2017年12月06日
廃院した南区某病院での出来事
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休憩室で何人もの白衣姿の青白い顔が・・・
久しぶりに、ホラー関係の記事を更新する。最近ブログを訪れた方の中には、私のブログのコンテンツが、釣りとホラーの2つで構成されていることを知らない人もいるようだ。それだけホラージャンルの更新が長引いてしまった。
それもこれも与太話を排除して、できるだけ自分の目で見たもの、自分の耳で聞いた話の真贋を明らかにしようとしたため。そうしたフィルターを通した結果、題材に恵まれなくなってしまった。
今回の話は、半年ほど前から文章にしていた。しかし、情報提供者から「ブログに載せるのならば、固有名詞の使用はやめて欲しい」という話があり、乗り気がしないままに今日まで更新が延びてしまった。
しかし、固有名詞を抜きにしても、有名な場所なので読まれた方はそれがどこなのか、すぐに分かるはず。
![2017y12m03d_231919955.jpg](/bukki/file/undefined/2017y12m03d_231919955-thumbnail2.jpg)
これまで、札幌・南区の白川や簾舞、豊滝を中心とした「ダムサイトの恐怖」や「竜神の水」といった心霊体験、ラッキースポットを何度か取り上げてきた。別に意識して記事にした訳ではないが、この地域には過去の悲惨な事件の記録を残す簾舞地区・下砥山、砥山橋の延命地蔵尊、上砥山の宝性地蔵が建立されている。
旧簾舞発電所水路で水難した8人の慰霊のためで、いずれも昭和39年に建立されたもの。一方、これから話に出てくる浄水場に架かる橋は、昭和44年に建設された。時代的には水難事故が起こってからずいぶん後になる。
そして本題の、同地域で長く開業してきた某病院について。とはいっても、同病院は平成22年に西区にある系列病院と統合して移転。
現在は、札幌市水道局が病棟を買い上げて、病棟ほか病院施設が移転から7年経った今でも解体されずに残っているようだ。
ただ、病院の敷地には、構内全体を取り囲む3メートルを越える高い塀に遮られて、関係者以外は立ち入ることができない。それでも、廃墟マニアや心霊オタクの侵入が時折あるようで、近所に住む人が防犯警報により駆けつけたパトカーを何度も目撃したという。
もともとこの病院は、戦前に傷痍軍人や結核患者の療養所として建てられた。戦後は、結核患者の隔離病棟としてこれまで何千もの命を救ってきた。その反面、病が治らず多くの命が失われたのも事実。こうした先入観があるからだろうか、半分廃墟となった今のほうが禍々しさを感じる。
同病院が、結核の隔離病棟の現役として多くの患者を受け入れていた頃の話を、当時この病院の警備員をしていた人に聞いた。
まず、初めて病院の巡回を行なった時の事。敷地内の病棟は、ここから”脱走”する患者を監視するためなのか、まるで刑務所のような複数の病棟が放射状に配置されていた。
そのひとつの病棟の端にある非常口を開けた。中には、まるで病院ができる前からこの場所にあったかのように、地蔵が鎮座していたという。まるで、お地蔵さんを囲うように、建物が建てられたかのように見えたらしい。
ある日、戦時中に集められたらしい、大型保存瓶に詰められた数え切れない様々な病巣のサンプルが広い講堂いっぱいに並べられていた。その内容物は、言葉には表せないほど奇怪なものだったらしい。
また、夜警が休憩する場所は遺体安置所の隣にある。そこで仮眠をとっていると、白衣姿の青白い顔をした人が幾人もベットの周りに立ち、自分を覗き込んでいたという。当然、この世のものではない。今でも、その一人ひとりの顔を思い出すそうだ。
病院のすぐ横には豊平川が流れており、川岸に沿って患者の散歩コースとなっていた。そして、下流の浄水所の横に架かる橋は、病状の悪化をはかなんで身投げをする患者も多かったらしい。
そのために、この界隈一体は地元住民からの忌避感が強く、子供時代に「結核が移るから川に入ったらだめ」と、親にきつく言われたという人の話も聞いた。
こうした状況からなのか、この浄水場の横を流れる川には、心霊にまつわる話が残されている。
ホラーやオカルト話を扱った10年数年前のネットの書き込みには、浄水場近辺の豊平川に釣りに行き「ダムの下の大きな淵で魚の跳ねている音がするので振り向くと、頭だけがポカポカ浮いていた。跳ねていたような音は、頭に波が当たった音だった」という話が寄せられた。
当然、脚色したものだろうが、身投げの多かったこの上流から流れ着いたとしたら、まんざら全てが作り話ではないと思う。
写真①グーグルアースでの鳥瞰図②豊平川に架かる橋からみた病院の概観。高い塀が邪魔をして見通すことができない③病院の近辺に建立されている、水難死を弔う宝性地蔵尊
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koitelさんも当時の状況を詳しく教えてくださいましたが、mamanさんのお話を繋ぎ合わせると、その頃の病院周辺の風景が思い浮かびます。
私の知人が見たというお地蔵様や、巨大なガラス瓶に入っていたというグロテスクなものについても、今となっては知っている方はおられないと思います。
またいつか、この当時の話を取り上げたいと考えています。
その時には、mamanさんのコメントを参考にさせてください。
ありがとうございました!
