
皆さんの周りに、他人の責任を追及して
やまない人はいませんか?
こういうことになれば、誰の責任なのか
と徹底的に追及します。
主張自体には問題はありません。
但し、主張する側のスタンスは
どうなのか。
今回は、責任を追及する人ほど
自分の言葉に責任を持っていない
ということと
それでも、言ったことの責任は
取らなくてはいけなくなる。
そんな話をします。
警備でも、口を出さずにいられない
一言居士はいませんか?
守衛室の中でマウントを取り、
専制君主になりたがる。
そんな人が責任者なら、パワハラも
懸念されます。
守衛室と言う限られた空間の中では
舌鋒鋭く声高らかに批判はするけれど
クライアント側や人事権のある人の前
では、トーンダウン。
自分の言い分を認めろ、だけど責任は
取りたくない。という思惑が透けて
見えます。
正論であるならば、立場関係なく
意見具申できるはずです。
それなのに人によって態度を変える。
社会人としてどうなのか。
そんな人は、要領よく立ち回るのが
得意なのでしょうが、果たしてそれが
力ある人にどう思われているでしょうか。
人間関係は、自分が他人にしたように
他人からされるもの。
自分の正義で、徹底的に他人を詰めれば
他人から同じことをされる。
第一、正義なんて立場の数だけあるもの。
要するに変な人間関係(特に上司)を
引き寄せてしまう。
上司の正義で、けちょんけちょんにされて
しまうわけです。そのパターンを繰り返し
ている人もいます。
自分では気づかないようですが、
こいつは口だけと陰で揶揄されている
ケースもあるようです。
どんな立場であっても、自分の発した言葉
には責任を取らされるようになっている
ようです、人生というものは。
となると、何を言うかより何を言わないか
吟味する力が重要になってくる。
生産性のない主張で、周囲をかき回す
人は、時間と共に馬脚を露します。
くれぐれも、言いっ放しの人には
ならないようにしたいものです。
因果応報的な責任の取り方をされます。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image