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2023年05月30日

人生二度目の手術

ずいぶんとブログを更新していなかった。以前は、一日一本を書いていこう、と自分に言い聞かせ、介護して忙しいからこそやろう、と言う思いがかなりあった。しかし、父が亡くなり、やはり何か一本スジを失ったというか、張りをなくしたというのか、少し油断したら、1ケ月ほどもブランクになっていて驚いた。

この一週間ほどSNSの投稿もしていなかった。
実は、手術をするために入院していて投稿できなかったのだが、手術も終わり、本日無事に退院した次第。
プライベートなことなので、今回の入院のことを詳しく書くのはどうしようかと迷ったが、父の介護についてこれまで書いてきたのと同様に、同世代の人など皆様の参考になるのではないかという思いから、ざっと手術までの経過などをひとまず書くことに決めた。(画像は、@集中治療室)
230530ICU室.jpg

そもそも、病気と書いたが、実はどこか具合が悪くて医者にかかったわけではなかった。父が亡くなる2月までの数年間、特に父が完全に寝たきりになったこの3年間は、検診や人間ドックなどをほとんど受けていなかった。理由は、父のそばを離れるのがかなり大変になったことと、私がコロナにかかると父の世話がいきなり行き詰ってしまうため検診などで医者に行くことを、ちゅうちょしていた。そんなわけで、体のチェックは、時々自主的に医者に行く程度だった。

しかし、おととしあたりから急激にウェスト回りが太りだし、私の食事量などを考えると、やや異常だから肝機能障害による肥満ではないかと、妻が繰り返し心配していた。私も検診をうけていないこともあり不安になっていたのだが、2月に父が亡くなり事後処理もめどが立ってきたので、じゃあやるか、と肝機能検査を受けたのである。
血液検査だけだろうと思っていたら、かかりつけ医が、今日ついでにCTもやればしっかり確認できるから撮りますか?と勧めてくれたので行った。その結果、肝機能には問題なかったのだが、他の臓器に気になるポリープがあるから、公的病院での精密検査という展開になった。
ポリープか?いやだな、と思いつつも、大病院で精密検査を始めたのが3月。そこからいくつかの検査を繰り返し、その結果、大きさから判断して、たとえガンでなくてもガン化するリスクが高いので手術したほうが良いという見立てであった。
父の大腸がんを早期発見し、手術を勧めてくれて見事に完治させた実績のある先生方が、内科外科揃って手術すべきという意見だったので、私は素直に従うことにした。かくして、手術を決意したというわけである。今回は腹腔鏡手術で、以前から聞いていた通り、短期の入院で済む。私も当初の予定より数日早く退院となった。

自覚症状が出るまで、なかなか見つけにくいものだけに、むしろラッキーだと思います。執刀医にそう言われた。実際私もそう思っている。肺の時もそうだったが、何か変だと思ったら検査するという私のやり方は今のところ功を奏しているように思っている。
皆様、不安を感じたら先延ばしにせず、迷わず受診です!
#手術 #腹腔鏡手術

2023年04月23日

福山雅治劇場

今日は、夕食の時間帯から、久しぶりにTBS系列ばかり見ていた。
大好きな「バナナマンのせっかくグルメ」、そして日曜劇場の新番組「ラストマン」までTBSを見続けていた。

そもそも、昨日あたりから、日曜劇場のメインキャストである福山雅治と大泉洋が、番宣のためにTBSの色々な番組に出演していた。(何しろ民放TVと共に生まれ、TV大好きな在宅時間の長い無職の年金ジイサンだからつい見てしまう)
だいたい「番宣」などと言う言葉も、かつては我々広告業界やマスコミ業界の言葉だった。コンセプトという言葉もそうだが、今や近所の商店街のオバサンでも理解できる言葉になっている。業界用語の一般化である。

まあ、それはさておき、巧みな番宣パブリシティにしっかり乗っかり、バナナマンの番組からそのままCMチャンスなしで日曜劇場に突入するという最近お得意のパターンで、福山雅治主演ドラマに突入した。
230423TBSラストマン画像.jpg
(TBSサイトより)

