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2023年01月22日

大根菜と「よごし」

冬の大根はおいしい。大根おろしをすっただけでも、味が違う。そして、葉っぱの部分の味もまた違う。寒い季節に美味しくなる野菜は多い。

今朝の私の朝食のメインは、大根菜の「よごし」だった。
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よごし、と言うのは、富山弁で、味噌やゴマ味噌などで、野菜を和えたもののことである。
その昔、宮中で、やんごとなき女性が、味噌などで和えたものを「汚す」という言葉で表現したのがルーツだという説を、亡くなった方言研究科の叔父が、以前新聞に書いていた気もするのだが、どうも私の記憶が定かではない。

ナスをゴマ味噌で和えたよごしや、大根菜のよごし等が定番である。
どちらも、富山県人にとっては、ソウルフードの一つだと思うが、今の20代から30代の人たちにとってはどうなのだろうか?彼らの親御さんは、私より少し下の世代で、もしかすると、もう日常的によごしを食べる習慣は少なくなっているかもしれない。そうなると、そのお子様たちに、よごしの味が継承されている可能性も少ないかもしれない。

富山県西部は、かつて加賀藩であった。だから、県東部とは色んな事が少し文化の違いがある。しかし、よごしは、県内共通の食べ物だろうと思うのだがどうだろうか。

米食からパン食に食生活が変わると、よごしのように、ご飯のお供のような家庭のおかずは、どんどん衰退していく可能性がある。60歳以下の世帯主のご家庭で、よごしは継承されているのだろうか。私の子供たちには、たまに食べさせてはきたが、妻を含めて私以外に積極的に作ろうとする家族はいない。わが家においても、おそらくこの先には消えていく食文化になるのだろう。

そんなことを思いながら、やっぱり大根菜のよごしとご飯の相性は最高だ!と心の中で叫びながら、朝食を楽しんでいた。
#よごし #富山弁








2023年01月11日

昭和は遠くなりにけり

私が、大学を卒業してサラリーマンとしての人生をスタートしたのは、昭和52年、丸の内にあったオフィスビル勤務からであった。当時入社した会社の創業本社は、神田錦町にあったが、営業部門や制作部門などは、丸の内エリアのビルに分散して入居していた。私の初任配属先は、東京商工会議所や明治生命ビル近くの富士ビルであった。その他、有楽町ビル、電気ビルなどにも他の部署が入っていて、打合せなどでビルの間をしょっちゅう移動していた。また、ランチタイムには、丸の内界隈のビルのお店を散策するのが楽しみであった。
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BSフジ「ビルぶら」という番組がある。あの「鎌倉殿〜」で、クールな殺し屋を演じた梶原善さんが案内役となってレトロなビルを探訪する番組だ。昨日の放送では、我々OBや年配の社員にはなじみ深い丸の内エリアの有楽町ビルが取り上げられていた。懐かしいなあという思いで見始めたが、なんと再開発のために今年閉館されるとのこと。隣の新有楽町ビルも一緒に閉館となるそうで、有楽町駅前の景色が、やがて激変してしまうことになる。しかたがないこととはいえ、やはり寂しい。
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思えば、会社の発展に伴い引越の多い会社だった。私の勤務部署は、初任の富士ビルから、なぜか短期間だけ有楽町ビルに移り、その後東京駅南口の東京ビルに入り、そこから神田錦町のビルへ。私自身は、その前後に3度転勤をしたが、さらに錦町から田町のビルへ移り、そこから赤坂へと移転した。転勤を別にして、6回もオフィスを引越しているわけだ。クライアントでもあるN通さんが、大規模引越を請け負っていたが、累計で、ものすごい金額だと思う。

有楽町ビルができたのは、56年前だという。私が東京で暮らし始めたのは、大学からだから、約50年前である。その頃に見た景色、そして、街並みは今では当然大きく変化している。有楽町駅前には、そごうデパートがあったけれど、今はビックカメラになっている。その地下にあった丸の内のランチ中華の名店として懐かしい焼売の小洞天は、もうない。その他、入社した頃に昼も夜も頻繁に行っていた新東京ビル地下の明治屋、新国際ビルだったと思うが、オムライスのエーワン、肉まんが美味しかった山水楼や日比谷側にあった中華の慶楽などのお店もなくなってしまった。有楽町駅の向こう側には、日劇や朝日新聞社、カキ料理の名店レバンテなどがあったが、もうない。
学生時代に乗り換え駅として通った渋谷の東横線の駅やその周辺などは、もう何年も行っていないが、もっと激変している。テレビで見る限りは、もはや、どこに何があるのかわからなくなっていることだろう。

