北海道史の闇漂う333号線: ホラー好きのフライマン
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2014年07月21日

北海道史の闇漂う333号線

 遠軽・湧別川支流の富美川流域での怪奇事件(https://fanblogs.jp/bukki/archive/8/0?1405939396)や金華峠(常紋トンネル)(https://fanblogs.jp/bukki/archive/36/0?1405939464)のJR線路脇の墓、北見駅前のビジネスホテルでの金縛り体験(https://fanblogs.jp/bukki/archive/5/0?1405939590)と、北見を中心としたこの地域での心霊現象をブログで取り上げてきた。別に意識して載せたわけではないが、釣行や出張に絡んだ不思議な出来事がこの地区で傑出していて、結果的に多く取り上げることとなった。

  今回の瀬戸瀬地区では、別に心霊現象を経験したわけではないが、そこに建つ慰霊碑にまつわる話を載せるために、その歴史を探った。
 明治政府は、明治24年に国土防衛や道東地域開拓などを目的に、北見峠から網走までの約163kmの道路建設に大量の囚人を投入、1年で仕上げる超突貫工事を行った。そこに狩出されたのは網走刑務所に収監されていた囚人や、業者に騙されて連れてこられたタコたち。彼らは、逃げられないように4キロの鉄鎖の足かせがはめられ、過酷な労働を強いられた。結果、多くの囚人が過労や病気、栄養失調などで命を落とした。
特にこの瀬戸瀬を走る当時の名称で333号中央道路は、別名囚人道路とも呼ばれた。この瀬戸瀬から留辺蕊に抜ける国道333号線の金華峠そばにあるJR常紋トンネルでは、十勝沖地震後に人柱が何体も発見された。ここも多くの囚人やタコが工事に投入された悲惨な歴史を持つ。

 遠軽町史によると、明治27年に瀬戸瀬駅逓の責任者としてこの地に入った佐藤多七が、旧囚人宿舎を住居にあてた際に住居裏に67本の墓標を発見。そこから夜毎「助けてくれ」との声やうめき声が聞こえたので、慰霊に努めたという。大洪水でその墓標が流出した後、近くの薬師山で見つけた巨岩を運び出し、死後も囚人と呼ばれたのは気の毒と考えそれに「山の神」と刻入して建立したとある。
 『山神』碑は現在、遠軽町瀬戸瀬東町 薬師山バス停の裏にあり、「山神」の他に「山の神建立の由来碑」「薬師山八十八カ所の由来碑」と薬師山八十八カ所札所が並んでいる。
  
  この瀬戸瀬では、田園地区を流れる瀬戸瀬川で岩魚釣りをしたことがある。瀬戸瀬川は、湧別川に流れ込む支流のひとつで、川幅が最大でも3メートル足らずの小河川。国道から瀬戸瀬温泉に抜ける道々493号線に沿って伸びている。その当時は、この地での囚人たちの悲惨な歴史を感じ取ることはなかったが、高規格道路を丸瀬布で降りてから留辺蘂に向かうまで、空気が重く感じられたのは事実。

瀬戸瀬東町の薬師山バス停裏に建立された『山神』碑。

7月21日写真




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