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2016年09月30日

もう飽きた、と言わずに

<豊洲市場>「11年8月変更確認、9月局決定」都知事公表
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160930-00000058-mai-soci


何事にも作用が起これば反作用というものも起こる。
この豊洲市場移転問題に対しても
「地下水からベンゼンやヒ素が検出されたといっても
その地下水をそのまま飲むわけではないのだし、
基準より低いのだから問題にするのはおかしい」
という意見が出てきた。

メディアの情報の受け手である視聴者も
毎度毎度同じ問題ばかり流れてくると
「いい加減この問題は飽きたなぁ」と
目先の違った情報を求めるようになる。

それを心得ている人たちが反作用を求める心理を利用し、
これまでとは逆の情報を流して矛先を変えようとする。

そこで求められるのは
受け手である我々の見識なのだが、
これがけっこう脆い。

過去の公害問題を考えてみて欲しい。
足尾銅山鉱毒事件にしても水俣病にしても
多数の犠牲者が出るまでは対策が打たれなかった。

原子力発電所にしても
東日本大震災が起こるまでは
何が起きても絶対安心安全といわれてきていた。

我々市民は、
情報にときには流され、ときには鵜呑みにし、ときには騙されて
正しい判断を行うことができなかった。

もちろん我々は全てに対して正しい判断ができるわけではない。
だが、立ち止まって、過去に起きた事例に触れたり
多方面から情報を集めたりして
正しい判断を下す努力はすべきであろう。

そうした姿勢を見せるだけでも
今のチートな世の中が少しは変わるはずだ。




posted by 黒豚猫 at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2016年09月29日

いつまでも獲物を捕る意識

2015-9-19-001_R.JPG

涼しくなると動きが活発になって
遊んでくれとせがむようになるジュリさん。

今のお気に入りは荷物用の紐。
私が紐を持って歩き回ると
その先端を狙ってジュリさんも付いてくる。

この猫の遊びというものは
いずれにしても獲物を捕るためのものだ。

ネズミのおもちゃも蝶々のおもちゃも
フェルトで作ったボールも、
全て獲物を追いかける行為を
おもちゃで代用している。

よくお年寄りが仕事をリタイアすることによって
急激に老け込んだり、
逆にやることがなかった老人に
仕事を依頼することによってその老人が活き活きとしたり、
ということがある。

よく
人の役に立つのが嬉しい、
などという声を聞く。
仕事をすることによって「ありがとう」と言ってもらえるのが嬉しい、
などというのもよく聞く。

家猫が獲物を取らなくても食事に困らなくなっても
獲物を狙う行為を忘れないのと同じように、
人間も仕事をし続けるように元からできているのではないだろうか。

昔は生活も厳しかったし寿命も短かったから
まだまだ働ける年齢で死んでいた。
昔と違って今は長生きできるから
働き盛りをすぎても生き続けることになる。
だからといって何の仕事もないというのは
生物的に拷問に近い環境なのではないだろうか。

働ける喜び、
それは生物が生物である証明の結果得られるモノのように思える。
年寄りのためと思って仕事をさせないのは
生物的には誤りなのかもしれない。




タグ:
posted by 黒豚猫 at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年09月28日

国籍感覚

日本人の国籍感覚
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7787


純然たる人種はない。
生物的に純然たるものがないのだから
人間が勝手に決めている国籍も
純然たる「〇〇人」なる人はいない。

3人集まれば派閥ができる、といわれるように
人間というものは派閥を作りたがるものである。

ホモ・サピエンスは一人きりで生きられないことを知っている。
集団で生活していたからこそ
現代まで生き延びることができた。

だから孤立を避けるために
本能的に派閥を作って自分の身を守ろうとする。

「保守」というのはその字が示すように
保って守るという考え方の人たちである。
何を保って守るのかと言えば
現在有している権利や立場、利益を
保ちつつ守っている。

したがって変化を恐れるし、
権利や立場、利益を侵そうとするものに対しては
同じような立ち位置の人たちで集まり強く抵抗する。

そのために誰が敵で誰が味方かをはっきりさせるために
国籍などの区分けを作る。

生物的に考えると
変化に対応できない種は淘汰される。
それはすでに証明されており
普遍的な地上の営みである。

保ったり守ったりすることが大事な場合もあるだろうが、
それだけでは淘汰されるし滅びてしまう。
頑なになることなく
柔軟に考えることこそ
本当に生き残るために必要なことのはずだ。








posted by 黒豚猫 at 17:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2016年09月27日