私も今年数え年で70歳となった。古希である。その人生の中心をなす昭和から平成への50年は、日本社会にとっても激動の50年だったと思う。東京という都市、いや日本社会が大きく変わった時代だった。
BSの番組を見ながら、あらためて、昭和が遠くなったことを感じた。
#有楽町ビル



2023年01月07日

七草がゆの朝

年末に、「みそか」というテーマで投稿をしてから、もう1週間余りも過ぎてしまった。
ということで、年明け初の投稿ということになる。

年末に入院した父も、食事を食べられるようになって、少し回復してくれたようで、ほっとしている。
大晦日には、紅白歌合戦で、桑田、Char、野口五郎、佐野元春、世良公則、そして大友康平というスペシャルコラボを見た。紅白でいちばん素晴らしい名演!とFacebookに書いたら、同様のコメントが多数あった。
そして、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートも見終わって、本日は7日、七草がゆである。毎年まではいかないけれど、この数年は、できるだけ七草を買って自分で作って食べるようにしている。今日のFacebookでも、以前投稿したことを思い出として教えてくれていた。
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今朝も、七草のセットを使って粥を作った。正月三が日にお酒を飲みすぎたり食べすぎたりした体をリセットしようという伝統的な習慣である。こうしたことはたいてい理にかなっているものだ。
「せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ、これぞ七草」。呪文のようなこのフレーズはいったいいつ習ったのか定かではないが、いまだにちゃんと脳裏に焼きついている。もっとも。せりと、すずな、すずしろ以外は、どれがどれやらよくわからないのだが。

七草を軽く茹でて水を切り、細かく刻んで、おかゆに入れてさっと煮る。緑色が美しい。
副菜は、昔のものをイメージして、田作りと香の物程度にした。昨日頂いた我が町の漬物名人の赤かぶと大根の漬物である。世界一美味しい赤かぶ漬だと思う。
味噌汁も、大根とカブだけのシンプルな具にしたが、正しい選択だったような気がする。
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寒い古民家の台所で、ひとり静かに七草がゆを頂いた。
雪のないお正月で、今日も雪がなく、昨日より多少暖かい。雪がないのは、高齢者には本当にありがたい。朝起きて、雪が積もっていないとほっとする。
七草がゆを食べながら、入院中の父も、東京の家族も、そして私自身も、健康で穏やかにすごせることをあらためてお祈りした。
#七草がゆ 




2022年12月30日

ゆく年くる年

年の瀬もおしつまり、明日は大晦日である。
このタイミングで、父が体調を崩した。食事が食べられなくなり、衰弱がひどく、年末年始をはさむので、主治医にお願いして病院に入院する手筈をとった。
昨日なんとか入院させることができて、ひとまずほっとしている。

ということで、今日は、本当は昨日までにやろうと思っていた年末の家事を行った。
正月飾りとおせちの仕込みである。
たとえひとりでも、こういうことはきちんとしたいと思っている。そうすることで、自分を律し、ゆく年を振り返り、新年への思いを新たにすることができるように思う。
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といっても、はずしたくない郷土料理のお酢和え(なます)と田作り、そして数年前から作り始めた伊達巻というくらいである。(伊達巻は、失敗して半分は出来損ないで、しかも焦がしてしまった(笑)
あとは、明日、煮しめと雑煮用の鶏肉の甘辛煮を作る。
神棚の掃除は、毎年、父と一緒に大晦日にやっていたので、今でもついそうなってしまう。
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今年も色々なことがあった。高齢の父は、年相応に老いがすすんできた。
今では、私のこともよくわからなくなってきた。寂しい。しかし、それも受け入れなければならない。
私も、体のあちこちが痛んできた。何も激しい運動などしていないのに、ひざのじん帯を痛めてしまい、びっこをひいている。寒さにも弱くなり、古民家の寒さが、昨年よりさらにこたえるようになってきた。
こんなふうに、年をとっていくのだ。それもまた仕方のないこと。うまくつきあっていくしかない。
誰かが言っていたように「老人力がついてきた」、と前向きにとらえるしかない。

来年も、父がなんとか元気で、私も東京の家族も健康でいられることが何より大切なことである。
来年が、どうぞ穏やかで良い年でありますように!
みなさまもどうぞ良いお年を。

