気付きと言えば、大きな物から、取るに足らず言うのも憚られる物までありますが、今日のお話は後者の方です。
或る日幾つか変な?言葉が頭に浮かびました。
先ず「うんともすんとも、わんさか、とどのつまり、とことん、よほど」-----続いて「すっからかん、あながち、さぞかし、ややもすれば」。
これらの言葉について「一文字一文字の集合体として初めて約束事の様に意味が分かるのではない」と感じました。
更に言えば「外来語の様な意味の持ち方ではない」と言う気付き。
詰まりこれらの言葉は、大脳で約束事を覚えるステップを全く素通りしても、感覚で十分意味が分かる訳です。
世界各国の文化に通用するグローバルスタンダードな単語の意味を引き出すには、文字の集合体として頭で約束事を覚えるに尽きます。
例えば英語の「 impossible 」。
「 im 」はさておき「 i 」にも「 m 」にも「 p 」にも単独での意味はありません。
一つ一つの文字は無意味だが、全体では「無理」と言う意味だと覚えます。
国や文化によって程度の差こそあれ、これがランゲージ'(言語)の大前提です。
所が先述の頭に浮かんできた言葉の数々、例えば「うんともすんとも」から、この大前提は微塵も伝わってきません。
「集合体の『うんともすんとも』になって初めて『全然返答がない』と言う意味を持つ」-----その様な事にはならないのです。
他説もありますが「うん」は出掛かりで、「すん」は進行の状態。
大脳レベルで訳すと「出て来ずとも進まずとも」の意味ですが、感覚で捉えているので「うんともすんとも」の意味を聞かれても「そのままでしょう」としか答え様がないのが自然です。
あれ? 「自然」も正しく「自ず」と「然り」ではありませんか。
約束事なんか要らないと又知らされた様で、あ〜、又気付きが増えました。
為沙 道中 翻訳会社経営
愛媛新聞 四季録から
毎日の生活は気付きの連続らしい。
うんともすんとも。