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2023年03月18日

弔問客の置き土産

早いもので、父が亡くなって一ケ月以上が過ぎた。
しかし、ありがたいことに、葬儀に参席できなかったという方が、今でも時々お越しになる。


昼前に、我が町の山際の集落にお住まいのおばさまが、父の葬儀にお参りできなかったからと言って、お菓子を持って訪ねて来られた。
四十九日前なので、飾ってある祭壇にお参り頂き、いったん帰られたのだが、夕方再びお越しになり、ビールとカップ麺とお茶とクッキーを届けて下さった。
よほど私が、あわれに見えたのだろうか(笑)
いやいや。おそらく、スーパーで買い物をされてる時に、ふと私のことを思い出して買い足されたのではないかと思う。
230318弔問客のプレゼント.jpg

ビール缶、サッポロ一番という強烈なブランドイメージを持つカップ麺ひとつ、茶葉、そしてクッキー。・・・お酒とラーメンとお茶とお菓子。・・・そのチョイスには、「ああ、寂しいだろうから、何かしてあげなければ・・」という温かい思いやりが見えてくる。これこそが、田舎ならではのコミュニティのつながりなのだろう。
ちなみに、この方は、私の中学の同級生の叔母さんで、私の顔を見て、何度も「あー、久しぶりに顔を見たらお父さんによう似とる」と何度も繰り返しておられた。


スーパーの袋に入って無造作に玄関に置かれた頂きものを眺めながら、ああ、私はいい町に生まれ育ったんだなあ、とほっこりした。
ちなみに、父の四十九日は3月27日だが、4月2日に身内だけで法要を行う予定である。
四十九日という時間の経過は、心を含めて、色々な事が一段落する長さなのだなあとしみじみ感じている。

#弔問客

2023年02月28日

名建築の中の素晴らしき時間

先週末は、親戚の結婚式があり、久しぶりに東京に帰ってきた。
数年前のリニューアル後、なかなか訪れる機会のなかった老舗ホテルが式場だった。
そこは、私にとって、公私ともに縁の深いホテルでもあった。

そして、結婚式も披露宴も心温まる素晴らしいものであった。

父の葬儀に至るまで、叔父や叔母など数多くのかけがえのない人たちを次々と見送ってきた。この数年は、悲しいセレモニーばかり経験してきた。
そんな時間の中での、久しぶりの結婚式。
別れのセレモニーではなく、未来につながる出会いの場。
おめでとうございます、という言葉に満ち溢れたお祝いの時間。
ああ、ハレの場というのは、なんと素晴らしいものなのだろう、あらためてそう感じた。

少々年を重ねた新郎新婦の式だけに、とても落ち着いた好ましいものであった。
それも心地よかった。
お相手のご親戚を紹介され、上司や同僚、友人の皆さんを拝見していると、とても良縁であることがあらためて実感できた。お若い方の式とは異なり、歌や大騒ぎもなく、スピーチも、しかるべき方が、各々心のこもった祝辞を述べておられた。そして、お開きとなる直前の新郎の御父上のスピーチもまた秀逸であった。私がこれまで聞いた同様のスピーチの中ではベストといえるもので大変に心を打たれた。

オークラロビー.jpg

心温まる式が終わり、リニューアルされたホテルの名物であるロビーに向かった。
私にとっても、数々の思い出のあるロビーだ。
名建築家谷口吉郎氏の傑作と言われてきたロビーは、今回の改修においても、その雰囲気が継承され再現されたと聞いていた。足を踏み入れると、思わず驚きと喜びの声をあげてしまった。そこには、かつての美しいロビーが見事に再現されていた。
以前の建物を設計した谷口吉郎氏の息子である谷口吉生氏は、父の仕事を、真摯に正確に捉え、それをできる限り生かしながら、見事に現代の味わいに昇華した。

ソファに腰を下ろし、かつて何度も訪れたロビーとほとんど変わらぬ空間の中に浸りこんだ。実は色々なご縁もあって、そこは、仕事でもプライベートでも何度も訪れたロビーであり大好きな場所だった。なんと気持ちの良い空間だろうか。昔と変わらぬ雰囲気が再現されていることに胸を打たれた。

