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2016年08月31日

クロネコの新サービス

クロネコヤマトの宅急便から
新サービスを始めたというメールが届いた。
このたび、より便利に荷物をお受け取りできる
「Myカレンダーサービス」を開始いたしました。
お客様が、荷物を受け取りたい時間帯を
曜日毎に事前に登録できる無料のサービスです。


荷物の再配達問題が度々ニュースで取り上げられている。
宅配される荷物のおよそ20%が再配達扱いになるらしい。
それにともなって荷物を運ぶドライバーが不足したり、
渋滞や排気ガスによる環境汚染の原因になっている。

そういった問題を解消するための対策として
最大手の配達業者がこのサービスを始めたのは
とても良いことだと思う。

だが不思議なのは
どうして荷物を送る側の通販側が
時間指定を付帯サービスにするのか、ということである。

以前このブログにも書いたが、
Amazonはプライム会員にならないと
荷物の着時間指定はできない。

この事についてAmazonに意見しても
「着時間指定は宅配業者のサイトで設定してくれ」
というだけで取り合ってもらえない。

通販業者としてみれば
荷物を運んでくれる配送業者がなくては
通販事業は成り立たないはずである。
自社で配送網を構築するつもりなのだろうか。
それは現実的ではないはずだ。
いわば持ちつ持たれつの関係なのに、
なにゆえ配送業者のことを無視するような真似をするのだろう。

通販業者が客に時間指定させることなど
大した手間はないはずだ。
通販側でもシステムを作ってしまえば
時間指定を配達業者に伝えることなど
何の問題もないはずである。

現に他の通販サイトでは
何の問題もなく無料で時間指定はできる。

Amazonはサイトも見やすいし、取扱い商品も豊富だから
何かを買おうとした際には必ず最初に見るのだが、
こんなことを付帯サービスにするという感覚には
首を傾げざるを得ない。

今後も通販という市場は拡大することだろう。
少子高齢化が進めば
通販はインフラと言ってもいい存在である。

ならば行政は通販業者に対して
時間指定受付を義務化するべきではないだろうか。

通販業者がちょっとだけ手間を掛けることによって
客も満足、配送業者も満足、
道路も混雑が幾分緩和するし、環境にかける負荷も減る。
良いことだらけのことを放置するのは
行政としても怠慢だと私は思う。





posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2016年08月30日

今度はケイ素水?

水素水が落ち着いたと思ったら
今度はケイ素水、だそうだ。

確かに現代人にはケイ素不足になりやすい傾向にある。
そのことについては以前このブログで書いたので
省略させていただく。

ただどうなのだろう、
ただケイ素を水に入れて飲めば
ケイ素不足が解消されるのだろうか。

近頃よく聞く言葉に
「ナノ」というものがある。

「ナノサイズに分解」とか
「ナノバブル」などというように使われる。

ナノというのはギリシャ語で小人だそうで、
10億分の1というマイクロよりももっと小さうサイズを指す単位である。

「ナノサイズに細かくすることで浸透する」
などという商品に関する説明を目にすると、
逆にナノサイズでなければ浸透しないということなのか
と考えてしまう。

そう考えると
たとえ構造が同じものでも
サイズによって浸透具合に違いがあるのかもしれない。

かなり昔の話で恐縮だが、
今でも売られている炭酸飲料のファンタに
「ビタミンCが入っている」というCMがバンバン流れた時期があった。
今では成分表にはビタミンCという単語が書かれているが、
たしか当時はビタミンCではなく「L−アスコルビン酸」だったと記憶している。
ビタミンCは化学成分的にはL−アスコルビン酸なので正解なのだが、
当時の私は解らなかったので
なんだこのCM、と混乱していた。

大人になって再びL−アスコルビン酸と対峙した時、
また別の疑問が湧き上がってきた。

工業的に作られているL−アスコルビン酸と、
自然界で植物が作るビタミンCでは
同じ化学成分L−アスコルビン酸であっても
人間が摂取した際の吸収のされ方が
違うのではないだろうか。

その疑問は、ナノの登場によって
私の中では確信に変わりつつある。

同じ物質だとしても、
化学的に合成したものと
自然界で作り出されるものでは
体内で吸収される大きさその他の度合いが異なる。
自然界のものは、吸収されやすい絶妙の大きさ・形に作られていて、
生物はその大きさを吸収するように進化してきた。
その大きさ・形を吸収できた生物だけが生き残ってきた。