脚本・黒岩勉、巧である。グランメゾンもそうだし、TOKYO MRもまた彼の作品である。今日の番組では、後半多少粗削りで乱暴な印象のところもあったけれど、テンポよく心をグッと捕まえるストーリー展開は見事なものだ。
しかし、今日のドラマを見ていると、演出、そして何より福山雅治の魅力が大きな力であった。
まさに「福山劇場」である。シナリオと演出の意図を見事に広げ、見るものの心を巧みに捕まえていく演技力。本当にすごい。
この二枚目のミュージシャン、いや、ハンサムなアーチストは、バナナマンのせっかくグルメでは、食べている瞬間の魅力的な食レポから、お店の人たちへの気配りに至るまで、見る者の心を素早く奪い、そしてそのままドラマでは、全く別の演技による力で見るものを引きずり込んでいく。かくして、女性ファンだけでなく、ドラマ好きのオヤジまでも巻き込んでしまうのだ。

事前の番宣番組の中で、大リーグの大谷さんの天才ぶりをほめていたが、福山さん、あなたもそれに負けず劣らぬ天才エンターテイナーである。
日曜の夜、福山雅治という異才に舌を巻いたひとときであった。
#福山雅治 #ラストマン

2023年04月12日

叙位・叙勲と位階・位記

今日は、父の死後に授与される叙位・叙勲伝達式があり、久し振りに県庁に赴いた。
多分、支社勤務時代にプレゼンか入札かで訪れたのが最後ではないかと思うので、実に20年ぶりくらいということになる。
230412県庁.jpg

定刻の30分ほど前に到着したが、県庁の特別室には、15人ほどの方が既に着席されていた。父は、平成八年に叙勲を受けているので、今回は位階が書かれた位記と呼ばれる書状を受けるセレモニーとなる。と書きながら、実は会場に着くまでは、もう一度勲章を頂くことになるのだろうか?額装とか大変だな、さてあの大きな額がもうひとつとなれば、どこへ飾ればいいのだろうか?などと余計な心配をしていた。会場に入って、係りの方からセレモニーの流れを説明されて、生前に叙勲されている方は位記だけを頂くのだと理解した。恥ずかしながら、位記と言う言葉も知らず、「イキ?さて、どんな字だろう?」と帰宅後にあらためて検索して知った次第。
2時になり、順番に名前を呼ばれ、副知事から位記を頂いた。式は、10分ほどで終了した。
230412県庁特別室にて.jpg

父の叙位が、小さなベタ記事で新聞に載った数日後、叙位・叙勲の額装などのカタログが数件届いて驚いた。父の叙位を知ったのも、そのDMに入っていた新聞のコピーのお蔭で、掲載された新聞記事を探すことができた。

位階は当然、序列であるわけだが、位記についてもいくつかの種類というかランクがある。
正一位から従八位まで16の位階がある。(そういえば冠位十二階という言葉もありましたね。いわばあの流れなわけですから)「正一位」「従一位」は親授とされ、天皇が自ら授与することを意味するもので、位記には天皇の署名と天皇御璽が捺され、内閣総理大臣の自署も必要とされている。その下の、「正二位」から「従四位」までが勅授とされ、勅命によって授与されるということで、位記には天皇御璽が捺される。
そして、父が頂いた「正五位」以下は、奏授とされ天皇のご裁可により上奏者(=内閣)が授与することを意味し、位記には内閣印が捺されていた。
230412位記.jpg
(写真は、名前の部分をカットしております)

父の叙勲の時には、橋本龍太郎総理の名が署名してあり、今回の位記は、岸田総理名である。
受け取った位記は、意外に小さくてシンプルなもので、少し驚いた。(すみません)
しかしながら、父の死後にもその勲功を国から称えて頂いたわけだから、本当にありがたいことである。不肖の息子である私には、このようなものにはとうてい縁がない。そんなことをあれこれ考えながら、仏壇に位記を供え父に報告をして、父のことを思い出していた。合掌
#叙位・叙勲

2023年04月03日

四十九日は心の区切り

昨日、父の四十九日法要と納骨を無事に済ませることができた。
本当は、三月二十七日が四十九日だが、お寺の事情などにより四月二日になった。
今回、葬儀から四十九日までの様々なことをいろいろ調べて読んだり、自分が対応したりしたが、七七・四十九日というものは、実によくできた時間の流れだなと実感した。