結婚式では、先方のご親戚の小さなお子様を見て、妻の姪である新婦がかつて我々の式の時に同じような小さな子供であったことを思い出したといって、妻がしみじみと親御さんに語っていた。
ああ、こういうことが人生の妙なのだなあ、と親子二代の建築家の傑作であるロビーに座りながら強く感じていた。

式が終わり、着替えを済ませた妻と娘と一緒に、これもまた名物であるホテルのバーに寄った。店内に入ると、昔と変わらぬたたずまいに驚かされた。カウンターでなくラウンジ席に座ると、見覚えのあるテーブルがあった。「これ、もしや昔のテーブルと同じじゃないですか?椅子も?・・」そうスタッフに問いかけると、やはり昔の素材を使ってリメイクしたものだという。ちょうど我々が座った席は、かつて上司と一緒に、ホテルでの仕事を終えて飲んだ席と同じ位置だった。娘にそんな話をした。バーカウンターの背面部分も昔の雰囲気である。
妻はダイキリを、娘は珍しいライウィスキーのカクテルを、そして私はビーフィーターのジントニックを頼んだ。なんだかとてつもなく嬉しくなった。

バーを辞し、少し酔いが回っているのを感じたので、3人でタクシーに乗り込んだ。
ああ、なんていい夜だろうか。

#谷口吉郎 #名建築

2023年02月11日

父を想いながら蕎麦を食す

7日に旅立った父の葬儀を終えて2日が過ぎた。ようやく、少し落ち着くことができた。
同時に、心と体が疲れていることも実感する。体が少し重い。昨日は、妻と娘と一緒に、色々な整理を行った。一人でやっていたら、きっとはかどらず心も休まらなかったに違いない。こういう時、家族のありがたみを実感する。息子もとても助けてくれた。本当に心強かった。一人で通夜にいたら、心がもろくなっていたかもしれない。

地方政治家として長年働いてきた父だが、現役を退いてから35年以上が過ぎているにも関わらず、葬儀には知事をはじめ多くの首長などからお心遣いを頂いた。
市からは、弔辞まで頂いた。参列した方の中には、役場時代のたくさんの部下の方がお参りくださった。
今更ながら、父のすごさを痛感し、父を愛してくださった方が数多くいらしたことを痛感し、そして家族として光栄に思い、誇らしくもあった。本当にありがたいことだ。

IMG_2023-02-11-12-45-18-186.jpg

叔母といとこに、御礼のご挨拶に出かけ、帰りに我が町のおそばの名店で、3人でランチを食べる。いつもは、せいろとか鴨せいろを私は頼むのだが、寒いので初めて暖かい季節メニューをオーダー。娘は鶏カレー南蛮ソバ、妻と私は、ニシンの卵とじソバ。県内でも有名なソバ店だけに、ダシから具材まで絶妙である。定番の鴨ローストをつまみながらノンアルビールを飲む。始めて食べた娘も、美味しいと感嘆していた。

そばを食べてほっこりとしたところで、ふと町内の宴会で、この店で飲んだ時の父の様子を思い出していた。
2月11日。今日は、紀元節である。そして、父の誕生日でもある。
昔、父が、俺は、日本国と同じ誕生日だぞ、と言っていたことがある。
しかし、今年の誕生日、残念ながら父は、ひとつ年齢を重ねることはできなかった・・・
#ニシン玉子とじソバ  









2023年02月03日

節分の風景

前回、この間雑煮を食べたと思ったら、もう1月も終わると書いたが、あっという間に2月になった。
そして、2月最初の行事といえば、節分。私は、東京に家族を残し、実質的には一人暮らしなのだが、1月の七草がゆと同様に、豆をまいて「福はうち〜」と声を出さないと、何か落ち着かなくて、形だけだが、豆まきをやってしまう。節、は日本人が暮しの歴史の中でつむいできた健康で快適に生きる知恵がつまっている季節の区切りだと思うから。

