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2023年01月11日

昭和は遠くなりにけり

私が、大学を卒業してサラリーマンとしての人生をスタートしたのは、昭和52年、丸の内にあったオフィスビル勤務からであった。当時入社した会社の創業本社は、神田錦町にあったが、営業部門や制作部門などは、丸の内エリアのビルに分散して入居していた。私の初任配属先は、東京商工会議所や明治生命ビル近くの富士ビルであった。その他、有楽町ビル、電気ビルなどにも他の部署が入っていて、打合せなどでビルの間をしょっちゅう移動していた。また、ランチタイムには、丸の内界隈のビルのお店を散策するのが楽しみであった。
230111びるブラHP.jpg

BSフジ「ビルぶら」という番組がある。あの「鎌倉殿〜」で、クールな殺し屋を演じた梶原善さんが案内役となってレトロなビルを探訪する番組だ。昨日の放送では、我々OBや年配の社員にはなじみ深い丸の内エリアの有楽町ビルが取り上げられていた。懐かしいなあという思いで見始めたが、なんと再開発のために今年閉館されるとのこと。隣の新有楽町ビルも一緒に閉館となるそうで、有楽町駅前の景色が、やがて激変してしまうことになる。しかたがないこととはいえ、やはり寂しい。
230111有楽町ビル外観.jpg

思えば、会社の発展に伴い引越の多い会社だった。私の勤務部署は、初任の富士ビルから、なぜか短期間だけ有楽町ビルに移り、その後東京駅南口の東京ビルに入り、そこから神田錦町のビルへ。私自身は、その前後に3度転勤をしたが、さらに錦町から田町のビルへ移り、そこから赤坂へと移転した。転勤を別にして、6回もオフィスを引越しているわけだ。クライアントでもあるN通さんが、大規模引越を請け負っていたが、累計で、ものすごい金額だと思う。

有楽町ビルができたのは、56年前だという。私が東京で暮らし始めたのは、大学からだから、約50年前である。その頃に見た景色、そして、街並みは今では当然大きく変化している。有楽町駅前には、そごうデパートがあったけれど、今はビックカメラになっている。その地下にあった丸の内のランチ中華の名店として懐かしい焼売の小洞天は、もうない。その他、入社した頃に昼も夜も頻繁に行っていた新東京ビル地下の明治屋、新国際ビルだったと思うが、オムライスのエーワン、肉まんが美味しかった山水楼や日比谷側にあった中華の慶楽などのお店もなくなってしまった。有楽町駅の向こう側には、日劇や朝日新聞社、カキ料理の名店レバンテなどがあったが、もうない。
学生時代に乗り換え駅として通った渋谷の東横線の駅やその周辺などは、もう何年も行っていないが、もっと激変している。テレビで見る限りは、もはや、どこに何があるのかわからなくなっていることだろう。

私も今年数え年で70歳となった。古希である。その人生の中心をなす昭和から平成への50年は、日本社会にとっても激動の50年だったと思う。東京という都市、いや日本社会が大きく変わった時代だった。
BSの番組を見ながら、あらためて、昭和が遠くなったことを感じた。
#有楽町ビル



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