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2021年02月04日

居心地の良い場所

このところ、一日を過ごす場所が、キッチンと父の部屋の隣の間が中心になってきた。自分の部屋には、全部の家事を終えて、父のオムツの世話などもすませてから寝る前に入るくらいで、自室でゆっくり過ごす時間が激減した。眠る前の数時間、酒を飲みながらテレビやビデオを見て過ごすくらいだ。勉強したりする時間が減っているのは自分として反省している。

セカンドマシンであるパソコンが置いてあるのと、最近は父が同じことを何度も繰り返し言って私を呼ぶことが多いので、すぐに対応できる父の続きの間で過ごすことが圧倒的に多くなった。この部屋のテーブルは、キッチン用のバタフライテーブルで、椅子は、東京の家で昔使っていたキッチン用の椅子なので座り心地はあまり良くない。パソコンをするには、体のためにも自室のビジネスデスク用椅子が良いのだが、キャスター付なので、畳の部屋には向かない。しかたなく座り心地の悪いキッチン椅子を使っている。ということもあって、時々ちょっと体を休めるような椅子がほしいなあと思ったりしていたのだが、また新しい椅子を買って家具を増やすのももったいないし、と悩んでいた。

そんな折、2階の物置部屋に行ったときに、夏用のビーチチェアが目に留まった。
まてよ、ビーチチェアってけっこうリラックスできるじゃないか?。ランチを食べたあとに少し眠気をおぼえつつ寝そべるには、ぴったりかもしれないな、と。
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早速1階に降ろして、ビニール部分が冷たいので、使っていない厚手のタオルケットやひざ掛けと母手作りの形見のクッションなどを置いて座ってみたらこれがなかなか具合が良い。リクライニングもするし、まさにちょっと体を休めるのにぴったり。
というわけで、ランチタイムのあとの午後のひととき、このチェアの上で過ごすことが多くなった。しかし、欠点がある。それは、チェアに体を預けて本を読み始めても、しばらくすると眠気に負けてついうとうとしてしまい、結局ちっとも本が読めないことである。(実は今日の夕方も寝落ちしてしまった)
そんなわけで、知人でもある鷹匠裕氏の新作「ハヤブサの血統」も、なかなかページが進まない。鷹匠さん、どうぞご容赦を。たぶん一ケ月以内には読み終わりますから。

#リラックス #イス 

2021年02月03日

立春大吉

今日は、立春である。そして昨日、2月2日は節分であった。
ニュースなどで何度も報道されていたが、節分は2月3日という感覚だったけれど、今年は2月2日だという。
そもそも節分とは、二十四節気のひとつで、立春の前日、新年最初の節に厄を払い一年を無事に過ごせるように祈るものである。
節気とは、太陽の公転軌道である黄道を24分割したもので、黄道を夏至と冬至の「二至」で2等分し、さらに春分と秋分の「二分」で4等分し、それぞれの間に立春、立夏、立秋、立冬の「四立」を入れて「八節」とする。一節は45日で、これを15日ずつに3等分し「二十四節気」となっている。太陽の公転周期は、365日と数時間なので、少しずつずれが生じる。暦についてはうるう年で調節するが、節気もまた少しずれが生じる。ということで今年は、明治30年以来124年ぶりに立春が2月3日となり、節分は2月2日となったというわけだ。コンピューターも優れた天文計器もない時代によくこんなことをきちんと考えたものだと感心する。

ちなみに、こうした情報は、もちろん私の頭に入っていたわけではなく、家のパソコンの前に座って検索して入手したものである。昔なら、これだけのことを知ろうと思ったら、図書館に出掛けて該当する本を探し、さらにそれをめくって求めるページにたどりつくという手間が必要になる。それがわずか数分で見つかってしまう。今さらながら、本当に便利なことだが怖いことでもある。図書館で探した知識は、頭に残るが、ネットで検索したものはすぐに頭から消えてしまう。
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もともとお正月の飾りやお雑煮など大きな節目となる節気には、最低限のしきたりを守ろうという気持ちが多少あったが、年をとってきたことも手伝ってか、もう少し節気を大事にしようという思いが強くなってきた。コロナもそうだし、個人的にもこのところあまり良いことにもめぐりあっていない。そんなわけで、昨日は小袋入りではあるが久しぶりに豆を買い、略式ながら豆まきのまねごとをした。