#ゆく年



2022年12月21日

年の瀬

サッカーワールドカップが終わった。
エムバペのいるフランスと、メッシ率いるアルゼンチンによる決勝の末、アルゼンチンが優勝した。
日本は、前回第二位のクロアチアに負けて、ベスト8には入らなかったけれど、ドイツとスペインという強豪国を破って1位で予選通過し、世界に通用するサッカーであることを強烈にアピールしたという画期的な年になった。
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三谷幸喜の傑作大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も終わった。
三谷流の斬新なシナリオと、小栗旬と小池栄子、そして大泉洋をはじめ芸達者が集まったドラマは、大河の常識を覆し、感動的な兄弟のドラマとして意外な最終回で幕を閉じた。
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この2つの出来事による、なんだか大きな「ロス」感が、年末の私を、いや日本中の人をとらえた。

とにかく今年は、色々なことが起こった。12月になると新聞紙面をにぎわす10大ニュースなどの1年の振り返りを見ても、3年目を迎えたコロナウィルスとの闘い、ウクライナでは戦争が起こり、夏には安倍元首相銃撃というショッキングな事件。そして、ワールドカップと、とにかく盛りだくさんな一年であった。
そういえば清水寺で発表される今年の漢字は、「戦」であった。ウクライナでの戦いとワールドカップの戦いをかけたということのようでもある。

そうこうしているうちに、年の暮れも押し詰まってきた。
そういえば、年の瀬ともいうが、なぜそういうのかなと思って調べてみたら、年を越すことを川に見立てて瀬というらしい。何日頃から年の瀬というのかなと思っていたが、厳密には決まっていないらしい。ちょっと意外だ。
しかし、12月の初め頃に年の瀬と言われてもどうもピンと来ない。
やはり12月もあと数日、という頃合いが年の瀬というようだ。ちょうど今頃なのかな。

私も、自宅での介護生活9年目に大きな節目を迎え、父が施設に入所した。父と二人で苦労しながら暮らしてきた時間が、11月に突然順番が回ってきて激変した。
12月になって、父のいない生活にようやく慣れて来て、父のためから、自分のために生きるということを考える年の瀬になった。

瀬、と言えば、「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに 逢はむとぞ思ふ」という歌が思い出される。これは、崇徳院が1150年に、藤原定家の父である藤原俊成に命じて編纂させた「久安百首」に載せられた一首である。激しい川の流れが、岩にせき止められて別れても、また再びひとつになるという再会の恋心を表した歌と言われている。しかし、崇徳院の不遇な生涯の無念な思いを表したという説もあるそうだ。

さて、皆さんは、どのような思いをもって、一年の時間の流れの瀬を見つめているのだろうか?
ああ、そうだ、年末の大仕事、年賀状を片付けないといけない。やれやれ・・・

#サッカーワールドカップ #鎌倉殿の13人 #年の瀬



2022年12月08日

ベッドよ、ありがとう

父が特養ホームに入ったので、介護ベッドが不要になった。
約9年間お世話になったベッド。
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この半年ほどは、父の床ずれもひどくなったので、それを防止するために、自動的に体を動かしてくれるエアーマットが仕込まれた最新機種になった。ケアマネさんからすすめられて、半信半疑で導入してみたのだが、非常に効果的で、父の床ずれは大幅に改善された。
介護用品の会社に連絡しないといけないなあ、と思っていたら、ケアマネさんから連絡を受けたということで、リース会社から撤収したい旨電話があった。

撤収の連絡を受けたわずか2日後にスタッフがやってきた。その日は雨が降るという予報だったので、ベッドという大きな荷物だから、翌日の方が多少雨がやむという天気予報だったので、日にち変更しなくていいですか?と連絡したら、大丈夫ですとの回答だった。
設置した時のことをもうすっかり忘れていたけれど、全てのパーツが、ベッドサイズの1/3くらいに分解できるので、分解されたパーツは、簡単に運び出せる。
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なるほど、これなら、雨でもあまり関係ないかな、と思っているうちに、分解撤収作業はどんどん進んでいく。日本のものづくり技術と作業するスタッフの能力はすごい。

