2015年12月18日
札幌・米里の幽霊屋敷
pan style="font-size:large;">
data-ad-slot="2867931466"size:large;">
data-ad-format="auto">
今でも残る気味の悪さ
もう一昔以上前の話になるが、札幌米里の精神科病院・長沼病院で、看護士が入院患者に殺されるという事件があった。犯人は精神を病んでいたことから、罪には問われなかったが、さすがに患者を病院に置いていく訳にはいかず、同じ精神病棟を持つ空知の某市立病院に転院させた。また、その後長沼病院も病院名を替えた。
ところが、この市立病院でも同じ患者が医者を殺害するという事件が起きた。映画「羊たちの沈黙」の殺人鬼ハンニバルと被さる話だが、その当時からこの事件に興味を寄せていた。
こうした話は、精神を病んでいる患者のプライバシーにかかわるために、マスコミでも公にはなっていない。しかし、その市立病院は私の故郷にある。そして、自分の母親がこの病院で癌で亡くなったこともあり、身近な事件として感じていた。
結局、情報は限られていて、その後の調べは行き詰った。しばらくして、市立病院は精神科の経営をやめたという。表むきは市の予算削減ということらしいが、この殺人事件が引き金になったものと考えられる。
今回のブログの本題は、この日本版ハンニバルではなく、殺人事件の調査の過程で検索した「札幌/米里/病院」にヒットした「米里の幽霊屋敷」の話。この怪談譚は、すでに四半世紀にわたって語り継がれており、少しでもホラーに興味のある人ならば、大概は知っている有名な話だ。
ただ、私がそれを知ったのは長沼病院を調べていた2年ほど前のこと。その後、幽霊屋敷の謂われや、屋敷を訪れた人々が体験した恐怖を、作家・合田一道氏が書きまとめた「北海道こわいこわい物語」や「北の幽霊、南の怨霊」で、細目を知った。
このうち一冊は第1版の発刊からすでに30年ちかくが経過。肝心の建物も、肝試しに訪れた暴走族の火遊びによって2002年頃に焼け落ちたという。
なぜこの建物が幽霊屋敷と呼ばれたのかを、「北海道こわいこわい物語」から抜粋すると、「当時米里通りに面した東米里の2階建ての家で、若妻が首を吊って死んだ」「間もなく、残された家族もこの家を出てよその地に移り住んだが、人のいない家の2階で明かりが点いたとか、廊下から話し声が聞こえるなどの現象が、近所の人間やタクシーの運転手らによって頻繁に目撃された」という
それを確かめるために、ある男が夜中に家に入ると、女のか細い泣き声が聞こえてきて、逃げ帰った。こうした話が広がり、1997年には地元のテレビ局も取材に動いた。この時は、霊能者の宜保愛子さんが同行したらしい。当時、地元の小学校ではこのTV局の取材話でもちきりとなった、と東米里地区に住んでいた人がSNSに投稿している。
屋敷に入ったTVスタッフは、夜中にトイレの水が音をたてて流れるという現象を確認。また、一人で家に立ち入り取材した雑誌社の記者は、窓辺に薄く光る顔を目撃して逃げ帰ったという。
この話はまだまだ奥が深く、歴史的にも”怪現象”の発生が昭和50年代と、40年近く経ている。今は、鬱蒼とした草木が焼け落ちた屋敷の基礎部分も隠して、捜す術はない。ただ、屋敷のあったといわれる場所では、事情を知らない者でも気味の悪い感覚に襲われるかもしれない。霊感のない自分がそうだったように。
写真@:幽霊屋敷のあった場所に面して走る米里通り、同A:このフェンスの向こうに屋敷があった、同A:まだ焼け落ちる前の廃墟状態の屋敷=「北海道こわいこわい物語」(合田一道著、幻洋社発行)から抜粋
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
フライ ブログランキングへ
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4533053
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
私が白石区東札幌の地下鉄白石駅付近に家があった頃のお話しです。1981年、当時17歳の私は白石区の暴走族一員でした。