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関西のならわしではあるが、これも福を呼ぶことだろうと恵方巻を作り今年の恵方を向いて黙って食べた。
市販の恵方巻は豪華で美味しいかもしれないが、まず大きすぎる。そして値段も高い。もったいなくて買う気にならない。自分で簡単に作れるものだし、大きさも自分に合わせられる。

そんなことをあれこれ思いながら、立春の朝を迎えた。旧暦では一年の始まり、つまり旧正月である。私の尊敬する大先輩のMさんは、立春大吉と大書したはがきを、私の賀状の返礼に立春にあわせて送って下さっていた。一月に見る年賀状とは異なり、寒さが厳しいとはいえ、どこか春に近づく気配を感じさせる立春の便りにはまた違った趣きがある。この数年は、立春大吉という件名のメールになったけれど。

節分に買った豆の小袋には、立春大吉の文字の入ったものがあった。今朝、その袋を玄関に置いた。
立春大吉の紙を貼る代わりに、どうぞ大吉が訪れますようにとの願いを込めて。

今年こそ世界中に幸せが訪れますように

#立春大吉 #節分













2021年02月02日

自宅介護という闘争

介護には、施設での介護と自宅での介護という大きく、2つの選択がある。
自宅での介護というのは、ある意味、理想的な状態という考え方もあるだろう。
家族と一緒に、介護以前と同じ状態で暮らしていける。介護される側にとっては、親である自分を子供などが世話しているのは、それまでの暮らしと同じではないか?そういう認識がある。だから、介護をされるようになっても、なぜ子供が思い悩んでいるのか、なぜ苦労しているのかということがあまり理解できない。それは当たり前のことではないか?と。
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今日のNHKETV「ハートネットTV」は、老々介護のケースとして、松島トモ子さんとお母様の事例を紹介していた。75歳の松島さんが、99歳のお母様の世話をされている。当初、老々介護と言われても、自分が老人だという意識があまりなかったトモ子さんは、違和感を感じておられたようだが、やがてそれを理解するようにもなる。淡々と話しておられたが、それは壮絶な介護状況だった。

認知症が進むにつれて、お母様は、怒ったり、勝手に外出したりと、トモ子さんを困らせる。ついには、包丁を持ち出して、一緒に死のうと迫ったという。
話を聞いていた司会役の渡辺えりさんもまた、ご両親を介護されているので、番組進行を忘れて思わず涙を流されていた。私も思わずほろりとした。

私の父も、体が動く間は、私の目を盗んで自転車でひとりで外出して転倒してけがをしたり、なじみの飲み屋で友達と飲みたいと怒ったりしていたことを思い出した。
父がベッドから動けなくなった時、実をいうと、どこかほっとしたところがあった。
<ああ、これで、ひとりで勝手に出かけたりしなくなってくれた・・>本当にそう思って、どこか安心した。

トモ子さんの場合には、その壮絶な状況をケアマネさんのアドバイスによって主治医を変えたりすることで、お母様の認知症の症状を理解することができて、そこから対応方法もわかって、お母様の症状も治まったという。
介護では、ケアマネージャーさんの存在は大きい。その方の意見や采配によって、対応施設や介護プランなどが決まってくる。我々は介護の専門家ではないので、そのアドバイスが最大のよりどころとなる。トモ子さんのケアマネさんは、仕事を続けられないとトモ子さんが悩んだ時に、「介護はいつまで続くかわからないから、あなたは仕事を続けなさい」といったという。そんなところまで踏み込むケアマネさんはあんまりいないだろう。特に東京などの大都市圏では。良いケアマネさんにあたるかあたらないかは、大きな分かれ道になる。だから、もし皆さんが、ケアマネさんに疑問を感じた時には、社会福祉協議会に相談して、ケアマネさんを変更するということも、場合によっては必要かもしれない。

