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2022年07月29日

日々是好日を祈る

このところ、コロナや、政治的なことなど日々のくらしについてあまり書いていなかったことに気づいた。今日は、私の一日のことなどを書いてみたい。

私の一日は、6時半頃に起床し、7時過ぎにキッチンへ「出勤」するところから始まる。
父のきざみ介護食と私用の2種類の食事を並行して作りつつ、まず先に私の食事をパっと済ませる。腹が減っては介護ができぬ。

220729私の朝食イメージ.jpg
(私用の朝食)

220728父朝食.jpg
(父用のきざみ介護食)

次に父を起こし朝食を食べさせる。誤嚥に気を付けながら少しずつ食べさせる。終わって食器の後片付けをしたら今度は洗濯。最近の自動式洗濯機でなく、父が使ってきた二層式なので、キッチンに居て、新聞を読みつつ、すすぎや脱水などのたびに対応しながらの作業となる。二層式は不便だと思う人も多いだろうが、使い慣れると、水の汚れ具合を確認したり、洗濯中に、別に手洗いした洗濯物を脱水できるなどけっこう便利な点も多く、いまだに二層式が売られていることも納得できる。
洗濯物を干すともう11時。お茶などを飲んで一息つきながら新聞に目を通していると、もう昼の支度の時間になる。

11時半になるとお昼の支度を始める。これもまた、私の食事と父の食事の二種類を作るが、自分用のランチは、手早く麺類を作ってすますことが圧倒的に多い。朝同様に、自分の食事を手早くすませてから父の食事の世話をする。
以前は、昼前にオムツ交換をしていたのだが、やはり自分の食事前にそういう作業をすることには、多少精神的な抵抗感もあるのと、食事をするとやはり父が催すことが多いので最近は、食事を食べさせてからオムツ交換の作業をすることにしている。
だいたい13時半前後に30分ほどかけてオムツ交換作業をすると14時頃になる。
この時間から夕方までが、比較的父も落ち着くので、買い物など近くに出かけたり、家での作業などの時間に使っている。3〜4時間だけの比較的自由な時間というわけだ。

夕方4時頃になると、夕食にパンを食べる日には、パン生地をこねて仕込んでおく。発酵時間を含めてちょうど6時過ぎには生地が出来上がり、18分ほどで焼きあがるので、夕食に焼きたてのパンを楽しむことができる。

5時過ぎからだいたい夕食の支度を始める。父は、一人暮らしの頃から5時半頃に近所のなじみの飲み屋で酒とつまみを少し楽しんでから帰宅し、家でまた自分で作ったつまみを食べながら一杯飲る習慣になっていた。そうしたこともあって、五時半過ぎから「酒をくれ、飯をくれ」と言い始める。だから、6時過ぎには夕食を出すようにしているので、私も同じような時間帯で晩酌をするようになった。

5時半過ぎに2種類の夕食を作りながら、その日最初の口明けの一杯として、マティニ・オンザロックスを作り楽しむ。これが、夜に向かう自分への大切なスイッチである。

午後のオムツワークも終わって、これからほんのひと時が、自由な時間。
日々是好日、とはいかないけれど、一日でも多く、好日を過ごしたいと思っている。
さて、今夜の夕食は、何にしようかな?

2022年07月22日

ああ、そういうことなんだ

1977年6月、会社の新人研修を終えて配属式に出た私は、次々と発表される我々同期60数人の配属先を聞きながら、緊張していた。私の配属先は、第4本部という営業本部であった。

そうか、やっぱりコピーライターじゃないんだ、とがっかりしたような気もするが、もはや半世紀近くも前のことなので、記憶は定かではない。(今にして思えば、もしコピーライターだったら、とうてい才能が追いつかなかっただろうと思う)
そして、式が終わると、配属先の上司が次々と我々を人さらいのように、配属先に連れて帰った。私は、同じ局に配属となったマーケティングのN君と一緒に、その局の責任者である本部長と一緒に車に乗せられた。

3人で車に乗り、まず何か言わなきゃ、とN君と顔を見合わせながら、ほぼ同時に、「よろしくお願いします。」と頭を下げた。それ以上は、緊張で言葉が続かなかった。
局長は、「おお」とだけ言われたような気もするが、それも定かではない。
それが、のちに、前職の会社の社長になられた東海林さんであった。

