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2022年06月03日

供養の引継ぎを考えない考え方

七回忌で区切り

法要は七回忌まで、と決めている。

母の七回忌法要を無事済ませ

残るは父の七回忌。

その後の供養の在り方を考える。

お墓参りはもとより、

お仏壇の供養は毎日欠かさない。

朝晩のお水の取り換え、お茶、お線香、

これらは生活の一部となっていて

煩わしくもなく、面倒でもない。

少なくとも、私にとっては。

子供たちはどうだろう。

生活のスタイルも環境も考え方は

時代と共に変わり続け、今も進行形だ。

大正から昭和にかけて植え込まれた文化は

昭和後期から平成のフィルターにより

淘汰され続けている。

令和は更に加速して、新たな思想文化が

生まれて、置き換わるかも知れない。

だとすれば、供養の形も例外ではない。

伝統や形式、様式にこだわらない

十人十色、自然で自由な在り方で

故人を偲び、先祖を敬う。

その想いの在り方に違いが出ることこそが

自然なのかもしれない。

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2022年04月09日

しばらく続く週一度

一時的に多忙になり

お墓に足を運ぶ回数が激減している。

しかも、「一時的多忙」が「常態化」する

という懸念材料もある。

いずれにしても、しばらくの間は

お墓に足を運べる回数が限られる。

週に数回足を運んでいる時は

たまには週一度でもいいだろう、

と思う事もあったけど、

週に一度しか行けない状況になると

逆の心理が働いてしまう。

供養とは不思議なものです。

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2022年03月16日

お彼岸の入り

18日から春のお彼岸に入る。

いつもこれと言って何をするでもないけど

事前にお墓参りしてお墓を綺麗にする。

自分で言うのもなんだけど

いつも綺麗にしているから

そんなに手間もかからない。

仏壇にビールでもお供えしておこうかな。

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2022年03月15日

父の誕生日

父が生きていた当時

誕生日に大したことをしていない。

なのに、

他界してしまうと、何かしてあげたくなる。

生きてくれていれば…

などと調子の良い事を思ってしまう。

無い物ねだりのようなもの。

仮に、父が甦ったとして、

誕生日を盛大にしてあげるのも

最初だけになるだろう。

私はそういう人間だ。




2022年03月10日

もうすぐ命日

父が他界して4年目、

4回目の命日を目前にして

思い浮かぶ在りし日の父。

今一番悔やまれるのは

若き頃に父に対して暴力を振るったこと。

一時的な感情で動いた結果が

一生負い目を背負って行くことになった。

そして、我が息子がその当時の私の年齢に

達した今、自分が同じ目に会うことを

想像することが、とても心苦しい。

私はあの頃の事を、父に謝った事はない。

その事実が更に自分を苦しめる。

今となっては墓前で手を合わせるだけ。

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2022年02月23日

自分の物なら捨てられるのに

故人の遺品を処分しきれない。

処分するタイミングは…

いつかは処分しなければ…が

そのうちに処分しよう…に変わり

そろそろ処分し始めようになった。

そして当然の如く壁に当たった。

何から処分しようか…と。

結局のところ何も始まらない。

「意気込み」だけでは何にもならない。

また振り出しに戻ってしまった感覚。

遺品整理と遺品処分…

することが供養となるのか、

やり方を間違うと逆効果となるのか、

今更そのような壁に当たっている。

自分の物なら捨てられるのに

故人の持ち物の処分に臆病になっていく。

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2022年02月21日

冬季オハカマイリに克てない理由

冬季の朝のお墓参りは何かと不便です。

寒いというだけで身体は縮こまる、

しかしそれは防寒着、防寒具で何とかなる。

何とかならないのが、「氷」です。

冬季の朝のお墓はすべてが凍っています。

水道、水鉢、花立…

そうなると何も出来ません。

なので私は冬季の朝のお墓参りはしません。

一時は、水道水を入れたペットボトルを

自宅から持参して…ということもしました

けれど、花立てが凍っていると、

水も替えられず、四苦八苦した苦い記憶は

私の行動力を低下させました。

冬季オハカマイリは自分に克てないままです

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2022年02月19日

ホントに居ないの?