この病院の近所生まれ育ちました。
私の曽祖父が開拓のために北海道に入植してきて、
この地域に住んで私で4代目になります。
曽祖父は開発局で、祖父は川に関する仕事(ボカします)でした。
その為、地域のことは色々と知っているつもりなので、
少し訂正をさせてください。
浄水場の近くの橋に関する記事がありましたが、
自殺する方がごく稀にいますが、多くはありませ。
ここ最近は30年で3人程なので、南九条大橋の方が多いかもしれません。
ただ、近くに住む人にすれば、
30年住んでて3回の自殺者が出た橋は気持ちの良いものではないとのことでした。
病院患者関連での自殺は、結核患者との道ならぬ恋に落ちた看護師の心中です。
余命幾ばくもない患者が世を儚んでの自殺ではありません。
田舎の橋では頻度として高いか低いかはわかりませんが、
私の個人的な感想だと低いのではないかと思います。
御料橋は、事故・転落はありますが、自殺はありません。
ダムの上流での身投げで流れつく事はあったみたいで、
親は「ダムの水を限界まで抜いて小舟をたくさん出して、
長い棒で引っかけるようして探してることはあった。
その時のダム横の穴からの水が止まっていたので、
度胸試しに入ったことがある。」と言っていました。
私には、その話の方が怖かったです。
私が子供のころは、ダム下の深いところに大きな魚がいて、
祖父と釣りに行った記憶があります。
柱状節理の脆い足場ですので、今は自分の子供が行きたいと言っても、
私は全力で止めてたと思います。
病院は、はっきり言って出ます。
誰もいない自動ドアが開くなんてしょちゅうです。
第五病棟では、人っぽい形の何かを見たこともあります。
祖父は生死をさ迷った時に、病室に誰か黒い人が来たと言っていました。
私は子供のころから通っていた病院なのでこわいとは思いませんが、
そういうモノがいたのは事実です。
去年、建物は解体されましたが、
その前には、警察や消防の災害時の救助訓練などに使われています。
壁を壊して隣の部屋に閉じ込められた人を救助するとか、
壊してもいい訓練にはもってこいだったからだと思います。
もしかしたらkoitelさんはご近所さんだったのかもしれないですね。
このあたりは自然などの見所がたくさんあります。
美味しい農産物もたくさんあるので、ぜひ遊びに来てください。
以前、koitelさんから頂いたコメントを今回の記事に取り上げさせていただきました。
koitelさんのお話がなければ、ブログの内容もつまらないものとなったと思います。感謝申し上げます。
結核がうつるからからではなく、患者が悪さをするから、親たちが警戒したというのは、地元に住んでいたからこそのリアルな話です。
よかったら、またご来訪ください。
ありがとうございました!
以前にもコメントさせていただいたことがありますが、私はこの病院の近所に約30年間住んでおりましたので、よ~く存じております。
この建物は一番手前が外来で、その後ろに第一病棟、第二・・一番奥がいわゆる結核病棟でした。
連絡廊下は木造で、斜めってまして、何十メートルおきに裸電球が灯っただけの薄気味悪い廊下でしたね。
心霊的なこともいろいろありましたが、その頃の結核患者は食べ物が良いせいか、わりと元気で、夜中にふらふら出歩いて、いろいろ悪さをはたらいたりしたんですよ。
女の子に悪戯したり・・。
それで近所の親達は警戒して子供達に注意を促してた訳です。