しかし、そんな生活の節目も、少しずつ様変わりしている。
節分を変化させた最も大きなものは恵方巻だと思う。
今日スーパーに行って驚いた。恵方巻が巨大なコーナーになっていて、そこに次々と追加の恵方巻が補充されていく。しかも、いつも売っている海苔巻きと違って、結構な値段で売られている。
230203恵方巻.jpg
(写真は、イメージです)

しかし、これだけの量であれば、どう見ても売れ残りが出るように思う。食材廃棄は大きな社会問題となり、恵方巻もまた、大量の食品ロスが出ることから、コンビニなどでは、少しでもそれをなくす工夫に取り組んできたはずだ。それがどうだ、この大量陳列は・・・・

そもそも、いったい誰が、これほど全国規模の行事にしてしまったのだろうか。もともとは、関西文化圏の行事だったのではないか?
そうか!、キャンペーンと銘打って、バレンタインデーやホワイトデー等と同じように、コンビニやスーパーを繁盛させるために、広告代理店が仕掛けたブームに違いない!
230203恵方巻2.jpg

と言いながら、時流に乗り遅れるとどこか不安になると言う性癖を持つ元広告マンは、やはり世の中の動きに乗っていないと落ち着かないので、一人暮らしの自宅で、今年の恵方を向きながら、豆をまいたあとで、恵方巻を頬張ってしまったのである。
どうぞ、福が来ますように・・やれやれ・・・
#節分 #恵方巻



2023年01月31日

変わりゆく街

ついこの間年が明けたと思ったら、もう一月も晦日になった。本当に時間の経つのが早い

そして、今日は、渋谷道玄坂の上に鎮座していた東急百貨店本店が閉店となった。
230131東急本店閉店.jpg
(NHKニュースサイトより)

NHKのサイトによれば、この百貨店は、高度経済成長期の昭和42年(1967年)11月に開業したという。
周辺には高級住宅街があったことから、高級衣料品などの品ぞろえで周辺の富裕層などのニーズに対応して開業したという。そして、平成元年に隣にオープンした複合文化施設の東急「Bunkamura」と共に、文化や流行を発信する渋谷の坂上のシンボルとして営業を続けてきた。しかし、開業から半世紀以上が経過して、建物も老朽化し、東急グループも関わっている渋谷の再開発の一環として、31日で閉店し55年余りの歴史に幕を閉じることになった。

私が大学に通い始めたのが1973年だから、ちょうどこのデパートを訪れたのは、開店から6年くらいのタイミングということになる。以来、私にとっては、公園通りの西部デパートとPARCOに対して、道玄坂を登り切ったところにある東急百貨店は、ちょっとおば様方の多い百貨店というイメージであった。20年くらい前には、百軒店にあったJAZZ喫茶が東急本店の手前に移転したので、時々そこを訪れたり、Bunkamuraでの勘三郎さんの歌舞伎なども見に行ったと思う。

思えば、私が青春時代からサラリーマンを終えるまでの50年というのは、本当に大きな激動の時代であったと痛感する。政治、文化、音楽、風俗、映画、世相・・・・戦争直後の資本主義の到来に続いて、ありとあらゆることが激変した50年であったと思う。
そして、その変化を象徴する街の代表は、渋谷かもしれない。

五島プラネタリウムのあった東急文化会館がなくなり、今はヒカリエに変わった。ついこの間は、大学2年生まで通学の足として利用していた東横線のカマボコ型駅舎が壊されて、東横線は地下に入った。まだ、新しい東横線の渋谷駅には行っていないから、いったいどんなふうに変わったのかは、想像もつかない。迷宮のようだと言う人もいるから、今行くと、きっと電車の乗り換えに戸惑うことだろう。
そもそも、渋谷の宮益坂側にプラネタリウムがあったことなど、もはや40歳から上の年代の人しか御存じないだろう。