そもそもは、極楽浄土に行くために、七日ごとに審判を受けて4週目にようやく浄土にけることがきまるのだという。
大切な人が亡くなり悲しみに打ちひしがれる最初の一週間。
少し落ち着いて、片付けや色々な手続きをしながら、少しずつ平静を取り戻す二週間から三週間。そして、法要の準備に向けた四週間目。
故人の思い出をトレースしながら心の平静を取り戻したり、相続や遺品整理など煩雑な手続きの中で、何をしなければいけないのかということを少しずつ片付けながら過ごす時間。そうしたことをやりながら、故人にお別れをして、気持ちの整理もつき、やるべきことも少しずつ片付いてくる。
そして、親戚など近しい人にお声をおかけして個人が極楽浄土に召されることをお祈りしながらお寺さんにお祈りをしていただき、お骨をお墓に納めた後に、故人の思い出を話しながら食事を共にして四十九日を終える。

なるほど、よくできた流れだなとあらためて思った。
私は、自宅で四十九日法要を行った。親戚が少なくなっていたこともあるが、父は自宅での法事を喜ぶだろうとも思った。自宅の座敷の片づけや、当日の準備等に始まり、納骨から会食を終えて、皆さんがお帰りになった時には肩の力が抜けた。ほっとして脱力した。
「ああ、ひとつ終ったな」と思った。

葬式もそうだが、四十九日以降の法要も含めた全てのことは、故人が極楽浄土に旅立つためのしきたりではあるけれど、実はそうしたセレモニーをこなしていく中で、残された人間は、心を整え、面倒な諸事も少しずつ収まってくるのだ。

四十九日=4週間というのは、まさしく心と雑事の整理が整う時間の区切りなのだ。
230209頃祭壇一部マスキング.jpg

翌日、葬儀社が座敷に設えられていた祭壇を撤収にやってきた。手際よく片付けられていく祭壇。30分ほどで、座敷は、普段の部屋に戻った。
帰りがけに、玄関に貼ってあった忌中の札も葬儀社の担当者がはがしてくれた。忌中は終ったのだ。

床の間にあった香炉などを戻しながら、ああ、これで日常に戻っていくのだなあと感じた。
日本人の生活の知恵は深くてありがたい。
オヤジ、ありがとう。どうぞ安らかに。合掌。

#四十九日

2023年03月23日

千両役者

久し振りに野球を真剣に見た2週間だった。
WBC。かつて、あのイチローが悩みながら、最後に大きなドラマを作った試合も思い出した。そして、今回、大谷が、エンジェルスのチームメイトであるトラウトを三振に打ち取り勝利するという劇的な締めくくりで幕を閉じた。
230323WBC.jpg
(ヤフーニュースより)

千両役者と言う言葉がある。イチローがそうであり、そして、今回のWBCでは、大谷が文句なしの千両役者であったと思う。
準決勝のメキシコ戦で、素晴らしいタイムリーを放った時の、吠えるようなあのアクション、それはチーム全員を鼓舞する心からの叫びであった。そして、優勝の瞬間の、あの見事なピッチング。さらに、優勝前後を含めたコメントの素晴らしさ。
村神選手、いや村上選手のホームランや吉田のホームランなど見事な活躍も数多く合ったが、大谷選手は、全てにおいて傑出した光を放っていた。

その活躍を見ていて、ああ、これこそ千両役者だな、と思った。
ある検索エンジンによれば、千両役者とは、《1年間の給金を千両とるほどの役者の意》
1 技芸・風格ともに備わった人気役者。2 技量にすぐれ、きわだった活躍をして周囲を魅了する人 とある。なるほど、まさにその通り。これぞ大谷のことである。
これほどの千両役者は、野球のみならず、なかなか現れないのではないかと思う。

プロスポーツのプレイヤーとして世界屈指の能力を発揮し、アメリカだけでなく世界が認めた実力。さらに素晴らしい体格とハンサムで愛嬌溢れるルックスと、誰をも魅了する輝く笑顔。そして、思いやりに溢れた破綻のないスピーチ能力やコミュニケーション力などなど・・・天は彼に、二物も三物も与えてしまった。