私の入った会社は、上司を「○○さん」と呼ぶことが慣習となっていた。局長は、その部門の最高責任者であるわけだが、先輩はもとより、新入社員の私も、東海林さん、と呼ぶことが当たり前であった。
東北出身の東海林さんは、クリエイティブ出身でありながら、営業責任者になったということで社内のみならず、業界でも当時ちょっとした話題になっていた。

その東海林さんが、今年の2月にお亡くなりになった。恥ずかしながら、新聞記事を見落としていたようで、亡くなられたことも少し経ってから知ったのだが、葬儀というかお別れの会などはもう終わったものだと思っていた。
それが、数日前にFBの知人の投稿で、東海林さんのお別れの会に行ってきました、というのを見て、「え、最近行われたの?」と大慌てで情報収集すると、確かに先週行われていたことを知った。なんということか!人生最大の不義理をしてしまった!無念!

年をとると、父母を失い、叔父や叔母を失うなど、色々な人たちとの別れを経験することになる。そして、子供の頃から知っていた人たちの次に、社会人になってからお世話になった方々の訃報に接することになる。これまでも何度もそうした悲しい報せを耳にしては泣いた。

入社した時に配属された部の部長が亡くなられたのはもう10年近く前ではないかと思うが、今回は、その時に続く大きなショックであった。

血縁関係にある人がいなくなることの悲しみと、社会に出て一緒に仕事をしてきた人たちが亡くなる悲しみは、また少しニュアンスが異なる。

一昨日は、FBの友人から送ってもらった東海林さんの言葉というお別れの会で配られた本の写真を見ながら、たくさん聞いてきた東海林さんの言葉を思い出していて涙が出てきた。びしょ泣きしながら、いっぱい水割りを飲んだ。

そして昨日は、前職のつてをたどって、東海林さんの言葉の小冊子を入手することができた。
ほとんどが、役員から社長時代の言葉のようだったが、そういえばこんなことを仰っていたなというものもあった。
ページをめくっていると、東海林さんの写真も掲載されているので、酒の酔いも手伝って、またびしょ泣きになってしまった。
220722東海林さんの言葉.jpg

そうか、こういうことか、年を取ることは、たくさんの別れを経験することだが、社会人になってから強烈な影響を受けた人の死は、血縁とは異なる種類の大きなショックであった。

田舎での結婚式にも来ていただいたし、富山営業時代にもお越しいただき、「そうか、蓑島も、少しえらくなったんだな」とからかわれた。

ぼくとつな雰囲気の東北弁が最後まで抜けなかった人だが、温かみがあり、時に鋭くもあるその語り口は、とても魅力的で、社内外の人の心をしっかりとつかまえていた。

「広告は、夢づくりなんじゃないか、私はそう思う。
 広告会社の夢が縮んでいては、仕事にならない。
 我々自身に夢がないのは、職務怠慢ではないか」

お別れの会の情報をキャッチし損ねた私に対して、東海林さんは、天国でこう仰ってるかもしれない。「蓑島は、粒ちがいだと思ったが、粒まちがいだったかもしれない?」などと皮肉っぽい目で、きっと笑っておられるに違いない。

享年88歳。
東海林さん、お世話になりました。最後までダメな私でしたが、本当にありがとうございました。合掌。
#東海林さん

ああ、そういうことなんだ

1977年6月、会社の新人研修を終えて配属式に出た私は、次々と発表される我々同期60数人の配属先を聞きながら、緊張していた。私の配属先は、第4本部という営業本部であった。

そうか、やっぱりコピーライターじゃないんだ、とがっかりしたような気もするが、もはや半世紀近くも前のことなので、記憶は定かではない。(今にして思えば、もしコピーライターだったら、とうてい才能が追いつかなかっただろうと思う)
そして、式が終わると、配属先の上司が次々と我々を人さらいのように、配属先に連れて帰った。私は、同じ局に配属となったマーケティングのN君と一緒に、その局の責任者である本部長と一緒に車に乗せられた。

3人で車に乗り、まず何か言わなきゃ、とN君と顔を見合わせながら、ほぼ同時に、「よろしくお願いします。」と頭を下げた。それ以上は、緊張で言葉が続かなかった。
局長は、「おお」とだけ言われたような気もするが、それも定かではない。
それが、のちに、前職の会社の社長になられた東海林さんであった。