アメリカ大統領選テレビ討論

米大統領選
 クリントンVSトランプ、初の「世紀の討論会」激しい舌戦
 CNN世論調査ではクリントン氏に軍配?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160927-00000529-san-n_ame


二人の舌戦に興味があったので
序盤を少しだけ見てみた。

ここ最近アメリカの南北戦争についての話を読んでいたのだが、
二人の論戦を見ていると
南北戦争が私の頭のなかでリンクしてしまった。

一方的には南北戦争というものは
アメリカの奴隷制解放のための戦い
というような受け止め方がされていると思う。

私は常々黒人のために白人が血を流すということに
疑問を感じていた。

戦争をするということの動機は
そのほとんどが経済活動絡みである。
主義主張や理念のために銃を持つという人もいるかもしれないが、
それは末端の一部の人に限ったことで、
戦争を引き起こす立場の人達は
損得で動くものだと私は確信している。

実際南北戦争もそうであった。

南部は奴隷を使って綿花を安く栽培して
それを産業革命で潤っているイギリスに売りたい。

北部は綿花が取れないので
工業製品を作っていた。
イギリスから優れた製品が輸入されると
北部の製品が売れなくなるので
イギリスの製品には高い関税をかけたい。

イギリスは関税をかけられると
自国の製品が売れなくなるので
アメリカに高い関税をかけるのなら
アメリカから綿花は買わないと脅しをかける。

イギリスに綿花を買ってもらえなくなると南部は困るので
アメリカ合衆国から分離独立をしようとする。

南部に分離独立されると国力が弱くなるので
北部のリンカーン大統領はそれを阻止しようと戦闘に踏み切った。

これが南北戦争の経緯である。

その際、イギリスやフランスなどの介入を阻止するために
この戦争は奴隷解放のための正義の戦いである
という旗印を立てた。
こういう大義があれば外国はこの戦いに
首を突っ込むことができなくなる。

そしてその大義が独り歩きし始めて
南北戦争は奴隷解放のための戦争
というイメージが出来上がってしまったのだ。

リンカーンは共和党である。
今回の大統領選挙で共和党代表のトランプ氏も
北部ニューヨーク出身で経済の保護主義を訴えている。

一方のヒラリー・クリントンは生まれこそシカゴであるが、
夫ビルとともにビルの出身地である南部アーカンソー州で
長いこと活動してきた。

南北戦争から150年も経過しているから
共和党、民主党ともに
その頃と立ち位置は変化しているだろうが、
なんとなく根底に流れているものというのは
現在に何らかの影響を与えているように思えてならない。







posted by 黒豚猫 at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2016年09月26日

平成28年大相撲秋場所千秋楽

豪栄道優勝の原動力は
「危機感」だったのだと思う。

大関昇進後にはカド番に次ぐカド番で、
昇進は早計だったのでは、
という声が豪栄道の周囲には多かったことだろう。
私は今でもそう思っているが。

今場所は初日から優勝候補に挙げられていた稀勢の里が破れ、
2横綱とも序盤から星を落としていた。
豪栄道同様カド番続きの照ノ富士も調子が悪い。
そして絶対的な壁である白鵬も休場している。
上位陣の周りがこうなので
なんとなく気が楽になったのではないだろうか。

変な力が抜けたおかげで
自然と体が前に出るようになって
彼本来の相撲が取れるようになったのだろう。

豪栄道の悪い癖である首投げや引き落としも時折見られたが
ノッているときというものは違うもので
それが良い結果をもたらすこともあった。

彼が活躍するときの原動力は危機感だ。
大関昇進のときも万年関脇という危機感が
彼を大関に押し上げることになった。

だからといって相撲が進化しているかと言えば
それには疑問がある。
危機感に頼ることなく、
安定して力を見せることができるか、
次の場所はその真価が問われることとなろう。

今場所で特に光っていたのは
遠藤と御嶽海だった。

遠藤は復活したと見ていいだろう。
腰がよく落ちていて、一方的に押し込まれることがない。

これまでは取組後の表情も冴えないものであったが、
今場所は納得のいっている良い表情が多く見られた。

怪我によってちょっと足踏みして
同世代の照ノ富士に先を越されてしまったが、
最終的には照ノ富士を超えることができると
私は考えている。

御嶽海はいいなぁ。
上位と当たってもまったく力負けしていなかった。
とにかく相撲センスがいい。
どんな相手にも対応している。
今後もっと伸びるであろう注目株だ。




タグ:大相撲
posted by 黒豚猫 at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 大相撲

2016年09月25日

ジュリちゃんは、ありままを受けいれて、いるのかな?