これほどの千両役者は、なかなか出てこないのではないか?本当にそう思った。
優勝直後に、メディアだけでなく一般の方のコメントでも、「マンガのような結末」という言葉を何度か耳にした。確かに、思いがけないゲッツーによって、最終回2アウトの場面で、チームメイトの強打者と対決して大谷が三振に打ち取るなど、まさにかつての名作漫画「巨人の星」のような展開である。
おそらく、我々は、不世出の歴史的なスーパースターというか千両役者の演ずるドラマを目撃したのである。

そんなことを感じたWBCウィークであった。

#WBC

2023年03月18日

弔問客の置き土産

早いもので、父が亡くなって一ケ月以上が過ぎた。
しかし、ありがたいことに、葬儀に参席できなかったという方が、今でも時々お越しになる。


昼前に、我が町の山際の集落にお住まいのおばさまが、父の葬儀にお参りできなかったからと言って、お菓子を持って訪ねて来られた。
四十九日前なので、飾ってある祭壇にお参り頂き、いったん帰られたのだが、夕方再びお越しになり、ビールとカップ麺とお茶とクッキーを届けて下さった。
よほど私が、あわれに見えたのだろうか(笑)
いやいや。おそらく、スーパーで買い物をされてる時に、ふと私のことを思い出して買い足されたのではないかと思う。
230318弔問客のプレゼント.jpg

ビール缶、サッポロ一番という強烈なブランドイメージを持つカップ麺ひとつ、茶葉、そしてクッキー。・・・お酒とラーメンとお茶とお菓子。・・・そのチョイスには、「ああ、寂しいだろうから、何かしてあげなければ・・」という温かい思いやりが見えてくる。これこそが、田舎ならではのコミュニティのつながりなのだろう。
ちなみに、この方は、私の中学の同級生の叔母さんで、私の顔を見て、何度も「あー、久しぶりに顔を見たらお父さんによう似とる」と何度も繰り返しておられた。


スーパーの袋に入って無造作に玄関に置かれた頂きものを眺めながら、ああ、私はいい町に生まれ育ったんだなあ、とほっこりした。
ちなみに、父の四十九日は3月27日だが、4月2日に身内だけで法要を行う予定である。
四十九日という時間の経過は、心を含めて、色々な事が一段落する長さなのだなあとしみじみ感じている。

#弔問客

2023年02月28日

名建築の中の素晴らしき時間

先週末は、親戚の結婚式があり、久しぶりに東京に帰ってきた。
数年前のリニューアル後、なかなか訪れる機会のなかった老舗ホテルが式場だった。
そこは、私にとって、公私ともに縁の深いホテルでもあった。

そして、結婚式も披露宴も心温まる素晴らしいものであった。

父の葬儀に至るまで、叔父や叔母など数多くのかけがえのない人たちを次々と見送ってきた。この数年は、悲しいセレモニーばかり経験してきた。
そんな時間の中での、久しぶりの結婚式。
別れのセレモニーではなく、未来につながる出会いの場。
おめでとうございます、という言葉に満ち溢れたお祝いの時間。
ああ、ハレの場というのは、なんと素晴らしいものなのだろう、あらためてそう感じた。

少々年を重ねた新郎新婦の式だけに、とても落ち着いた好ましいものであった。
それも心地よかった。
お相手のご親戚を紹介され、上司や同僚、友人の皆さんを拝見していると、とても良縁であることがあらためて実感できた。お若い方の式とは異なり、歌や大騒ぎもなく、スピーチも、しかるべき方が、各々心のこもった祝辞を述べておられた。そして、お開きとなる直前の新郎の御父上のスピーチもまた秀逸であった。私がこれまで聞いた同様のスピーチの中ではベストといえるもので大変に心を打たれた。

オークラロビー.jpg

心温まる式が終わり、リニューアルされたホテルの名物であるロビーに向かった。
私にとっても、数々の思い出のあるロビーだ。
名建築家谷口吉郎氏の傑作と言われてきたロビーは、今回の改修においても、その雰囲気が継承され再現されたと聞いていた。足を踏み入れると、思わず驚きと喜びの声をあげてしまった。そこには、かつての美しいロビーが見事に再現されていた。
以前の建物を設計した谷口吉郎氏の息子である谷口吉生氏は、父の仕事を、真摯に正確に捉え、それをできる限り生かしながら、見事に現代の味わいに昇華した。