「今は穏やかに家で暮らしてもらい、亡き父のもとに送り届けることが自分の役目と思っている・・・」75歳のトモ子さんは、そう穏やかに語っていた。その気持ちは、私にもとてもよくわかる。

自宅介護とは、介護をする人とされる人の心の葛藤の場であり、時に闘争の場にもなり、そして宗教的な自己研鑽の機会にもなる。
私もトモ子さんのような心境に近づきたいと思った。

#老々介護

2021年02月01日

2月革命

2月になった。毎年書いている気もするが、ついこの間正月の雑煮を食べたと思ったら、もう如月である。
如月とは、美しい響きの言葉だなあ、と昔から思っていたが、これは中国の二月の呼び方をそのまま使ったものだという。きさらぎの由来には諸説あるそうだが、寒いので衣を重ねて着るから「衣更月」という説もあるらしい。なんだか衣擦れの音が聞こえてきそうだ。

そんな二月最初の日に、ミャンマーから、まがまがしいニュースが飛び込んできた。ミャンマーの実質的な指導者であったアウン・サン・スー・チーさんが軍部に拘束されたという。
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スーチーさんたちの努力によって、この10年ほど、軍事政権から民主国家への道を歩み始めていたミャンマーだが、これでまた軍事政権に戻ってしまうのだろうか?
ニュースを見た時に、「クーデターか?」と思ったが、当初、ニュースでは、クーデーターという言葉がなぜか登場していないようだ。ちょっと不思議だなと思っていたら、ある 国際政治学者が、その事情として、中国がこれまで関与してきた影響があるのではないという記事を書いておられた。この記事の信ぴょう性を判断できるほどの知識は残念ながら持ち合わせてはいないが、なかなか興味深い内容ではある。
https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20210201-00220500/
(*追記:その後1日ほど経って、どのメディアもクーデターという表現を使い始めた)

ともあれ、民主化が進んでいたミャンマーには、この10年で、世界中の企業がビジネスを行い、日本から進出した企業も数百社にも及ぶという。日本人の駐在員やご家族も多いことだろう。この先どうなるのか不安を抱えている企業関係者の方もきっと多いに違いない。
たまたま、冒頭にまがまがしい、と言う言葉を書いたけれど、この言葉は、コロナですっかりポピュラーになった禍という言葉を使う。漢字で書くと、禍々しいとなる。何かよくないこと、不吉なことがおこることを表す言葉である。
如月には、更に陽気がやってくる、ということから「気更来」という由来の説もあるという。禍々しいことではなく、ミャンマーに陽気で平和な「気」が再びやってくることを心から祈りたい。

#ミャンマー #アウン・サン・スー・チー

2021年01月31日

丸くなったギルビー

数週間前、ジンが切れたので買いに行ったら、なじみのギルビーのボトルが、まあるくなっていた。「あれっ?」と思いつつも買い求めて帰宅した。
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私は、夕方の口明けの一杯を、マティニオンザロックスで始める。運転の予定がないランチタイムには、パスタなどを食べながら、ジントニックを1〜2杯楽しむ。最近は、夕食の時にも、ビールを飲まずに、しばらくジントニックを飲み続けたりもしている。そんなわけで、一日に数杯はジンを使った飲み物を飲むので、当然そこそこのペースでジンを消費する。サラリーマン時代には、ビーフィーターやタンカレーなど少しお高めのジンを飲んでいたが、年金暮らしになってからはお得なギルビーを愛飲している(笑)。

ギルビーの、角張った四角いボトルが結構好きだった。だいたいスピリッツというのは、透明ですっきりとした強いお酒なので、四角くてソリッドな印象のギルビーのボトルはわりに好きなデザインだった。
ビーフィーターも、いつの間にかボトルデザインが変更されていた。ビーフィーターのブランドデザインのモチーフは、「ヨーマン・ウォーダー」ロンドン塔の衛兵である。彼らのことを「牛を食べる人」=Beef Eater と呼んでいたことから、この俗称がブランドの名前になり、キャラクターになっている。でも、なぜ衛兵のことを、ビーフィーターと言ったかについてははっきりしていないという。彼らの給料が、当時は高級品だった牛肉で支払われていたから、という説があるそうだが、だとしたらなかなか面白い話ではある。(ちなみに、我が息子もビーフイーターで、ステーキ2枚はぺろりと平らげる。)
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ギルビーもビーフィーターも、昔は、確か輸入商社のようなところが取り扱っていたと思うが、今は、キリンがギルビー、サントリーが、ビーフィーターをそれぞれ扱っている。ただし、どちらのサイトを見ても、ボトルデザインが変更されたことについては触れられていなかった。