2016-9-25-001_R.JPG
2016-9-3-005_R.JPG

台風が来る前に肌寒くなったり
台風が過ぎ去って暑くなったりで
人間も体調を崩しがちだが
猫はもっとこたえているのではないだろうか。

人間ならばあらかじめ天気予報で明日の予想気温を聞くことで
心構えができるのだが、
猫はその時その場面で受け入れるしかない。

ありのままを受け入れる。

よく人生相談などで人生に行き詰った人に対して
「ありのままに受け入れましょう」
などという答えをよく見る。

実に抽象的で、切羽詰まっている人にとっては
何をどうして良いか分からないアドバイスである。

その人が悩んでいることというのは
周りの人が見たらそんなに大したことではなかったりする。
だから俯瞰して、他人の目になって自分を見ることで
その問題に冷静に対処できるようになる、
というようなことなのだろう。

それが分からないと
ある人は心療内科に通うことになるのだろうし、
ある人は宗教にハマることになるのだ。

よく猫を先生に喩える人がいる。
ふと気づくと猫が何もない壁をじっと見ている時がある。
そんな姿に哲学者を思わせるものがあるのだろう。
そして全てを受け入れるように見える様が
達観している生き方のプロのように映るのだろう。




タグ:
posted by 黒豚猫 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年09月24日

戦国武将とヤクザ

真田丸が人気だそうだが、
戦国時代の話を現代に当てはめると
暴力で相手をねじ伏せるのだから
ヤクザの抗争と変わりがない。

戦国武将が城攻めに行くことと
ヤクザがしのぎのシマを広げることに
どういった違いがあるのだろう。

だが一方は郷土の英雄となり、
一方は嫌われ者の存在になってしまっている。

戦国武将をヤクザだと考えれば
当時の一般のお百姓さんなどの気持ちが
なんとなく分かるような気がする。

戦などで農作業の邪魔をされた上に
年貢を納めろとか、冗談じゃなかっただろう。
現在ヤクザがミカジメ料を請求したら
すぐに警察に通報されてしまう。

だいたい同じことをしていても
時と場合によって英雄にも嫌われ者にもなってしまうのだから
正義というものは曖昧なものだ。







posted by 黒豚猫 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2016年09月23日

麻婆豆腐の香りに包まれながら

昨日麻婆豆腐を作ってその匂いに包まれていた。
ん〜、ニンニクと生姜が混ざると
すっかり中華の香りになる。

これから生姜を抜いてニンニクだけになるとイタリアンの香りになり
ニンニクを抜いて生姜だけの香りになると和食になる。

単純だけど真理だなと感じる。
つまり、その地で収穫されるものの香りが
その地の料理となって根付くわけだ。

細かいことを言えば違うのだが、
大雑把に言えば世界の食のルーツは
中国にあるように思える。

麺の発祥については諸説あって定かではないが、
根付いて発展させたのは間違いなく中国と言える。

なぜそう言い切れるのかと言えば、
東洋では手ではなく箸を使って食べるからである。
熱々のものを手づかみで食べるのは無理があるため、
食べるための道具が必要となる。

西洋でフォークが使われるようになったのは
イタリアが最初と言われていて、
それはパスタを食べるためだったそうだ。
パスタは12世紀あたりにならないと文献に登場してこないので
フォークもそのあたりから登場したはずである。
それまでは西洋においても手づかみで食事をしていたのだ。

そうなると麺を食べるという習慣は中国からイタリアに伝わったと考えるのが自然であり、
イタリア料理の代表格であるパスタは中国発祥のものとなる。

西欧料理の基となっているのはイタリア料理なので
乱暴にざっくりと言ってしまえばフランス料理もロシア料理も
中国料理の技術の応用だと言うことになる。

日本のそばうどんも
元々は粉を粥にしたり団子状にしたりして食べており、
そばに関しては麺状にして食べ始めたのは江戸初期あたりと言われている。
それが証拠に今でも「そば切り・麦切り」と称する人も存在する。
わざわざそう称するのは差別化する必要があるからだ。

