昨日の熱戦の興奮冷めやらぬ今日、東北6県の悲願であった深紅の優勝旗は、ついに陸路で白河の関を越えた。
(河北新報サイトより)
ニュースによれば、駒大苫小牧高校が2004年に優勝したので、白河の関は越えたという話もあったというが、あれは空路で行ったから、越えたとは言えないという思いが東北の人たちの気持ちだったという。仙台育英も決勝まで進んだこともあるし、金足農業の決勝戦での敗退は、記憶に新しい
それにしても、白河の関がこれほど数多くニュースで報道されたことはなかっただろう。
奥の細道の芭蕉は、もちろん旅の途中に白河の関を越えている。
しかし、調べてみると、芭蕉の頃には、白河の関は、もはやメインの通りではなかったという。源頼朝の頃までの東山道の要衝であった白河の関は、奥州と関八州を結ぶ重要な境目の場所であったが、その後は、メインルートからはずれてしまい、やがてさびれたのだという。
ちなみに、今回一部のニュースでも紹介されていたが、東北を代表する地方紙である河北新報の名前は、白河以北が、みちのくから北海道までを意味していたことから名づけられたという話を、40年ほど前に会社の地方紙担当の先輩から教えてもらったことを思い出した。
奥の細道の旅で、芭蕉も白河で句を詠んでいるけれど、白河の関については、随伴した弟子の曽良の句のほうが有名かもしれない。
「卯の花をかざしに関の晴着かな」
曽良の詠んだ如く、激戦を戦いぬいて甲子園の土に汚れたユニフォームと選手たちの笑顔は、まさに素晴らしい「晴れ着」であった。
すべての高校生をたたえた監督の言葉にも心を動かされた人も多かったことだろう。
本当におめでとう!
#仙台育英優勝 #白河の関
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