というわけで、丸いボトルに入っていても、味は以前と変わらぬギルビーでマティニオンザロックを作り、楊枝にさしたオリーブをグラスに入れて、今宵の晩酌もスタートとなった。

#ジン #ギルビー  #ビーフィーター













2021年01月30日

時代と寝た女

山口百恵の引退ライブが、NHKで放送されていた。たしか以前も放送されていたと思うが再放送のようだ。
彼女については、その当時、ファンというほどではなかったけれど、私も比較的好意的に見ていた。まず歌がうまかった。それから真面目で常識のあるお嬢さんという印象で、落ち着きも感じられた。三浦友和との結婚によって引退するというニュースは、大きな話題になった。そんなこともあって、今日の放送をあらためて見ていた。
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引退した時に21才だったということにまず驚かされた。今どきの21才に、こんなにしっかりしたお嬢さんは少ないのではないか?そして、彼女が話すコメントのシナリオは、当然ちゃんと用意されていたとは思うが、3時間近い長丁場のコンサートを、たった一人で歌いながら、その合間のしゃべりを、自分の言葉としてきちんと消化して語ることのできる能力の高さにも感嘆した。次々と演奏されていくヒット曲を、高い歌唱力を維持しながら歌い続ける能力の高さ、そして堂々たるステージパフォーマンス。最後にマイクを静かに置いてステージを去る彼女の姿は、歌姫と呼ぶにふさわしい見事な存在感であった。

そんな山口百恵のことを、篠山紀信が「時代と寝た女」と称した。可憐な彼女に対して、ずいぶん失礼な表現だなと思ったけれど、彼女は確かに、昭和という時代の中で、他の誰よりも時代をとらえたタレントであったことは事実だろう。美空ひばりは大スターだが、テレビ以前の時代に、映画俳優でありスーパースターであったひばりは、民衆とは別格の存在であった。しかし、テレビ全盛の時代をむかえ、身近な存在となったアイドル歌手の中で、昭和という時代を象徴した点において、百恵という才能は、やはり傑出していたのではないか?
彼女の魅力にいち早く気づいて何年も彼女を撮り続けてきた紀信さんだからこそ、そう感じたのだろう。百恵ちゃんの力は、まさに昭和を動かす力だった。猥雑な意味でなく、時代を押し倒すような力があった、という意味で紀信さんはこう言ったに違いない。それが言い得て妙だからこそ、この言葉が何年も生き続けているのだろう。
紀信さんはこう語っている。
「昭和という時代が、山口百恵を必要としていた。
 山口百恵は、昭和の高度成長期における公の存在物であった。
 誰しもが昭和という良き時代を振り返る時、そこには山口百恵がいる。」
百恵のピークから引退までを、同時代で感じてきた私にとっても、この言葉はとても説得力がある。昭和という時代の中で、彼女は間違いなく稀代のスーパースターであり、「時代と寝た女」である。
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引退ライブの終わり、最後の曲を歌い終えると、彼女はマイクを真正面に構えたあとで、静かにそれを床に置いてステージを去った。1980年。あれから41年の時間が過ぎた。