ソファに腰を下ろし、かつて何度も訪れたロビーとほとんど変わらぬ空間の中に浸りこんだ。実は色々なご縁もあって、そこは、仕事でもプライベートでも何度も訪れたロビーであり大好きな場所だった。なんと気持ちの良い空間だろうか。昔と変わらぬ雰囲気が再現されていることに胸を打たれた。

結婚式では、先方のご親戚の小さなお子様を見て、妻の姪である新婦がかつて我々の式の時に同じような小さな子供であったことを思い出したといって、妻がしみじみと親御さんに語っていた。
ああ、こういうことが人生の妙なのだなあ、と親子二代の建築家の傑作であるロビーに座りながら強く感じていた。

式が終わり、着替えを済ませた妻と娘と一緒に、これもまた名物であるホテルのバーに寄った。店内に入ると、昔と変わらぬたたずまいに驚かされた。カウンターでなくラウンジ席に座ると、見覚えのあるテーブルがあった。「これ、もしや昔のテーブルと同じじゃないですか?椅子も?・・」そうスタッフに問いかけると、やはり昔の素材を使ってリメイクしたものだという。ちょうど我々が座った席は、かつて上司と一緒に、ホテルでの仕事を終えて飲んだ席と同じ位置だった。娘にそんな話をした。バーカウンターの背面部分も昔の雰囲気である。
妻はダイキリを、娘は珍しいライウィスキーのカクテルを、そして私はビーフィーターのジントニックを頼んだ。なんだかとてつもなく嬉しくなった。

バーを辞し、少し酔いが回っているのを感じたので、3人でタクシーに乗り込んだ。
ああ、なんていい夜だろうか。

#谷口吉郎 #名建築

2023年02月11日

父を想いながら蕎麦を食す

7日に旅立った父の葬儀を終えて2日が過ぎた。ようやく、少し落ち着くことができた。
同時に、心と体が疲れていることも実感する。体が少し重い。昨日は、妻と娘と一緒に、色々な整理を行った。一人でやっていたら、きっとはかどらず心も休まらなかったに違いない。こういう時、家族のありがたみを実感する。息子もとても助けてくれた。本当に心強かった。一人で通夜にいたら、心がもろくなっていたかもしれない。

地方政治家として長年働いてきた父だが、現役を退いてから35年以上が過ぎているにも関わらず、葬儀には知事をはじめ多くの首長などからお心遣いを頂いた。
市からは、弔辞まで頂いた。参列した方の中には、役場時代のたくさんの部下の方がお参りくださった。
今更ながら、父のすごさを痛感し、父を愛してくださった方が数多くいらしたことを痛感し、そして家族として光栄に思い、誇らしくもあった。本当にありがたいことだ。

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叔母といとこに、御礼のご挨拶に出かけ、帰りに我が町のおそばの名店で、3人でランチを食べる。いつもは、せいろとか鴨せいろを私は頼むのだが、寒いので初めて暖かい季節メニューをオーダー。娘は鶏カレー南蛮ソバ、妻と私は、ニシンの卵とじソバ。県内でも有名なソバ店だけに、ダシから具材まで絶妙である。定番の鴨ローストをつまみながらノンアルビールを飲む。始めて食べた娘も、美味しいと感嘆していた。

そばを食べてほっこりとしたところで、ふと町内の宴会で、この店で飲んだ時の父の様子を思い出していた。
2月11日。今日は、紀元節である。そして、父の誕生日でもある。
昔、父が、俺は、日本国と同じ誕生日だぞ、と言っていたことがある。
しかし、今年の誕生日、残念ながら父は、ひとつ年齢を重ねることはできなかった・・・
#ニシン玉子とじソバ  









2023年02月03日

節分の風景

前回、この間雑煮を食べたと思ったら、もう1月も終わると書いたが、あっという間に2月になった。
そして、2月最初の行事といえば、節分。私は、東京に家族を残し、実質的には一人暮らしなのだが、1月の七草がゆと同様に、豆をまいて「福はうち〜」と声を出さないと、何か落ち着かなくて、形だけだが、豆まきをやってしまう。節、は日本人が暮しの歴史の中でつむいできた健康で快適に生きる知恵がつまっている季節の区切りだと思うから。