私の入った会社は、上司を「○○さん」と呼ぶことが慣習となっていた。局長は、その部門の最高責任者であるわけだが、先輩はもとより、新入社員の私も、東海林さん、と呼ぶことが当たり前であった。
東北出身の東海林さんは、クリエイティブ出身でありながら、営業責任者になったということで社内のみならず、業界でも当時ちょっとした話題になっていた。

その東海林さんが、今年の2月にお亡くなりになった。恥ずかしながら、新聞記事を見落としていたようで、亡くなられたことも少し経ってから知ったのだが、葬儀というかお別れの会などはもう終わったものだと思っていた。
それが、数日前にFBの知人の投稿で、東海林さんのお別れの会に行ってきました、というのを見て、「え、最近行われたの?」と大慌てで情報収集すると、確かに先週行われていたことを知った。なんということか!人生最大の不義理をしてしまった!無念!

年をとると、父母を失い、叔父や叔母を失うなど、色々な人たちとの別れを経験することになる。そして、子供の頃から知っていた人たちの次に、社会人になってからお世話になった方々の訃報に接することになる。これまでも何度もそうした悲しい報せを耳にしては泣いた。

入社した時に配属された部の部長が亡くなられたのはもう10年近く前ではないかと思うが、今回は、その時に続く大きなショックであった。

血縁関係にある人がいなくなることの悲しみと、社会に出て一緒に仕事をしてきた人たちが亡くなる悲しみは、また少しニュアンスが異なる。

一昨日は、FBの友人から送ってもらった東海林さんの言葉というお別れの会で配られた本の写真を見ながら、たくさん聞いてきた東海林さんの言葉を思い出していて涙が出てきた。びしょ泣きしながら、いっぱい水割りを飲んだ。

そして昨日は、前職のつてをたどって、東海林さんの言葉の小冊子を入手することができた。
ほとんどが、役員から社長時代の言葉のようだったが、そういえばこんなことを仰っていたなというものもあった。
ページをめくっていると、東海林さんの写真も掲載されているので、酒の酔いも手伝って、またびしょ泣きになってしまった。
220722東海林さんの言葉.jpg

そうか、こういうことか、年を取ることは、たくさんの別れを経験することだが、社会人になってから強烈な影響を受けた人の死は、血縁とは異なる種類の大きなショックであった。

田舎での結婚式にも来ていただいたし、富山営業時代にもお越しいただき、「そうか、蓑島も、少しえらくなったんだな」とからかわれた。

ぼくとつな雰囲気の東北弁が最後まで抜けなかった人だが、温かみがあり、時に鋭くもあるその語り口は、とても魅力的で、社内外の人の心をしっかりとつかまえていた。

「広告は、夢づくりなんじゃないか、私はそう思う。
 広告会社の夢が縮んでいては、仕事にならない。
 我々自身に夢がないのは、職務怠慢ではないか」

お別れの会の情報をキャッチし損ねた私に対して、東海林さんは、天国でこう仰ってるかもしれない。「蓑島は、粒ちがいだと思ったが、粒まちがいだったかもしれない?」などと皮肉っぽい目で、きっと笑っておられるに違いない。

享年88歳。
東海林さん、お世話になりました。最後までダメな私でしたが、本当にありがとうございました。合掌。
#東海林さん

2022年07月17日

判官びいきと国葬論

安倍元総理の葬儀が終わったと思ったら、岸田総理が、安倍さんの国葬を行うということを発表した。国葬、つまり、国が行い、費用も全額国が持つ葬儀で、これまでは、吉田茂さんの時にしか行われていない。
その理由としては、安倍政権は、日本政治史上最長の政権であったことや国際的な活動をはじめ、様々な実績を上げた総理であったからだという。

吉田首相の葬儀については、戦後混乱期に復興の重責を果たした宰相であり「国民あげて冥福を祈る」べきであるという号令のもとで国葬となったようだ。詳しいことは、私も不勉強でまだ調べ切れていないので、この機会にもう少し個人的には勉強してみたいと思う。
しかし、いずれにせよ、安倍さんについては、功罪をあわせもつ政権でもあった。
未解決の「罪」?もいろいろある。やはり、国会なり外部を交えた専門家会議などで、きちんと議論したうえで、そうすべきかどうかを決定すべきであろうというのが、大多数の国民の思いではないか?
220717安倍元総理国葬.jpg
(ヤフーニュースより)

現在、元総理の葬儀については、内閣と与党、つまり自民党による合同葬というのが慣例となっている。それを、安倍さんについては、何の議論もなくいきなり国葬にしよう、というのは、私もそうだが、やはり違和感を感じる国民が多いのではないか?