#山口百恵












2021年01月29日

金曜日のユーミン

金曜日の午前中、ランチタイム少し前の時間は、ユーミンのラジオ番組を聞いていることが多い。
東京FM系列の「ユーミンコード」。毎週コードと呼ぶテーマを決め、それについてユーミンが話しながら音楽をかけるという構成である。今週のコードは、「春を待つ窓辺」だった。
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番組の中でユーミン自身も言っていたが、そういえば彼女の曲には窓を歌った曲が多い。パッと思い出すのは、<翳りゆく部屋>。「窓辺においた椅子にもたれあなたは夕日見てた〜」曲のタイトルと、歌詞のシチュエーションが、なんともいえないユーミンワールドを醸し出してくれる名曲で私も好きな曲のひとつだ。<海を見ていた午後>も<ひこうき雲>にも窓が登場する。

少し前には、久しぶりのニューアルバム<深海の街>のプロモーション一色の回もあったし、そのアルバムに入っているテレビドラマの主題歌にかかわる回では、2週連続で、脚本家の大石静と原作者の柴門ふみがゲストで3人のパワフルなおばさまたちが、トークを繰り広げるという回もあった。商売っ気たっぷりの番組だな、と思いつつも、長年ひいきにしているユーミンだとつい許してしまう。

最新アルバムを聞いていると、私と同い年の彼女の声に、かすれがあったり、高音が出なくなったりしていることを感じる。私もこの数年、めっきり歌が歌えなくなってきた。ギターを弾きながら昔の歌を歌っていても声が出ない。
人は誰でも年をとる。60代半ばとしては驚異的な若さを誇るユーミンでもそうだ。年をとってきて見えてくること、感じることや、年をとって失うこともある。そんな変化を味わい時には楽しむことが人生の妙味なのかもしれない。人生の窓辺からは、いつも春の気配が感じられるとよいのだけれど、なかなかそうはいかない。

#ユーミン  #Yuming Chord












2021年01月28日

ワクチンナショナリズム

コロナVの感染者数が、全世界でついに1億人を超えた。日本国民全員が感染した状態と、ほぼ同じだということになる。本当に恐ろしい事態である。
世界に比べて、比較的感染を抑え込んでいるというような評価もあったわが国も、今や危機的状況が進行している。病院などの医療体制は、パンパンの状態だ。医療に携わる人たちは、自らも感染するリスクと日々向き合いながら、目いっぱい働いていらっしゃる。しかし、もはや追いつかない状態になりつつある。感染者を受け入れることも限界になり、他の病気への治療も対応できないというような事態が起きている。
緊急事態宣言が出されても、国民の感覚が、悪い意味でコロナに馴れてしまったためか、全体としての切迫感が希薄になっているのではないかと懸念する。

こうした感染拡大に対して、現状もっとも期待できる対抗策がワクチンである。その接種が世界中で始まり、日本でも接種に向けた準備の真っ最中であるが、ここへきてワクチンの市場構造(と言ってよいかわからないが便宜上これで)に変化が起きている。アメリカやイギリスの製薬メーカーが開発に成功したというニュースを聞いた時に、これは、早晩世界中で取り合いになるのではないか?と思っていたが、やはり世界中で争奪戦や自国優先の動きが起きているという。
イスラエルは、世界トップクラスの接種率になっている。これは、イスラエルが、お金を持っているということで、高い金額でワクチンを買い占めた結果だという話もあるらしいが、あながち嘘ではないようだ。

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「ワクチンナショナリズム」という言葉も生まれているようだ。これは、WHOの例のヒゲのご仁もスピーチしていたが、先進国と発展途上国との間で、ワクチンの接種環境に差が出てきたり、ワクチンを製造している国が自国への供給を優先して、契約している他国への供給が遅れたりしているというような事態になっている。
アメリカやイギリスなど感染者数が多い国では、自国を優先したいという気持ちも、むべなるかなとも思うけれど、日本にもそのナショナリズムが影響を及ぼしたのか、接種予定が当初の見込みから遅れそうだという。
ナショナリズムは、国家主義や国民主義などと訳されているが、国粋主義という言葉もあった。この言葉には、国際紛争を引き起こすような、きな臭い匂いが伴う。世界中が一致団結して立ち向かうべきコロナウィルスだが、そこにおいても、国家間の争いを招くような、ナショナリズムが起きてしまうことは、なんとか避けてもらいたいと願う。