時代は変化し、建築物は老朽化し、街は再開発されて新しい歴史をつむいでいく。そして、人もまた世代交代していく。それが人間の歴史なのだけれど、やはりどこか寂しい。
#東急百貨店本店閉店 



2023年01月22日

大根菜と「よごし」

冬の大根はおいしい。大根おろしをすっただけでも、味が違う。そして、葉っぱの部分の味もまた違う。寒い季節に美味しくなる野菜は多い。

今朝の私の朝食のメインは、大根菜の「よごし」だった。
230122よごし.jpg

よごし、と言うのは、富山弁で、味噌やゴマ味噌などで、野菜を和えたもののことである。
その昔、宮中で、やんごとなき女性が、味噌などで和えたものを「汚す」という言葉で表現したのがルーツだという説を、亡くなった方言研究科の叔父が、以前新聞に書いていた気もするのだが、どうも私の記憶が定かではない。

ナスをゴマ味噌で和えたよごしや、大根菜のよごし等が定番である。
どちらも、富山県人にとっては、ソウルフードの一つだと思うが、今の20代から30代の人たちにとってはどうなのだろうか?彼らの親御さんは、私より少し下の世代で、もしかすると、もう日常的によごしを食べる習慣は少なくなっているかもしれない。そうなると、そのお子様たちに、よごしの味が継承されている可能性も少ないかもしれない。

富山県西部は、かつて加賀藩であった。だから、県東部とは色んな事が少し文化の違いがある。しかし、よごしは、県内共通の食べ物だろうと思うのだがどうだろうか。

米食からパン食に食生活が変わると、よごしのように、ご飯のお供のような家庭のおかずは、どんどん衰退していく可能性がある。60歳以下の世帯主のご家庭で、よごしは継承されているのだろうか。私の子供たちには、たまに食べさせてはきたが、妻を含めて私以外に積極的に作ろうとする家族はいない。わが家においても、おそらくこの先には消えていく食文化になるのだろう。

そんなことを思いながら、やっぱり大根菜のよごしとご飯の相性は最高だ!と心の中で叫びながら、朝食を楽しんでいた。
#よごし #富山弁








2023年01月11日

昭和は遠くなりにけり

私が、大学を卒業してサラリーマンとしての人生をスタートしたのは、昭和52年、丸の内にあったオフィスビル勤務からであった。当時入社した会社の創業本社は、神田錦町にあったが、営業部門や制作部門などは、丸の内エリアのビルに分散して入居していた。私の初任配属先は、東京商工会議所や明治生命ビル近くの富士ビルであった。その他、有楽町ビル、電気ビルなどにも他の部署が入っていて、打合せなどでビルの間をしょっちゅう移動していた。また、ランチタイムには、丸の内界隈のビルのお店を散策するのが楽しみであった。
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BSフジ「ビルぶら」という番組がある。あの「鎌倉殿〜」で、クールな殺し屋を演じた梶原善さんが案内役となってレトロなビルを探訪する番組だ。昨日の放送では、我々OBや年配の社員にはなじみ深い丸の内エリアの有楽町ビルが取り上げられていた。懐かしいなあという思いで見始めたが、なんと再開発のために今年閉館されるとのこと。隣の新有楽町ビルも一緒に閉館となるそうで、有楽町駅前の景色が、やがて激変してしまうことになる。しかたがないこととはいえ、やはり寂しい。
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思えば、会社の発展に伴い引越の多い会社だった。私の勤務部署は、初任の富士ビルから、なぜか短期間だけ有楽町ビルに移り、その後東京駅南口の東京ビルに入り、そこから神田錦町のビルへ。私自身は、その前後に3度転勤をしたが、さらに錦町から田町のビルへ移り、そこから赤坂へと移転した。転勤を別にして、6回もオフィスを引越しているわけだ。クライアントでもあるN通さんが、大規模引越を請け負っていたが、累計で、ものすごい金額だと思う。

