裏金事件を巡る一連の報道からは、分別が欠けている政治家が少なくない事と、金銭感覚が世離れしている事が見て取れる。
税務に準えると立派な収入の除外であり、簿外資金である。
最初から素直に記載しておけばよかったのではないか。
そう正されると、派閥から記載しない様に言われたのでと、痴れっとしている。
悪い事をして咎められ「だって、誰々ちゃんが遣ってもいいって言ったんだもん」と言う類で、そんな言い訳は子供でも通用しないのが分からないのか。
政治家はよく「説明責任を果たす」との常套句を口にし、国会の政治倫理審査会への出席でそれを果たしたと考えている様だ。
それは勘違いも甚だしい。
説明責任とは英語の「アカウンタビリティー」の訳語である。
アカウント、則ち会計に由来し、会計係が雇い主に対して間違いや誤魔化しがない事を説明し納得して貰えて初めて、義務を果たした事になる。
納得して貰うには、会計帳簿や領収書などを「これこの通り」と提示すればいい。
「ちゃんとやっています」と口で言うだけでは、雇い主に信じて貰えない。
政治家も同じで、政治活動に使った事を証する資料がなければ、単に言い張っているだけでしかない。
国民は信じないし、納得するはずもない。
国民や企業は税務署に説明責任を果たす為に、小まめに領収書などを保管しておく。
なければ税法上の必要経費や、損金として認めて貰えないから真剣である。
政治家もそれと同じ真剣さを持つべきで、領収書などがなければ政治活動に使ったとは認めないとして、課税対象にすべきである。
まして、収入除外の簿外資金など論外で、はなから課税対象である。
若し意図的な仮装や隠蔽があれば、一般の納税者と同じく重加算税を課さなければならない。
政党は政策活動費と言う名目で幹事長などの議員個人に資金を配る事ができる。
自民党の元幹事長には在任中に50億円もの巨費が配られたと言う。
この政策活動費は領収書も何も必要ないとされていて、それを貰った人が何に使ったかは不明である。
ひょとして個人の懐に入れられていたとしても、証拠がないので問い様がない。
交付金は充てていないと釈明している様だが、お金に色はないのでまるで説得力がない。
だが、いくら政治活動の自由があると言って、無税の金を放埓に使っていいはずがない。
自由には規律が伴う。
政治活動の自由も、企業活動や学問の自由と同じ様に、税由来の金や無税で集めた金の使い方については、納税者の目線に合わせたルールに従うべきである。
以上、且つて税務署長を務めた者の心からの願いである。
大正大教授・地域構想研究所長 片山 喜博
愛媛新聞 現論から
片山氏の言う通り、ルールに従うべきらしい。
政治に関する金は米国と同じ仕組みにして、国が管理した方が良いと思う。
領収書も盥回しが過去にもあったから。
政治家と金は切れないと考えた方が良い。
猫と小判ではなく、政治家と金。