ローマ教皇は、こうおっしゃったという。「私たちは皆、同じ船に乗っていて、一緒に漕ぐことを求められている」と。













2021年01月27日

ETVのすすめ

近頃は、ETVを見ていることが多い。というか、家事をしながら眺めている。
午前中は、キッチンのTVで「きょうの料理」などを見ながらランチや夕食の献立イメージを頭の中でぼんやりと考えたりする。そして、ランチを食べながら、「100分で名著」などを見ている。このところの資本論のシリーズは、なかなか興味深くて、マルクスって実はこんな内容だったんだ!と大学時代には今ひとつピンとこなかった(といっても、授業の関係でちょっと読んだだけで、それほど勉強したわけではないが)マルクスの新たな魅力に驚いたりもした。
あるいは、「にっぽんの芸能」を見て、先日の堅田さんの回のような感動に思いがけず出くわしたりする。そういえば、年明けすぐに放送された神田明神での幸四郎の三番叟も、なかなか意欲的なパフォーマンスで圧巻の踊りだったなあ。幸四郎は、昨年放送された踊りの企画「幸四郎プロジェクト「夢追う子〜ハレの日への道しるべ」」という試みでも、ものすごく見ごたえのある踊りを披露していて、あらためてその芸のすごさにびっくりした。神田明神の下の写真が、そのプロジェクト映像である。(これについては、また別の機会に書いてみたい)
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昨日と今日の午後は、ハートネットTVという番組で、介護百人一首というのを初めて見た。介護をしている人たちの詠んだ短歌を中心に構成された番組で、介護をしている身としては、非常に実感できる内容が心に響いた。万葉集を研究されていて、ご自身も介護経験があるという奈良大学の上野先生という方も、なかなか軽妙なしゃべりで面白かった。しかし、残念なことに14年も続いたというこの番組は、偶然にも今日が最終回とのことであった。
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余談であるが、先日から発表されているNHKの経営改革のせいではないと思うけれど、長く続いた良い良い番組が、ラジオでもテレビでも消えていくような気もするのは気のせいだろうか。

ともあれ、平日の昼間、民放のつまらないワイドショーを見るよりは、ETVをつけっぱなしにしていたほうが、はるかに素晴らしい学びの機会や発見に出会えると思う。
ETVの制作者たちは、みんな非常に意欲的に番組作りに取り組んでいる。
「ミッツカール、Eテレ!」













2021年01月26日

やさしい里芋

里芋は、やさしい。里芋は、すぐに柔らかくなり、食感がやさしい。歯の悪いお年寄りにもやさしい。おなかにやさしい。血圧を下げる効果があるなど体にもやさしい。
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そんな優しさのつまった里芋を煮ている。いつもは、単品で煮るのが好きなのだが、こんにゃくが残っていたのを思い出してそれも入れた。ゴボウの残りも少しあったのでそれも入れた。いつもの味にごぼうの風味が加わって一味違う味わいだ。まあイモ煮だと思えば良い。ジャガイモの煮っころがしも好きだが、里芋には独特の滋味がある。土のエネルギーを感じさせる。たしかに力のある野菜だという気がする。

実際体に良い野菜で、ちょっと検索してみると、血圧やコレステロールを下げる効果や肝機能を強化するとか、食物繊維が豊富でダイエットにも良いなどなど、その効能の多さに驚く。もともと里芋煮は好物だったが、血圧を下げるなど体に良いということをテレビで見て、60代になって血圧が高くなったこともあり、できるだけ食べるように心がけている。とはいえ、富山県の場合、スーパーで売っている一袋の量がけっこう多くて、老人二人ではなかなか食べきれない。少量で売っているものを見つけた時に買うようにしている。
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衣被(きぬかつぎ)という言葉がある。平安時代の女性が外出するときにかぶった布のことだが、里芋の小芋を、皮に切れ目を入れてそのまま蒸すと、皮がつるりとむける様子が似ているということから、小芋のことをそう呼ぶのである。日本人ならではの、なんとも風情のある言い方である。
私は、衣ではなく、体に良いという縁起をかついで?里芋煮を肴に、今宵も一献かたむけるとしよう。

#里芋 #衣被












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