「判官びいき」という言葉がある。日本人は、伝統的に、思いがけず不幸な運命にさらされたような非業の死を遂げた人を、身びいきしてしまうようなところがある。
選挙演説中に、銃撃によって亡くなったという衝撃的な事件は、安倍さんの功罪の「罪」の部分を薄めて、「可愛そう、考えてみたらあの人も拉致問題や国際関係などで、よく頑張ったよね」という思いが、悲劇の死によって強まってくる。
世界中の首脳からこれだけ弔いの言葉が集まったことで、実は、思いのほか世界から高い評価を受けていたと人ということにけっこう驚いた国民も多いと思う。
確かに、これほど世界中の大統領などから弔意を受けた日本の首相は、これまでも、そしておそらくこれからもないのではないか?

国葬となれば、あらためて世界の首脳が日本に集まる理由付けにもなる。エネルギー問題やロシアに対する今後の対応などを含めて、安倍さんの葬儀を使いながら、世界各国の首脳と話をする機会にもなる。まさに弔問外交である。
岸田総理の国葬の話には、そうした考えも見え隠れするように思えてならない。

さらに言えば、今回の葬儀が仮に国葬で行われれば、この先、総理経験者が亡くなった時には、そのたびにどう対応するのかという基準作りが必要になるべきである。ところが、今のところその基準化というかルール化の動きも見えていない。

いずれにせよ、まだ多少時間もあるわけで、国民が納得できるような議論を尽くしたうえで決定してもらいたいというのが、おおかたの国民の気持ちであろう。
まあ、安倍さんは、骨の髄まで政治家なので、自分の葬儀をうまく使えるならどんどん使ってくれといっているかもしれないけれど・・・

#国葬 #安倍元総理国葬

2022年07月16日

コロナ第7次感染拡大

おさまりかけたように見えたコロナウィルスの流行が、あっという間に第7次と言われる感染拡大に突入している。東京では、本日、感染者は1万1千人を超え、全国でも実に11万人を超えるというこれまでのペースを上回るスピードで感染が広がっている。
220716コロナ11万人超え!.jpg

コロナが収束の気配を見せて、「もう大丈夫かな?」というムードがようやく広がり始めた矢先である。
大きな祭りやイベントも、夏休みシーズンを前にして、復活開催のニュースが全国から伝わってきていた。
感覚的には、この半月くらいほどで爆発的に増えたように思う。

今日現在、政府としては特別な規制を行うことは発表していない。しかし、今月末には、学校が夏休みに入り、人の移動の加速が始まる。3年近く我慢していた旅行を、今年はぜひ、という人は日本中にいることだろう。しかし、ウィルスは、その機に乗じて広がるだろう。

私は、呼吸器疾患で肺を手術した人間で、しかも前期高齢者である。
私の主治医は、「絶対にコロナにかかっちゃ駄目ですよ。あなたは、間違いなく命の危険にかかわるから」といつも言ってくれる。こんなふうに本人に率直に言う主治医もなかなかだと思うが、それはその通りで、本当に心配してくれているからこそだとありがたく思っている。

私は孫がいないけれど、3年もお孫さんと会っていなかったら、テレビ電話でなくてじかに会いたいと思うだろう。それはきわめて自然なことだ。
しかし、やはり、そうした思いと移動が、結果的には、さらなる拡大をもたらすのはおそらく間違いないことだろう。

私も、8月頃に東京の家に帰ろうと思っていたが、今は躊躇している。
コロナウィルスとの「つきあい」も、もう3年ほどになる。まるで人類をあざ笑うかのように、次々と変異を繰り返し人間を困らせ続けるこのウィルスとの戦いには、まだ終わりは見えていない。
#コロナウィルス #第7次感染拡大