だからケイ素水といっても
単に水にケイ素を溶かしているだけで
体に吸収できるのか疑問がある。
やはり玄米とか小麦全粒粉とかを食べることのほうが
生き物にはむいているのではないだろうか。
玄米や全粒粉ならケイ素以外にも
必要な栄養素がたくさん摂取できるし。





posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康

2016年08月29日

すごしやすい?ジュリさん

2016-8-28-001_R.JPG

涼しくなるということは
猫にとっても喜ばしいことのようだ。

夏の間は風通しのいい場所にあるダンボールの上で寝て、
起き段ボール箱から降りても
気だるそうにゆっくりウロウロしているだけ。

だが、ここ2日は涼しくなったので
今までの鬱憤を晴らすかのように
何もないのに全力疾走している。

あちこち潜りこんだり、
今までより1段高い棚に登って私を見下ろしたり。

見下ろすのはいいのだが、
降りられなくなったのかどうか知らないが
ギャーギャー泣いてうるさい。

ただ単にこっち向いてという「かまってちゃん」行為なのかもしれないが
面倒なので床に降ろしてやる。
すると遊んでもらっていると勘違いして
全力疾走を始める。

猫の習性では
トイレをした後に自分の臭いを消すために
しっかりと砂をかける。
夏の暑さでうっかりしたのかもしれないが
猫トイレでウンチをした後、別のところに砂をかけて
肝心のウンチには砂がかかっておらず
むき出しになっているのが最近目立つ。

オシッコの時以上に激しく砂をかけるので
砂をかける音でウンチをしたのが分かるのだが、
一所懸命砂をかけているのに
見当違いの場所にばかり砂をかける姿は
表情が真剣なだけに微笑ましい。

そんなこんなしながら
ジュリさんと暮らし始めて丸3年、4年目に突入する。


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2016年08月28日

スマホがあってよかったな

歩きスマホが社会問題化している。

スマホは持っていないし、だから使ったこともないのだが、
パソコンが手のひらサイズになって
持ち歩きできるのだから便利なのはよく分かる。

ただでさえ歩きながらスマホを見ている人がいるというのに
そのうえポケモンGOなどというゲームまで誕生して
歩きスマホに拍車がかかってしまっているようだ。

スーパーの中でも
買い物をしている人が立ち止まってスマホを見ている姿を
よく見かけるようになった。

ガラケーしかない時代だったら
着信したメールを確認しているのか
と思うだけだったが、
スマホの場合だと献立について検索することも考えられる。

20代中くらいの若いカップルが精肉売り場で肉の入ったパックを手に
あれやこれやと話し込んでいた。
何について話しているのか聞こえなかったが
しばらくその場所から動かずにいる。
邪魔だなぁと思いながら私は側を通り過ぎた。

男のほうがスマホを取り出して何かについて調べだした。

私は、ああそうか、献立について揉めているんだな、と
勝手に解釈してしまった。
ところがその男が口にした言葉を聞いて愕然とした。

スマホの画面に出てきた文字を声に出して読む男。
「モツというのは牛や豚の内臓で・・・・」

え?そこから?
私は思わずこのカップルを凝視してしまった。

聞いている女も真剣な表情である。
男は、けっしてウケを狙ってやっているわけではなさそうだ。
本当にモツが何なのか知らなかったのだ。

スマホがあってよかったな、
と私は彼らの肩を叩きたい思いになった。
もちろんそんなことはしなかったが。




posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活

2016年08月27日

旬の世間との感覚のズレ

秋というと世間では「さつまいも」や「かぼちゃ」というイメージがあるらしい。
先日ある情報誌から取材依頼が来た。
さつまいもかかぼちゃを使ったケーキを秋の味覚として紹介したい。
10月中旬刊行になる、という。

秋から冬の定番といえば焼き芋だし、
近年人気の10月に行われるイベントのハロウィンといえばかぼちゃ。
秋は実りの秋とか食欲の秋とか言われるから
「秋」=「さつまいも・かぼちゃ」という企画になったらしい。

たしかにさつまいもとかぼちゃの旬は秋で間違えではない。
ただ、さつまいももかぼちゃも収穫時期は8〜9月だ。

さつまいももかぼちゃも晩夏から初秋に収穫され
2〜3ヶ月貯蔵してから出荷されるケースが多い。
寝かせることで水分が抜けるから
熱を加えると「ホクホク」した状態になる。