私の両親はこの世に居ない。

遺影の前で手を合わる時

父母共に毎日変わらず笑っている。

実際、心の状態が両親の表情を変化させる。

だから、毎日少しずつ表情は違う。

そんな両親と毎日対面していると

そこに両親がいるかのように感じる。

ホントに居ないの?と

現実がわからなくなる瞬間は

幾度となく訪れる。

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2022年02月11日

墓地墓石

まるで住宅街のように建ち並ぶ墓石

失礼とは思いつつ

他家の墓石を眺めてみた。

それぞれの想いが込められた墓石は

お手入れの行き届きかの違いが

輝き方の違いに現れる。

墓石のデザインは極上、上、中、下

の4種類あり、更に墓石の種類(石質)が

3種類あるので大きく分けると3×4で

12種類ある。

それぞれに良さはあるけど

石の質の違いもはっきり別れる。

そして、その良さを生かす為に

お手入れは欠かせない。

輝いている石、そうでない石、

同じなのにまったく別物。

色合いも模様も少しずつ違う。

それが供養の質の差となるかは分かりません

けれども、見ていてとても気持ちいい。

どれを見比べでも同じ石は見当たらない。

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2022年01月21日

17回忌

17年という月日を経て

私は大きく成長しただろうか?

我が名付け親がこの世を去った日

出張で大阪に行っていた。

母からの電話でその訃報を聞かされた後

故人の顔を見に向かうまでの間の記憶は

まったく残っていない。

それほどに驚いたのだと思う。

葬儀の時、私の腕に抱かれていた娘は

21歳の社会人になっている。

17年…

もっと昔の出来事のように感じる。

あれから毎年、命日はお墓参り。

報告ごとがあればその都度墓前で報告する。

今でもなお、

見守っていてくれているとしたら

私に何と声かけしてくれるだろうか。

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2022年01月12日

貴女を想って7年目

昨年末、母の7回忌を済ませた。

他界してしまったあの日から

片時も離れなかった母への想い。

最期を看取った筈なのに

まだ何処かで生きているのでは、

などという錯覚に似た感情は消えない。

それはきっと、これからも

ずっと

母親は

いつまでたっても母親。

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2021年08月12日

独りで抱える供養の行く末

お盆の時期がやって来た。

毎年、お盆前日に準備を済ませる。

毎年独りで。

妻にも子供にも負担を掛けまいと、

色々な供養を独りで抱えて来た。

毎日仏壇に手を合わせ

お膳とお茶、お線香は私がする。

誰にも負担を掛けまいとした結果、

いつしかそれは私の仕事となり

私がやらなければ、誰もやらない。
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私独りで全てを抱えようとしてきた結果、