2022年07月14日

自作銃の報道への懸念

安倍元総理の葬儀も終わり、犯人への聞き取りも進んできて自作銃に関する情報や、銃弾や火薬などについても色々な情報が出始めた。

事件が起きたときに、自作銃ではないか?と私もいち早くSNSに投稿したが、黒色火薬をネットで入手して作ったとか、空の薬きょうを買ったとか、NHKの報道ですら、そうしたことが、簡単にコメントされている。
もちろんきわめて重大なニュースで、その事実関係を明らかにすることは必要だが、こうした情報が放送されたりネットに流れたりするたびに、自作銃や黒色火薬などへの検索は、おそらく膨大な数に上っているのではないかと思う。
220714自作銃.jpg

ガンマニアに限定しなくても、物を作ることが好きな人は数多くいる。そして、当然その中には、ちょっと危ない人も含まれてしまう。
実際、ちょっと試してみようか?と考える人は、今や相当な数にのぼっているのではないかと思う。おそらく自作銃に関連した検索数は膨大な数になっていることだろう。ちょっと見ても、作り方の映像などがたくさん出てくることにあらためて驚かされる。

私も、もし20歳前後のいちばん科学好きだった頃であれば、誰かを殺傷しようとする目的ではなく、物づくりの衝動としてちょっと簡単なものを作って実験してみたいと思ったかもしれない。そしておそらく、そんな思いを持った人は、想像以上に数多く存在しているのではないかと思っている。

鉄パイプに火薬を詰めた弾のようなものを作って詰めてみたり、弾は普通のパチンコ玉などで、後ろに爆発する火薬をつめたような単純構造のものを作ったりすれば、実験してみたくなるのが、こうした工作好きの人間の性分なのである、
今回の事件の模倣犯も心配だが、実は、こうした実験好きの人たちの好奇心が、暴発による事故の増加を招くのではないかと懸念している。

自作銃による犯罪の増加は、これだけ情報が流れた今、簡単に止めることはもはやできないだろう。そして、模倣犯の増加と、ちょっとした遊び心で実験する若者などによる暴発事故も今後増えてしまうのではないかと、ニュースを見ながら心配している。
#自作銃


2022年07月12日

大葬儀と第7波

今日は、安倍元総理の葬儀が、芝の増上寺で行われた。
親族と親しい方たちの参列、といいながら、増上寺の周辺には、驚くべき数の人たちが、別れを惜しんでいた。
220712安倍元総理増上寺.jpg

もちろん、話題の場所に行ってSNSに投稿するために集まった興味本位の人も数多くいたのかもしれない。とはいえ、そうした人たちを含めて、これほど多くの人が、増上寺を出発後、その後の国会周辺から総理官邸まで、安倍氏と関わりの深い場所の沿道に集まり、元総理の最後を見送ったということはおそらくこれまでなかったのではないか。これほどの規模で、遺体を乗せた車に最後の別れが行われたケースというのは、日本の政治史においても、おそらく最初で最後ではないかという気もするがどうだろうか。

海外からの弔電や弔辞、弔問なども、これまでにない数にのぼっているという。
モリカケ問題など色々な事件や批判の多かった方だが、政治家として誠意と情熱を持って取り組んできたということは、ある程度間違いないだろうと思う。
FBをご覧の皆様からはご批判を受けるかもしれないが、憲法改正に対する考え方を別にすれば、個人的には、政治家として一生懸命仕事をした人だと思っている。、

そんな安倍元総理の葬儀の日に、東京のコロナ感染者は、1万人を超えて、1万1千あまりにのぼった。全国でも急激な感染者増となった。
220712コロナ感染者数.jpg
(NHKより)

尾身会長からは、第7波に入っているという言葉が聞かれた。
変異したウィルス、2回目、3回目のワクチン接種の効果が弱まっていることなど様々な要素が重なったのだろうが、また危険なフェイズに突入したように思う。