麺料理を中国から日本に伝えたのは留学僧たちであった。
麺だけを伝えたわけではないはずなので、
やはり元々の調理技術は中国から伝わったことになる。

食に関してのルーツは中国、
香りから考察してもそう言えるようである。








posted by 黒豚猫 at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2016年09月21日

フランス、プラスチック製の使い捨て食器を禁止へ

フランス、プラスチック製の使い捨て食器を禁止へ 世界初
http://www.cnn.co.jp/world/35089279.html


ヨーロッパというのはこういった政策を
大胆にきっぱりとやるので感心する。

禁止することで
その物を作っている人や使っている人が困ろうとも
その物を使い続けることで将来人類としてもっと困ったことになるのなら
問答無用で禁止にしてしまう。
関連団体が政治的に圧力をかけ、
その既得権益を守ろうとする政治家ばかりの
日本じゃできないことだ。

ただこのプラスチック禁止は無理な話ではない。

石油由来ではない代替プラシチックというものは
すでに技術として開発されており。
材料は材木の端材や竹、珍しいところでは寒天など植物由来なので
燃やさずに廃棄してもやがては土に還る。
問題になっているのがコストである。

とはいえそのコストも
需要があれば必ずそれに応える企業が現れるのだから
解決するのも時間の問題であろう。

こういったものは森林大国である日本がリードして欲しいものだ。
日本の山は林業が廃れたことによって荒れ果てているとよく聞く。

製材の残りや間伐材が使えるのならば
再び林業が活発になることだろう。

資源を海外に頼りきりで
資源の乏しい日本だと思われていたものが
木を使うことによって途端に資源大国に生まれ変われる。
もう海外情勢に振り回されることがなくなるのだ。

人が山に入り山の手入れをすれば
近年頻発しているイノシシや熊の被害も減る。

良いことばかりではないか。


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posted by 黒豚猫 at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2016年09月20日

家庭用発電装置はインフラである

また台風だ。
ニュースでは盛んに台風情報を流している。

大きな災害に巻き込まれると分かるのだが、
こういったメディアを通じた災害情報というのは
実際に巻き込まれていると見聞きすることができない。

電気は停電、道路は寸断、
情報の頼みの綱は乾電池や車のバッテリーで作動する
ラジオやワンセグのみである。

これだけ大きな自然災害が続いていて
そのたびに情報が届かないことで混乱が生じているのだから
国を挙げて解決に取り組むべきであろう。

では具体的にどうすれば良いのか。

電気というのは電線で運ばれる。
これが現在では常識になっている。
だが、太陽光発電が普及し始めたことで
その常識が少しずつ変わり始めている。
電気は大規模発電所で作られたものに頼らなくても
家庭で作れるようになったのだ。
家庭で作れれば電線は必要なくなるので
大規模停電というリスクはなくなる。

国は災害リスクの側面から
太陽光発電の普及に力を入れるべきである。

政治家にとっては現在の電力会社は
様々な旨味のある存在なのだろうが、
電力会社というものは将来消えるはずの会社である。
そろそろ見切りをつける時期ではないだろうか。

頼みの綱であった原子力発電も
東日本大震災でもはや終わった存在になってしまった。
これ以上電力会社にしがみついていても旨味は出てこない。

各家庭での発電で欠かせないのは
作った電気を貯める電池である。
国はこれまで電力会社を守るために
電池に関する研究費を出してこなかった。
もうそんな場合ではないだろう。
たとえ国内の電池研究を潰したとしても
今後は海外から優れた電池が流れ込んでくる。

日本の政治家たちは
電池研究において世界トップになれる機会を
自分たちの利益のために潰してきたのだ。
そのせいで国力を上げるコンテンツを失って景気向上が遅れ、
政権維持力を薄めているのだから
なんともマヌケな話である。

国を挙げて家庭発電開発を進めるべきときである。
これは災害の多発する国にとって必要なインフラである。

南海トラフ巨大地震によって
首都壊滅でも起きなければ
目が覚めないのだろうか。







posted by 黒豚猫 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会
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