有楽町ビルができたのは、56年前だという。私が東京で暮らし始めたのは、大学からだから、約50年前である。その頃に見た景色、そして、街並みは今では当然大きく変化している。有楽町駅前には、そごうデパートがあったけれど、今はビックカメラになっている。その地下にあった丸の内のランチ中華の名店として懐かしい焼売の小洞天は、もうない。その他、入社した頃に昼も夜も頻繁に行っていた新東京ビル地下の明治屋、新国際ビルだったと思うが、オムライスのエーワン、肉まんが美味しかった山水楼や日比谷側にあった中華の慶楽などのお店もなくなってしまった。有楽町駅の向こう側には、日劇や朝日新聞社、カキ料理の名店レバンテなどがあったが、もうない。
学生時代に乗り換え駅として通った渋谷の東横線の駅やその周辺などは、もう何年も行っていないが、もっと激変している。テレビで見る限りは、もはや、どこに何があるのかわからなくなっていることだろう。

私も今年数え年で70歳となった。古希である。その人生の中心をなす昭和から平成への50年は、日本社会にとっても激動の50年だったと思う。東京という都市、いや日本社会が大きく変わった時代だった。
BSの番組を見ながら、あらためて、昭和が遠くなったことを感じた。
#有楽町ビル



2023年01月07日

七草がゆの朝

年末に、「みそか」というテーマで投稿をしてから、もう1週間余りも過ぎてしまった。
ということで、年明け初の投稿ということになる。

年末に入院した父も、食事を食べられるようになって、少し回復してくれたようで、ほっとしている。
大晦日には、紅白歌合戦で、桑田、Char、野口五郎、佐野元春、世良公則、そして大友康平というスペシャルコラボを見た。紅白でいちばん素晴らしい名演!とFacebookに書いたら、同様のコメントが多数あった。
そして、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートも見終わって、本日は7日、七草がゆである。毎年まではいかないけれど、この数年は、できるだけ七草を買って自分で作って食べるようにしている。今日のFacebookでも、以前投稿したことを思い出として教えてくれていた。
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今朝も、七草のセットを使って粥を作った。正月三が日にお酒を飲みすぎたり食べすぎたりした体をリセットしようという伝統的な習慣である。こうしたことはたいてい理にかなっているものだ。
「せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ、これぞ七草」。呪文のようなこのフレーズはいったいいつ習ったのか定かではないが、いまだにちゃんと脳裏に焼きついている。もっとも。せりと、すずな、すずしろ以外は、どれがどれやらよくわからないのだが。

七草を軽く茹でて水を切り、細かく刻んで、おかゆに入れてさっと煮る。緑色が美しい。
副菜は、昔のものをイメージして、田作りと香の物程度にした。昨日頂いた我が町の漬物名人の赤かぶと大根の漬物である。世界一美味しい赤かぶ漬だと思う。
味噌汁も、大根とカブだけのシンプルな具にしたが、正しい選択だったような気がする。
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寒い古民家の台所で、ひとり静かに七草がゆを頂いた。
雪のないお正月で、今日も雪がなく、昨日より多少暖かい。雪がないのは、高齢者には本当にありがたい。朝起きて、雪が積もっていないとほっとする。
七草がゆを食べながら、入院中の父も、東京の家族も、そして私自身も、健康で穏やかにすごせることをあらためてお祈りした。
#七草がゆ 




2022年12月30日

ゆく年くる年

年の瀬もおしつまり、明日は大晦日である。
このタイミングで、父が体調を崩した。食事が食べられなくなり、衰弱がひどく、年末年始をはさむので、主治医にお願いして病院に入院する手筈をとった。
昨日なんとか入院させることができて、ひとまずほっとしている。