安倍元総理の死だけでなく、ウクライナ問題から、英国首相の辞任まで、国際政治もまたコロナウィルスと同様に、新たなフェイズに入っているようだ。

増上寺は、徳川家の菩提寺で、6人の将軍の墓所がある。
武家社会の長期政権であった増上寺で、歴代最長の政権となった安倍元総理の葬儀が行われた1日。参院選は、安倍氏の弔い合戦という言葉こそ意外に多く使われなかったけれど与党が過半数を超える勝利となった。
この先、政治の行方も、コロナウィルスも先が見えない。一体どうなるのか?
本当に先の見えない時代に突入したように感じるのは私だけだろうか?
#安倍元総理葬儀 #コロナウィルス第7波

2022年07月09日

国際社会と安倍元総理

安倍元総理は、残念ながら、昨日夕方5時3分にお亡くなりになった。
昨日の昼過ぎに私がSNSに書いたように、自作の銃で2連式のもの、というのが、その後の報道でおおむねその通りだったことは、残念ながら悲しいことでもあった。
昨日のNHKTVは、ほぼ終日このニュースに終始していた感があった。他局のメディアも同様だったように思う。

今朝は、6時過ぎからNHKBS1のワールドニュースを見ていたが、どの国のニュースもほとんどトップニュースで、安倍元首相が銃撃され亡くなったというニュースを報道していた。
220709安倍元総理の海外報道.jpg
(日経ニュースより)

いずれの国も、日本のトップとして最も長く在任して活躍し、各国との関係構築に寄与したという高評価のコメントばかりであった。
トルコのニュースでは、エルドアン大統領のコメントは、親友という言葉を使いながら、SNSなどでも長文の追悼コメントがあったのは印象的だった。また、現在西側諸国に対して強い反発を示しているロシアのプーチン大統領でさえも、思いのこもった追悼コメントを寄せていて、あらためて、国際関係へのアプローチに対して積極的だった安倍氏の8年間が、国際社会の中で日本の総理としてはこれまでにない大きな印象を残したことがあらためて感じられた。

各国ニュースの見出しには、"Assassination"(暗殺)という言葉が目立ったのが印象的だった。
また、銃規制が厳しく安全な国として世界的に高い評価を受けていた日本での銃撃による国のVIPの訃報ということで、その点に関するコメントも目についた。

今日の夕方には、奈良県警のトップが記者会見を行い、警備に不備があったことは否定できないとして非を認めていたが、確かに素人目にも背後の警備が手薄だったことは見て取れた。しかし、事件が終わってから批判したり分析することは、ある意味簡単だが、実際の現場関係者の方々が、過剰に自責の念にかられないかということも懸念している。警備の不備は冷静に分析され今後に生かされるべきだが、過剰な責任追及は、むしろ不毛となることが多い。

また、昨日も書いたが、自作の銃について、今日はニュース番組でも、いろいろと解説が行われていたが、あまりに詳しく報道することについては、やはり模倣犯の増加を招くのではないかと懸念している。
ちなみに、弾はどうやって入手したのかと思っていたが、それも薬莢を入手して手作りしたような報道があった。手作りの弾であれば、あのパイプの太さから言っても、もしかすると、殺傷力を高めるために鉄釘などを入れたのかもしれない。
今回のような手作り銃の真似をして、花火の火薬などを使って遊びで作ったりする若者が出ないことを祈っている。花火などの火薬ていどの銃でも、最も危険なことは、実は、銃を撃つ側に向かって暴発する事故である。どうか、いい加減な興味で手作り銃を作ろうとする人が増えないことを切に願っている。
#安倍元総理死去

2022年07月08日

安倍元首相、凶弾に死す

安倍元首相が亡くなられた。実は、私は彼と同い年で(改憲などの考え方では相容れないところが多かったけれど)最初の総理就任当時から同世代として多少のシンパシーを感じていた。
残念無念である。心からご冥福をお祈りしたい。
220708安倍晋三氏死す.jpg
(ヤフーニュース)

今日の午後、NHKのニュースなどで放送される少し前に、もしかすると手製の銃ではないかとfacebookにも投稿していたのだが、やはり手製の銃による狙撃だったようだ。
私は、高校生くらいまで銃が好きで、拳銃のプラモデルを作ったり、モデルガンもいくつか買ったりしていた。プラスチック製の「つづみ弾」を発射するライフル型のおもちゃなども買っていた。