思い描いていた未来では

なかったことに気づいた。

独りで抱えることは

必ずしも格好良いことではない。

称賛されることでもない。

そこには多くの間違いがあって

それを修正できない自分自身との葛藤は

「初志貫徹」という言葉で誤魔化す。

と同時に、

私の背中を見て欲しい…と想い、願う。

両親から「供養」について殆んど

学ばなかった私の供養の知識の

殆んどが自己流。

子供たちに引き継ぐのであれば

このままでは引き継げないだろう。

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2021年04月26日

父の誕生日

生きていれば75歳。

決して若くはないけど

現代社会においてはごくごく普通の高齢者。

隣近所に90歳を迎えたおばあさんがいる。

毎日散歩している姿を見るだけではなく

顔を合わせれば普通に会話もする。




物忘れが多くなったと本人は言うけれど

私からすれば頭の切れるおばあさんだ。

そう考えると、75歳はまだまだ若い。

父が生きていても、まだまだ若いと

言われていたことだろう。

それはきっと父がお世話になっていた

施設でも同様だと思う。

毎年この日を迎える度に

こうして父こ事を思い出す。

そしてそれが供養に繋がる。

この、ごくごく自然の思考の流れは

ずっと続く。



2021年04月14日

父の腕時計

父の数少ない遺品の一つ

腕時計

ずっと仏壇に置いてある。





二年くらいは動いていたけれど、

最近、気がついたら止まっていた。

思いつきで

父の腕時計を手に取り

竜頭を引いて針を動かした。

父が息を引き取った時刻に合わせ

再び仏壇に戻した。

それが供養になるかはわからないし

そこまで考えずにやった。



2021年04月03日

父の命日





あの日も今日のような良い天気だった。

気温は平年並みだったと思う。

思い返してみると

母が他界した朝も

すごく穏やかで良い天気だった。

日本は年間の約80%が晴れらしいので

そこに神秘的な何かはないだろうけど、

やはり穏やかな晴天というものは

印象が良い。

姉は私よりも一足…

いや二足早くお墓に駆けつけていた。

お墓は既に綺麗に着飾っていた。

私は水を替えてお線香をあげるだけだった。

あの日、父が息を引き取る寸前に

流した一筋の涙の事を私は忘れない。

あの涙の意味は誰にもわからない。

父が大好きだったウイスキーを

仏壇に置いた小さなグラスに注いだ。

親父…ありがとう。





2021年03月27日

両親へ報告





子供たちの独り立ちを報告した。

娘に続き、息子が学業を離れ

晴れて社会人となる。

両親からしたら、

孫たちの晴れ姿を一目見たい

そう思ってくれたはずである。

娘の時もそうだったが

墓前と仏壇前での報告をした。

どんな言葉を掛けてくれるのか、

おおよそで察しがつくけれど

やはり生の声を聞きたくなる。

何か事がある度に

そうやって想像することで

両親を感じている。

父も母もそうやって親を感じていたのか

どうかはわからないけど、

そんな会話をしてみたいな、と思った。




2021年03月17日

お彼岸入り





早朝からお墓に行った

いつも通り、誰もいない朝7時半のお墓

近くの国道から聴こえる車の音が

淋しさを紛らわしてくれるけど、

今日は少し違った。

お彼岸入りだからと思うけど

次々と人がやってきた。

皆、私よりもご年配の方々で

「朝から早いね」

と声かけしてくれる人もいた。

人っていいな、と感じた。

そう言えば、母もにぎやかな雰囲気が

好きだったなぁ。

いつもと違う早朝のお墓の雰囲気に

心が温まった気がする。




2021年02月05日

お線香





お墓参りの時

お線香は''一束''だと思い込んでいた。

100円均一でも売っているお線香も

着火剤付きのものは一束そのまま着火して

終わる。

だからそういうことだと思っていた。

でも、そうではなかった。

供養とは形式ではなかった。

大切なのは故人への想いなのだと。

そう考えるようになってから

気持ちが楽になれた気がする。



2021年01月18日

ゴメンね





他界した母に謝りたい事が沢山ある。

でも、それは一つと叶えられない。

我が家は陽当たりが悪い。

特に、両親が生活していた一階リビング。

転居してきた最初の冬からだったか

二年目からだったかは思い出せないけど

「寒い」と言われていた事は確かだ。

底冷えする…お父さんが寒がる…と

床暖房を入れない!?

と言われた記憶もある。

その全てを聞き流してきた過去を

覆すことができない。

ゴメンね。

確かに寒い、底冷えする。

キツかっただろう…

ゴメンね。

この一言が言えない、伝えられない。

この現実が辛い。




2021年01月16日

コロナ禍での法要を考える





今年の七回忌をどうするか

昨年末からの世の中の流れは

私の心を躊躇させる十分な情報となった。

母の命日は12月末なので

感染症が蔓延しやすい季節となる。

母が他界した当初

法要を何回忌までやるのか!?

を考えて見たとき

七回忌が一つの区切りとして浮上した。

それはいつしかゴールのような位置づけ

となっていた。

その区切りの年が今年である。

先のことはわからないけど

今時点の感じでは

コロナとの闘いは数年続くと予測する。

七回忌を区切りにすると決めたきっかけは

故人は7年で仏になるという情報から

区切るのにちょうど良いと考えた。

この心の葛藤が始まって間もない。

予定を立てる事を考えても

まだまだ時間はあるという余裕と

状況は変わらないのでは…という予測が

強く心の中でうごめいている。




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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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