病院などで見たことのある人も多いと思うが、介護ベッドというのは、自分が実際に毎日使ってみると、つくづく良くできている。
父の体をリクライニングして起こしたり、オムツ作業をする時には少し高くなった方が介護する人間が作業しやすいのだが、わずか数十秒で適切な高さにすることもできる。
9年間本当にお世話になったなあ、と思い出しながら眺めているうちに、分解作業は完了した。わずか20分ほどの作業時間であった。

撤収の終わった部屋は、ものすごく広く感じた。"VACANT"という単語を思い出したが、この場合に適切かどうかはわからない。でも、私の心の状態にはあっている言葉のような気がした。
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「長い間ありがとうございました」と介護リースの営業担当者が頭を下げた。
いや、こちらこそ、と思った。
「本当にお世話になりました。ありがとうございます」、と挨拶をして玄関の戸を閉めた。

あ、しまった、床ずれ防止エアーマットの寝心地を自分で寝て試してみるのを忘れた・・・・
#介護ベッド




2022年12月04日

誰かのために

父が、特養ホームに入ってから、20日あまりが過ぎ、気が付くと師走になっていた。足掛け9年、父が本格的に寝たきりになってからだけでも3年弱の自宅介護生活が、ひと区切りをむかえた。
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一人になってから数日は、自分の分だけでよいのに、食事の支度をしながら、父のきざみ食を作らないと、なんだか忘れ物をしているような気分になった。
1週間くらいは、「あっ、オムツ替えなきゃ!」と思ったり、やらなければいけないことをやり忘れているような気分が続き、どこか落ち着かない時間が続いた。
そして、ずっとこまめに書いてきたブログを書かなかった。いや、なぜか書けなかった。

父の世話をしている時には、毎日がものすごく大変だった。だからこそ、やるべきことをしっかりやって、そのあいまに、自分を励ますかのように、ブログも一生懸命書いていたように思う。
料理も、「誰かのために」という思いがあると、やはり作り続けることへのエネルギーにつながるのではないか。
自分のためだけの食事を作ることは、気を緩めると、つい手を抜こうとしてしまう。カップ麺でいいか?とか、そばをゆでて食べればいいか?とかつい楽なことを考えてしまうことが多くなった。

「誰かのために」、は、実は「自分のために」でもあるのかもしれない。誰かのために、と思うことで、心を奮い立たせて、時には達成感のようなものも生まれる。ハリのようなことも、実はあるのだろう。
料理については、よくそんなことを聞く。誰かに食べてもらうことは、自分の喜びにもつながる。だから料理をするときにも張り合いがあると。
一人になった主婦が、自分のための食事だけだと手を抜くようになってしまう事が多いというのを聞いたことがある。

父が入所したことをSNSに書いた時、これまででもトップクラスの数の「いいね」を頂いた。そして、お疲れ様でした、というコメントも多数頂いた。そして、何人かの方からは、これからは自分のために時間を使ってください、というものもあった。

誰かのためにから、自分のために。そんな風に、これからの生き方を考えていこうと思う。





2022年11月09日

自宅介護生活の転機

昨日、足掛け9年におよぶ自宅介護生活に大きな転機が訪れた。
父が、地元の特養ホームへ入居したのだ。
2年前くらいから、デイサービスのケアマネージャーが、「もう、これだけ頑張って自宅介護してこられたんだから、体を壊されないうちに、そろそろホームに入られることを考えられたほうがいいのでは?」と進めてくれたいた。
申込をする気持ちになったのは、父の認知症が進んで、私のことがわからなくなったり、自宅にいるのに家に連れてってくれと連呼したりすることが多くなってきたからであった。

自宅で、私に世話をしてもらっているということがわからなくなるのであれば、施設にいても同じかもしれない。
寝たきり直前でまだ父が少し歩けた頃から、父の世話の大変さが増えてきていて、私自身、正直、心身ともに長年の疲れがおりのように溜まってきていることを実感していた。
認知症が進んで、夢と現実の区別がつかなくなって、夢で見たことを言い続けたり、食事を食べていないと、朝、昼、晩、繰り返し連呼されたりすることをたった一人で受け止めていることは、精神的にものすごいストレスとなっていた。
経験のない皆様は、ピンとこないかもしれないが、食事の世話を終えて台所に食器を下げたところで、「おーい、メシをくれ」と呼ばれ、今食べたところだと説明して台所に戻ると、また先ほどと同じことを言って私を呼ぶ。
そんなことが5分おきに5回10回と繰り返されると、想像以上に精神的にこたえるのである。
まずイライラしてくるから、こちらもつい言葉を荒げたりすることも多くなる。

