で、赤い実と赤い葉のたたずまいが、なんともいえぬ風情で、思わず摘んできてしまった。そのように心が動いてしまうことも面白いなあと思う。

キッチンで過ごす時間が多くなった理由のひとつは、この古い町家の中で、父の寝ている部屋を除くと、外を眺められる場所は、二階を別にすればキッチンだけでなのある。中庭を眺めながら食事をしたり、鳥の気配や、雨が降り出したことなどを感じられる。雑草も伸びて、荒れ放題の庭になってしまっているが、私は、それもまたひとつの趣ではないかとも思っている。いいものはほとんどなくて、安物ばかりだが、花器は割りに数多くあるので、時々玄関に花を飾ったりしている。そうすることで、穏やかな気持ちが広がる気がする。

植物が語りかけてくることは、年を経るごとに様々な言葉に変わってくるようだ。











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