散弾銃で撃たれたかもしれないという昼前の報道を聞いて、銃身の長い一般的な狩猟用の散弾銃などは、今回の現場では大きくて目立ちすぎるから、あり得ないだろうと思っていた。
犯人を取り押さえた現場映像を見ていて、黒いテープで2本のパイプを束ねたようなものが脇に転がっているのが見えたので、これは、30cmくらいの短めの銃身でバッグに入るようなもので、2発発射するタイプの自作の銃ではないかと思い、昼過ぎに手作りの銃のように思えると投稿したのである。

夜のニュースで、犯人がバッグらしきものから銃を出し発射している映像を見ると、私の想像したショートノーズの手作り銃のイメージに近いものだった。
自作の銃の場合、短めの鉄パイプなどを2本束ねて、簡単な弾込め装置と撃鉄を付ければ、2連発の銃ができる。
1発目がミスショットでも、2発目がヒットすればいいというのがこうした狙撃犯の考え方だし、自衛隊出身で、火器の構造と扱い方を学んでいれば、2発発射型の単純構造の銃なら至近距離の狙撃用に自分で作ることはさほど難しくはないだろう。

ニュース映像を見る限り、元首相の街頭演説でありながら、後方側に対する警備体制の不備は、あまりに手薄で、今後強く責められることになるだろう。おそらく県警のお偉方など責任を取らせる方は多いだろう。国際的にみて、拳銃犯罪の少ない平和な日本とは言え、やはり素人目にもあまりにお粗末な警備であったという気がする。今後は、天皇陛下の市民との触れ合いの機会などでも、警備体制が強化されることになるのだろう。

ところで、もうひとつ心配なのは、この手製の銃の構造が、今後ニュースで流れたり、ネットで広がったりしないかということだ。
単純な構造の銃というのは、乱暴な言い方をすれば、弾を込めて、弾の後ろを撃鉄で強く叩けば撃てるのである。それが自作されてしまう連鎖的犯罪が起きないかというのが、私の気がかりになっている。
どうか、図解入りで、詳しく今回の凶器を解説するような報道をしないようにしてもらいたいと思うけれど、おそらくそれは難しくて、こういうことはガンマニアなどを中心にネットなどで一気に広がってしまうだろうと思う。自作銃のマニアというのは、世界中に数多くいるし、銃を簡単に入手できない日本にも多くのガンマニアがいる。

一昔前に、モデルガンを改造して、殺傷能力のある銃を作った例が数多くあった。
そんなことにならないように、今後の報道内容には、くれぐれも慎重な対応を望みたい。
#安倍元総理死去 

2022年07月07日

コロナウィルスの逆襲?

このところ、またコロナウィルスの感染者が、全国で激増している。
わが県においても、再び200人を超える感染者が発生している。
なんだか不気味な増え方である。ついこの間までは、感染してもほとんど症状が出ないというようなムードになってきて、気が緩み、危機感も少し薄れていたように思う。

しかし今回は、何やらBA.5という新たな変異株がいよいよ日本でも勢力を拡大してきたというらしい。しかも以前のものより、熱が出たり、重症化する傾向もあったり、さらには、ワクチンがあまり効かないという話まである。
220707コロナ感染者国内.jpg
(画像は、NHKサイトより)

ウィルスの変異は、つくづくコンピューターソフトのバージョンアップと煮ている。というか、コンピューターソフトやコンピューターウィルスのあり方と発展のしかたがウィルスの変異に似ているのだ。

コンピューターウィルスも、それを防ぐワクチンソフトが出ると、さらにその力を超えるようにプログラムの形を変えて更新される。
今回のBA5という変異も、プログラムを更新して、ワクチンの効き目を乗り越えてしまうのだろうか?

夏に向けて、これまで開催を中止していた祭りやイベントが次々と開催される予定になっている。旅行需要も復活の兆しを見せ、航空業界も鉄道事業者も期待をふくらませていた矢先に、この感染拡大である。夏休みとお盆休みという大きな人の動く季節の中で、もう一度気を緩めずに個人ができる対策は最大限行う必要があるだろう。

今日は七夕である。久しぶりに祭りの七夕飾りにかけられた小学生が書いた短冊には、「コロナがおさまりますように」、とか「ウクライナの戦争がおさまりますように」と書かれていたという。子供たちの祈りが、ウィルスにも、無益な戦争にも届くことを願ってやまない。
#BA.5 #コロナウィルス
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