ともかく、こうしたことの繰り返しは、間違いなく私の心をむしばんできていて、忍耐力も弱くなっていた。心療内科で処方いただいていた抗うつ剤がなければ、もっと早くに倒れていたかもしれない。
妻も、「パパが壊れてしまう!」と電話で悲痛な声をあげて心配してくれることがしょっちゅうだった。実は、少し前からこちらで働く仕事先を探したりまでしてくれていた。

そんなわけで、申込だけはしておこうということで、数年前に見学して話を聞いていた特養ホームに、正式に申込手続きに出向いた。
しかし、現状、相当数の方が順番を待っておられて、1年くらいかかるケースも多いということを聞いていたので、あと1年くらいは現状のまま頑張らなければいけないのかなと思っていた。
ただ、施設の入居相談担当者は、「お宅様の場合は、お父上の介護度も最も高く、また前期高齢者の息子さんがたった一人で世話を続けておられてかなり疲弊されているということで、優先度は一番高くはあります、とも言っていただいた。

私自身は、父が寝たきりになった3年前くらいから、「最後まで家で世話をしてやろうか・・」、という気持ちも強くなっていたが、一方で、もし自分がコロナなどで倒れてしまったら、その日から父の介護が滞ってしまい、大ピンチになる。
東京の家族の誰かが、仕事を休んで世話をしたりすることになってしまうだろう。
それも避けなければいけないし・・・と、思いは乱れるばかりというのが正直なところであった。

そして先週、思いがけず早く、入所可能という連絡を頂いた時に、実は心が動揺した。
せっかくのチャンスだけど、ひとまずお断りをして、やっぱり自宅で世話を続けてやろうかな、と周りの皆さんがびっくりするような気持ちもあった。
しかし、今が潮時で、これを逃せば本当に私のほうが倒れてしまうかもしれないという危機感も強かった。
結果的には、妻とケアマネージャーの2人が、これだけ頑張ったんだから、もう十分ですよ。自分を大事にしましょうと、同じようなことを言って肩を押してくれた。

幸い、施設には、父が首長時代の部下の方など父をよく知っている方が数人いらっしゃって、その点も心強かった。
思いがけず入所準備の手伝いに来てくれた娘と一緒に、施設で契約など入所手続きを行い、スタッフの皆さんと介護計画などの情報共有と意見交換会議を行った。
いずれのスタッフの方もたいへんしっかりして好感の持てる方ばかりで、安心した。
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一夜明けて、今朝は自分のためだけの食事を作った。いつもは、1.5人前の味噌汁を作るのだが、今日は1人前。味噌を入れすぎて少し味の濃い味噌汁をかみしめながら、これからは、自分のためだけの食事を用意するのだな。
父は、もう食事を食べただろうか?昨夜は、大声を出したり、メシを食べてない、と大騒ぎしなかっただろうか・・・とあれこれ思いめぐらせながら食事を食べた。
たとえ体が動かなくても、誰かのために食事を用意することと自分一人のためだけに作るのとでは、心構えも変わってくる。
しばらくは、実家と東京の家の二拠点生活を続けて、少しずつこの巨大な古民家の膨大な家財を整理していこうと思っている。私の体の動くうちに少しでも。
#自宅介護

2022年10月24日

ダウニング街10番地の憂鬱

英国のトラス首相が、在任期間わずか45日で辞任となった。もちろん歴代新記録の短さである。正直驚いたけれど、公約の経済対策がことごとく実践できる見通しが立たず撤回することになり、支持率は急落した。私は、サッチャーについで、英国を立て直す女性首相となるか?とひそかに応援していたのだが、やはり経済情勢など厳しい現実は、その動きを封殺してしまった。
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そして、ジョンソン元首相が再出馬という話も起きていたが、ついさきほど、前財務省だったスナク氏以外に立候補者がないということで、シナク氏が次期首相に決まったというニュースが入った。
実は、前回の首相選でもちょっと気になっていたのだが、インド系の英国首相というのは、おそらく英国政治史上はじめてなのではないか?その点については、英国国民の心中には、どこか割り切れないところがあるのではないかということを個人的にはちょっと心配している。

あらためて彼の経歴を見てみると、学歴も職歴も素晴らしく、非常に優秀で、経済にも強い人なのだろうということは、わかった。また、奥様は、インドの大富豪の娘さんで、スナク氏は英国でも指折りのお金持ちでもあるようだ。頭が良くて大金持ちのインド系政治家ということである。