確か8月のこの暑い時期、毎週土曜日20時〜暴走族の集会があったんですが、集会解散後に米里の幽霊屋敷に単車2台、男4名で行きました。30分ぐらいで米里幽霊屋敷に到着し当時の100円ライター「チルチルミチル」を付けて4人で屋敷2階の階段を上り
和室の部屋にたどり着きました。2階に上るまでの間に100円ライターで指が熱くなり何回も付けたり消したり繰り返して和室にたどり着いた記憶があります。その当時の和室の畳にはタバコや缶コーヒー10円玉などがすでにありました。
3分ぐらい和室に居たのですが薄気味悪くなり急いで2階の階段を降り外に出て単車の帰ろうとしたのですが、もう一台の単車のエンジンが掛からなくなり4人で顔を見合わせた記憶があります。当時100メートル置きにぐらいに街灯があったのですが、そこを4人で単車を押しがけし、ようやくエンジンがかかって白石区まで帰って来た記憶があります。
その話を暴走族の後輩に伝えて、何年か後にチームで米里に行ったんだと思います。
今現在、静岡県沼津市在住でコメント記入してたら…2024年8月20日(火曜日)AM2時ですが急に、どしゃぶり雨と雷が鳴っている状態です。
なんだか怖くなってきました(笑)
情報が色々錯綜してますが、パック2で宜保愛子が来たのが85年ですね。ここに泊まって除霊するとかなんとか大見得を切りましたが霊力が強いとか言ってすぐに東京に帰りました
おそらくは最初から東京で次の仕事が入ってたのでしょう。当時の視聴者の大半もそう思ってたと思いますよ。んなわけあるかとw
それからすぐに一度目の放火というか火の不始末があります。それが白石区を拠点とする某暴走族の仕業です。この時はそれほどの火事にはならずまだ建物として健在してました
それから4,5年後程後にまた暴走族による放火があり、その時は完全に外壁が焼け落ちました
そこからは自然に朽ち果てて行った感じですね。訪れた人間による破壊もあったでしょう。2000年には業者による撤去が進みもう更地だったと思います
お化け屋敷とされるような事件は実際にあったようです。その詳細については近所の方のブログが詳しいです。宜保愛子が来るより相当昔の話ですね
女性が一人で住んでいたのは間違いないようです
ちなみに私も何度も行ってますが何もありませんよw
余談ですがここのお化け屋敷で立ちションをして1時間後に熱が40度まで上がり次の日入院したした。
幽霊は見たことないですが、こういうことってあるんだなと身をもって体験しました。
私がyoutube用に撮影した時には、屋敷のあった近所の方が迷惑そうに見ていたのを思い出します。そうしたことから、地元ではまだ終わった話ではないようですね。
心霊ファンということですが、こうしたお話がありましたら、またコメントをお寄せください。
ありがとうございました!!
私が原因で成仏したようです。そういう不思議な事が起こります。小樽や菊水地区の家もそれで解体撤去されました。
この米里の家について書くなら、先に書いた文をそのまま引用します。
また、この家の二階からの眺めは、とてもよく、私にお金があったときに知っていたなら買い取ったでしょう。知人に何人も霊能者がいるため、あとは片付ければよいことですから。 これがもっともシャクです。
★あの家の問題は、娘さんが統一教会か何なのもつれで、二階の部屋の真ん中の柱でクビを吊ったことです。
★私も知人と行って、その時は誰も居ませんでしたが、二階に上がり「ああ、ここでクビ吊ったんだ」と分かりました。その幽霊の中?を通過して、ほんのりと何かを感じたような気がしましたが、霊感は〇感なので、不明です。
その後、知人の霊能者と一緒に見物にいきましたが、すでに燃えてしまったあとで、それでもまだ焼け焦げた柱が残っており、霊能者は、二階の私が感じた?柱を指差して、まだあそこにいる・と言いました。
そのあとで言った言葉が傑作で、書いていいものかどうか? 今もテレビに出ている向井慈空さんなのですが、「あんまり美人じゃないね」というのです。
ここには、タバコを供えると霊に取り憑かれない・というようなバカげた迷信を信じた人がタバコをたくさん置いていったため、それが火事の元のようです。