ということで、今日は、本当は昨日までにやろうと思っていた年末の家事を行った。
正月飾りとおせちの仕込みである。
たとえひとりでも、こういうことはきちんとしたいと思っている。そうすることで、自分を律し、ゆく年を振り返り、新年への思いを新たにすることができるように思う。
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といっても、はずしたくない郷土料理のお酢和え(なます)と田作り、そして数年前から作り始めた伊達巻というくらいである。(伊達巻は、失敗して半分は出来損ないで、しかも焦がしてしまった(笑)
あとは、明日、煮しめと雑煮用の鶏肉の甘辛煮を作る。
神棚の掃除は、毎年、父と一緒に大晦日にやっていたので、今でもついそうなってしまう。
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今年も色々なことがあった。高齢の父は、年相応に老いがすすんできた。
今では、私のこともよくわからなくなってきた。寂しい。しかし、それも受け入れなければならない。
私も、体のあちこちが痛んできた。何も激しい運動などしていないのに、ひざのじん帯を痛めてしまい、びっこをひいている。寒さにも弱くなり、古民家の寒さが、昨年よりさらにこたえるようになってきた。
こんなふうに、年をとっていくのだ。それもまた仕方のないこと。うまくつきあっていくしかない。
誰かが言っていたように「老人力がついてきた」、と前向きにとらえるしかない。

来年も、父がなんとか元気で、私も東京の家族も健康でいられることが何より大切なことである。
来年が、どうぞ穏やかで良い年でありますように!
みなさまもどうぞ良いお年を。

#ゆく年



2022年12月21日

年の瀬

サッカーワールドカップが終わった。
エムバペのいるフランスと、メッシ率いるアルゼンチンによる決勝の末、アルゼンチンが優勝した。
日本は、前回第二位のクロアチアに負けて、ベスト8には入らなかったけれど、ドイツとスペインという強豪国を破って1位で予選通過し、世界に通用するサッカーであることを強烈にアピールしたという画期的な年になった。
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三谷幸喜の傑作大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も終わった。
三谷流の斬新なシナリオと、小栗旬と小池栄子、そして大泉洋をはじめ芸達者が集まったドラマは、大河の常識を覆し、感動的な兄弟のドラマとして意外な最終回で幕を閉じた。
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この2つの出来事による、なんだか大きな「ロス」感が、年末の私を、いや日本中の人をとらえた。

とにかく今年は、色々なことが起こった。12月になると新聞紙面をにぎわす10大ニュースなどの1年の振り返りを見ても、3年目を迎えたコロナウィルスとの闘い、ウクライナでは戦争が起こり、夏には安倍元首相銃撃というショッキングな事件。そして、ワールドカップと、とにかく盛りだくさんな一年であった。
そういえば清水寺で発表される今年の漢字は、「戦」であった。ウクライナでの戦いとワールドカップの戦いをかけたということのようでもある。

そうこうしているうちに、年の暮れも押し詰まってきた。
そういえば、年の瀬ともいうが、なぜそういうのかなと思って調べてみたら、年を越すことを川に見立てて瀬というらしい。何日頃から年の瀬というのかなと思っていたが、厳密には決まっていないらしい。ちょっと意外だ。
しかし、12月の初め頃に年の瀬と言われてもどうもピンと来ない。
やはり12月もあと数日、という頃合いが年の瀬というようだ。ちょうど今頃なのかな。

私も、自宅での介護生活9年目に大きな節目を迎え、父が施設に入所した。父と二人で苦労しながら暮らしてきた時間が、11月に突然順番が回ってきて激変した。
12月になって、父のいない生活にようやく慣れて来て、父のためから、自分のために生きるということを考える年の瀬になった。

瀬、と言えば、「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに 逢はむとぞ思ふ」という歌が思い出される。これは、崇徳院が1150年に、藤原定家の父である藤原俊成に命じて編纂させた「久安百首」に載せられた一首である。激しい川の流れが、岩にせき止められて別れても、また再びひとつになるという再会の恋心を表した歌と言われている。しかし、崇徳院の不遇な生涯の無念な思いを表したという説もあるそうだ。

さて、皆さんは、どのような思いをもって、一年の時間の流れの瀬を見つめているのだろうか?
ああ、そうだ、年末の大仕事、年賀状を片付けないといけない。やれやれ・・・

#サッカーワールドカップ #鎌倉殿の13人 #年の瀬



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