同じタイミングで、宗教団体の問題にゆれる日本政界では、山際経済再生相が先ほど辞任した。
実質的な更迭ということのようだが、辞任させるタイミングは遅すぎたと思う。
安倍元首相の死によって持ち上がった統一教会問題は、政界を揺るがす大事件となっている。安倍さんの残した思いがけない置き土産である。

円安はとどまるところを知らず、日銀が公表せずに水面下で二度目の介入をしたと思われるが、その効果も短期的なものにとどまるのではないか?日本経済も方策の見通せない局面に入っているようだ。
英国と日本だけでなくアメリカの経済環境もインフレによって揺れに揺れ、バイデン大統領を含めた与党への批判も高まるばかりだ。
コロナ、そしてロシアのウクライナ侵攻という世界的な問題によって、国際環境は激変した。いずれの国も、トップの力だけではとうてい解決できない社会構造となり、政治の流動化は進むばかりだ。

その中で、中国では習近平氏がルールを破って69歳にして3期目の政権トップとなった。台湾問題、ロシアや北朝鮮との距離感などこの国もまた微妙な動きを続けている。
プーチンが引き金を引いた一方的な戦争は、もはや、手が付けられないといってもよいくらいに国際関係を崩壊させ、国際社会を激変させた。

英国のシナク新首相も、岸田首相も、バイデン大統領も、とんでもないタイミングにトップの座についているという点については、同情を禁じ得ない。

世界の行方が、本当に見えない時代に入ってきているようだ。
ダウニング街10番地の新たな主も、どこまで国内経済の課題解決ができるか・・その憂鬱は、英国にとどまらず、今や世界中に広がっている。

#シナク新首相 #ダウニング街10番地




2022年10月21日

オリンピック汚職事件

オリンピックをめぐる贈収賄事件は、電通にはじまり、AOKIトップ、カドカワ会長、そして大広、ADKと広告業界大手の関係者も次々と逮捕されています。
私も、つい最近、近所の方に、「広告業界というのは、けっこうすごいことをする業界なんですね」と言われたこともありました。

しかし、くれぐれもご理解を頂きたいのですが、広告業界自体は、決して悪の温床ということではありません。ほとんどの人間は、広告と仕事を愛し、身を粉にして一生懸命働いています。また近年は、社会のために役立つコミュニケーションの仕組みを考えたりする公共的な仕事も多くなっています。

そもそも、広告業というのは、明治の頃の草創期には「広告取次業」とも呼ばれ、人と人をつなぎ、面倒な手続きなどを肩代わりして広告を取り次ぐことによって手数料を頂戴するということが基本という商売から発展してきました。江戸時代の「口利き屋」のようなところもあって、広告の取次とあわせて、大きな催事(つまりイベントですね)の人の手配や準備などをしたりもするようになりました。その意味では、「人脈」を作り、それを生かして「仕切り・差配」して稼ぐというのは、いわば広告業界の本業でもあったわけです。
高橋氏を弁護するつもりはありませんが、おそらく彼にとっては、これまで電通で長年やってきた仕事=人脈ルートをフル活用して取引をまとめる、ということをやったに過ぎない、という思いがあるのではないかと思います。ただ、広告会社にいるのと大きく異なる点は、オリンピックに関わる団体の理事は、公務員に準ずる立場であり、また、見返りのコンサル料は、あまりに巨額で、その授受などについても意図的に不透明な点の多かったことついては、やはり、逮捕されるべきものであったと思います。
私がサラリーマン時代にも、コンペで電通に負けたときには、思いがけない人脈からキーマンを落としたとか、ちょっとした仕掛けをして取ったとか〜そのパワフルなやり方に舌を巻いたことも数多くありました。
しかしながら、もう一度声を大にして言いたいのですが、広告業界自体は、決して悪人の集まりではありません。

どんな業界にも、必ず悪の因子を持った人というのは存在してしまうものです。
江戸の昔の越後屋のたとえではないですが、権力とくっついて、なにかお金がもうかりそうだという話に食いつくという例は、枚挙にいとまがないのです。
どうぞ、くれぐれも、広告業界自体を悪の温床のようには決して思わないで頂きたいと心から申し上げたいと思います。
そして、OBとして、前職の会社の名前が、この先ニュースには出てこないことを信じております。そう願っております。

#東京オリンピック贈収賄事件
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