★この死んだ娘さんについては、親が旅行中に死んで、帰って来た時には、下ろそうとしたところ、クビがもげたとか。
なぜか知りませんが、その後、ご両親は近所の家を借りて住んだそうです。
尚、この家は、いつだったか、40万円で売りに出されており、私が知ったのは、ずっと後のこと。そのころ私には40万円ならあったので買いたかったのですが、オカゲで、一番、恨めしいのは、私ということで、オチになりました。
それにしても、ずいぶん長い間、放置されていました。私は面白半分で行くのですが、その心が幽霊にはもっとも良いものらしく、こういうことで成仏してもらえたところがほかにもあります。
それは、面白半分には執着がないので、幽霊の執着が私によって解かれるらしく、最後に行ったあとに、その成仏した証拠として、この家は取り壊されました。成仏しないと、いつまでたっても取り壊しが出来なくなるのが普通です。
★今の私の住所は、白石区の菊水です。幽霊屋敷大好き人間です。成仏もさせられるので、またどこかあったら知りたい。
建物はすでになくなっていますが、ここを知る方たちの記憶は簡単には消えないようですね。
同じように、ここで亡くなられた方の思いも、怨念としてまだ残っているのかもしれません。
youtubeにコメントを送っていただいて、ミスが出るとのこと。すいませんでした。調べて改善します。
ご来訪、ありがとうございました!!
その後にまた焼けたんですかね?
当時の噂では、暴走族が火をつけて焼けてその暴走族がみんな事故にあったとか?って噂ありました
1度夜に肝だめしで行ったけど風呂桶にお金がいっぱいでした。あとタバコも、みんな賽銭入れてタバコをお供えしてたみたいです。かなりの噂だけにすごい怖かった記憶があります。
この記事を見てのんか懐かしい記憶がよみがえりました。
本籍水車町さんのような、この分野の専門家の言葉には重みがあります。
霊感の強いMAKOTOさんの実体験も含めて、幽霊騒動が起きたのは本当のことなのでしょう。
想像したよりも怖い話が出てきます。
また、ご来訪をお待ちしております。
コメントをありがとうございました!!
合田一道氏はちょっとなー、あの本の中ではほとんどの現象を否定してましたから。
この場所…当時、某誌の編集部にいた友人が、夏の心霊企画で訪れているんですね。
その後、どうも体調がよくないので診てもらったら、若い女性の霊が憑いてると言われ
すぐにお祓いをうけたそうです。
「お前、幽霊までナンパしたの?」と茶化したのですが、マジな話でした。
結局、その話はボツになり採用はしませんでした。
強い霊感を持たれている、MAKOTOさんが感じられないとしたら、
確かに成仏したのかもしれませんね。
この写真は先日撮ったものですが、屋敷のあったとされるフェンスの向こう側は
かなり陰気でした。
それと、MAKOTOさんのこれまでの霊体験にすごく興味を持っています。
コメントをありがとうございました!!
米里の幽霊屋敷…大学生の時に見に行ったことがあります。
林の中に佇んでいて昼間でも暗くて不気味でした。無人の廃墟の窓から視線を感じたのですぐに
退散しました。
噂ではこの廃墟の近くの道は深夜はタクシードライバーも避けると聞いたことがあります。
いつの間にか無くなってしまいましたね
いまだにこの沿線は良く通るのですが、特に何も感じなくなりました。成仏したのか…
私が鈍感になったのか?(笑)
いつも、苫小牧や胆振地区でのご活躍をブログで拝見させていただいています。
運送屋さんのブログは、読む人に元気を与える効果があるようで、落ち込んでいるときは、訪問して元気をいただいています。感謝!!
ただ、運送屋さんがホラーを苦手とは意外でした(笑)
これからも、興味を引いてもらえる怖い話を載せていきたいと思っています。
また、ご来訪をお願い申し上げます!!
北海道にもハンニバル・レクター博士が居たとは驚きです、地元でも清水町の精神科病院で医師が患者さんに刺されて亡くなった事件を記憶してます。
合田一道氏はHBCラジオに出演して北海道開拓使は何時も興味深く拝聴してます。いや〜っ ホラー話にも歴史ありですね。