合憲性を問う訴訟に関する昨年12月の仙台高裁判決は、集団的自衛権の部分的行使を容認する2014年の解釈変更が違憲ではないとした判決だと報道される事がある。
判決の論理が分からず、誤解している人も多いだろう。
この判決は、大要次の事を述べている。
集団的自衛権の行使を限定的に容認する14年閣議決定の解釈変更の結果が、憲法9条1項の下で許される武力行使の限界を超えると解する余地はある。
然し、他国に対する武力攻撃の発生を契機とする日本による武力の行使は、我が国が武力攻撃を受けた場合と同様の深刻、重大な被害が及ぶ事が明らかな状況が、客観的、合理的に判断して認められる場合に限られると言う厳格且つ限定的な解釈の下に運用されるのであれば、変更後の解釈による集団的自衛権行使の違憲性が明白であると断定する事まではできない。
集団的自衛権は、他国に対する武力攻撃に対して、日本が武力を行使して対処する権利である。
素直に考えれば、他国への武力攻撃によって、日本が武力攻撃を受けた場合と同様の深刻、重大な被害が日本に及ぶ事が明らかな状況は起こる筈がない。
全く筋の通らない解釈変更だが、そうした状況下でのみ集団的自衛権の行使が許されるのであれば、違憲性が明白とまでは断定できないと仙台高裁判決は言っている。
何故だろうか。
例え話で説明する方が分かり易いであろう。
アイスクリームは好きだが、アイスクリームの食べ過ぎは身体に良くないと思っている人がいるとしよう。
彼はそこで、アイスクリームを食べるのは自宅にいる時だけにして、外出先ではアイスクリームは食べないと言うルールを作った。
処が彼は或る日、外出先にいると同時に自宅にもいると言う例外的な場合には、外出先でも食べてよいと、ルールを変更する事にした。
これに対する普通の反応はそんな筋の通らないルール変更はできない、そんな可笑しなルールでは自分の行動を律する事は不可能でどんな場合にアイスクリームを食べる事ができるのか、さっぱり分からなくなると言うものであろう。
抑々、外出先と同時に自宅にもいるなどと言う事がある筈がない。
もう一つの反応が考えられる。
外出先にいると同時に自宅にもいる事は、現実には不可能だ。
と言う事は、今後も外出先でアイスクリームを食べる事はできないはずだ。
あなたはルールを変えたと言っているが、実はルールは変わっていないと言うものである。
仙台高裁判決は、後者の立場を取っている。
他国が攻撃されたにも拘らず、日本が直接攻撃されたのと同様の損害を日本が被る事は、現実にはあり得ない。
だとすれば、集団的自衛権の行使は14年の「解釈変更」後も実際には不可能である。
明言こそしていないが、実質的に見れば、集団的自衛権の行使を可能とする自衛隊法76条1項2号は無意味であり、死文だとする判断である。
筆者は仙台高裁の真意は以上のようなものだと考えるが、これが本当に判決の正確な理解なのかと言う疑問はあり得るであろう。
更に、より核心的な問題は、これが14年閣議決定の適切な理解と言えるかである。
懸念はある。
例え話に即して言えば、外出先と同時に自宅にもいると言う事態を想定する事自体、正常な判断能力の欠如を示しているのではないか。
同様に、他国が攻撃されたにも拘らず、日本が直接攻撃されたのと同様の深刻で重大な被害を受ける事態があり得ると想定する事からして、政府は正常な判断能力を失っているのではないか。
その政府に、集団的自衛権の行使を思い留まる事が果たして可能なのだろうか。
この懸念があるからこそ仙台高裁判決は、14年の解釈変更が違憲であるとする余地はあると言っている。
それでも、集団的自衛権の行使は現実には不可能だと言う結論が素直に導かれる以上、懸念の存在にも関わらず、この解釈変更が明白に違憲と判断する事はできないと言うのが、判決の示す結論である。
慎重に行間を読む事を求める戦略的文書だと言える。
早稲田大教授 長谷部 恭男
愛媛新聞 現論から
ややこしい難しい話である。
外出先と同時に自宅にもいるなどと言う事がある筈もない。
ルールを変えたと言っているが、実はルールは変わっていない。
解釈変更後も実際には不可能である。
正常な判断能力を失っている政府に思い留まる事はできない。
安倍氏らしい筋の通らないルール変更らしい。
早く政権交代して筋を通して欲しい。