しかし、そんな生活の節目も、少しずつ様変わりしている。
節分を変化させた最も大きなものは恵方巻だと思う。
今日スーパーに行って驚いた。恵方巻が巨大なコーナーになっていて、そこに次々と追加の恵方巻が補充されていく。しかも、いつも売っている海苔巻きと違って、結構な値段で売られている。
230203恵方巻.jpg
(写真は、イメージです)

しかし、これだけの量であれば、どう見ても売れ残りが出るように思う。食材廃棄は大きな社会問題となり、恵方巻もまた、大量の食品ロスが出ることから、コンビニなどでは、少しでもそれをなくす工夫に取り組んできたはずだ。それがどうだ、この大量陳列は・・・・

そもそも、いったい誰が、これほど全国規模の行事にしてしまったのだろうか。もともとは、関西文化圏の行事だったのではないか?
そうか!、キャンペーンと銘打って、バレンタインデーやホワイトデー等と同じように、コンビニやスーパーを繁盛させるために、広告代理店が仕掛けたブームに違いない!
230203恵方巻2.jpg

と言いながら、時流に乗り遅れるとどこか不安になると言う性癖を持つ元広告マンは、やはり世の中の動きに乗っていないと落ち着かないので、一人暮らしの自宅で、今年の恵方を向きながら、豆をまいたあとで、恵方巻を頬張ってしまったのである。
どうぞ、福が来ますように・・やれやれ・・・
#節分 #恵方巻



2023年01月31日

変わりゆく街

ついこの間年が明けたと思ったら、もう一月も晦日になった。本当に時間の経つのが早い

そして、今日は、渋谷道玄坂の上に鎮座していた東急百貨店本店が閉店となった。
230131東急本店閉店.jpg
(NHKニュースサイトより)

NHKのサイトによれば、この百貨店は、高度経済成長期の昭和42年(1967年)11月に開業したという。
周辺には高級住宅街があったことから、高級衣料品などの品ぞろえで周辺の富裕層などのニーズに対応して開業したという。そして、平成元年に隣にオープンした複合文化施設の東急「Bunkamura」と共に、文化や流行を発信する渋谷の坂上のシンボルとして営業を続けてきた。しかし、開業から半世紀以上が経過して、建物も老朽化し、東急グループも関わっている渋谷の再開発の一環として、31日で閉店し55年余りの歴史に幕を閉じることになった。

私が大学に通い始めたのが1973年だから、ちょうどこのデパートを訪れたのは、開店から6年くらいのタイミングということになる。以来、私にとっては、公園通りの西部デパートとPARCOに対して、道玄坂を登り切ったところにある東急百貨店は、ちょっとおば様方の多い百貨店というイメージであった。20年くらい前には、百軒店にあったJAZZ喫茶が東急本店の手前に移転したので、時々そこを訪れたり、Bunkamuraでの勘三郎さんの歌舞伎なども見に行ったと思う。

思えば、私が青春時代からサラリーマンを終えるまでの50年というのは、本当に大きな激動の時代であったと痛感する。政治、文化、音楽、風俗、映画、世相・・・・戦争直後の資本主義の到来に続いて、ありとあらゆることが激変した50年であったと思う。
そして、その変化を象徴する街の代表は、渋谷かもしれない。

五島プラネタリウムのあった東急文化会館がなくなり、今はヒカリエに変わった。ついこの間は、大学2年生まで通学の足として利用していた東横線のカマボコ型駅舎が壊されて、東横線は地下に入った。まだ、新しい東横線の渋谷駅には行っていないから、いったいどんなふうに変わったのかは、想像もつかない。迷宮のようだと言う人もいるから、今行くと、きっと電車の乗り換えに戸惑うことだろう。
そもそも、渋谷の宮益坂側にプラネタリウムがあったことなど、もはや40歳から上の年代の人しか御存じないだろう。

時代は変化し、建築物は老朽化し、街は再開発されて新しい歴史をつむいでいく。そして、人もまた世代交代していく。それが人間の歴史なのだけれど、やはりどこか寂しい。
#東急百貨店本店閉店 



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