好みもあるだろうが、
ホクホクしたそれらは料理には合う場合が多い。
だが、私の作るお菓子には向かない。

ホクホクしたものは熱を加えた後に
どんなに丁寧に裏漉しをしたとしても
ザラザラとした粒が残って
口溶けの悪いものになってしまう。

私の場合はペーストにしてからお菓子にすることが多いので
ホクホクのものは使わない。
新物の、寝かせていない物を使う。

そういった収穫してすぐ出荷するものは
旬の時期にしか出回らないので
必然的に晩秋にはそれらを使った商品は作れなくなる。
だから取材は断ることになってしまった。

商売を考えるなら
客が求める時期に、客が求めるものを販売
というのが当然のことだろう。
だが美味しくないものを作って儲けるのは気が引ける。








posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 生業

2016年08月26日

雪解けは秋

気温が30℃まで達しない日が多くなった。
売上も徐々に戻ってくれている。
久々に早い時間に売り切れたので
仕事を中断して夕方に少し横になった。

目を閉じて耳を澄ますと
秋らしい音が聞こえてくる。

これまでは激しい蝉の音と
車の往来する音ばかりだったのだが、
秋の虫の音や田んぼの鳥よけの空砲音、
日の入時間が早くなったために
カラスが寝床に帰る啼き声など、
日中はまだまだ日差しは厳しいが、
確実に秋は近づいているという安堵感に包まれる。

我々ケーキ屋にとっては
厳しい冬が終わって春が訪れようとしているという感じ。
雪で身動きが取れなかったのが
春の暖かさでようやく行動できるようになった、という
世間とは真逆の捉え方といえる。

暑すぎると何も考えられず
商品の開発をする気力が起きないのだが
涼しくなると何かを作りたくなる欲求が湧き上がってくる。
湧き上がるだけで
まだ行動を起こすには至っていないのだが。






posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 生業

2016年08月25日

変わらなければ生き残れない 銀行

海外送金、素早く・割安に 横浜銀など、新システム研究開始
http://www.sankeibiz.jp/business/news/160820/bse1608200500004-n1.htm


店を移転するにあたり
銀行口座を新しく取得するために銀行へ行った時、
行員さんがネットサービスを勧めてきた。

説明を聞きながら
「これって行員減らしのためのサービスだよな。
説明している人の心中は複雑なんじゃないだろうか」
と思ったものだ。

ATMが出てきたおかげで
窓口業務が減り、
それにともなって行員の総数も減らされたはずだ。

次はオンラインが充実したことにより
ATMの必要性も低下することとなる。
現金の出し入れが減るのだから
またまた行員は減らされることとなる。

護送船団方式で、突出したサービスを嫌い、
役所的に安穏としてきた銀行。

ネット銀行が次々誕生したことによって
店舗を構える銀行は
そろそろ市場から消えそうである。

土日祝日に、預金を出すことに手数料を取ることは
納得はできないが仕方がないと諦められるのだが、
入金するにも手数料を取るということには
怒りを感じていた。
そこまでガメツイとは呆れ果てる。

意地でも手数料を支払うものかと
慎重になってきたが、
ネットの銀行ができてくれたおかげで
曜日時間を気にすることなく
預けたり引き出したりできるようになり
たいへん助かっている。

中にはネット銀行のくせに
僅かずつでも手数料で稼ごうという守銭奴じみたネット銀行もある。
店舗維持に費用がかからないのだから
店舗型銀行よりも手数料や便利さが優位になっていなければおかしい。
経営者のガメツサやセンスの無さを感じさせる経営である。

むかしホテルのレストランで働いていた時、
朝食業務からランチまでというシフトだと
銀行に行くことができずに困ったものだ。

昔はコンビニにATMなどなかったし、
どの銀行も9時から15時までしか営業していなかった。
夕方の帰宅時にATMに寄ると
手数料が発生してしまう。

それが30年経った今でもいまだに窓口業務が
9時15時というのだから驚きである。
この世の中が多様性にあふれた時代にあって
頑なに昔のままの営業時間を続けているのだから
これはもう見上げた根性だと表彰したくなる。

シーラカンスのようなこの業種が
ついに淘汰されようとしている。
変化を拒み続ける先に何があるのか。
変化に対応できるものだけが生き残れる。











posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済

2016年08月24日

時間について考えるB

逆の考え方もある。

宇宙は原子で出来ている。
原子は素粒子で出来ている。
素粒子のニュートリノなどはビュンビュン宇宙を飛び回っている。
光もそうだ。
それらは宇宙も地球も同じである。

宇宙を構成している要素が同じなのだから
地球で起こっていることの尺度が
宇宙で起こっていることにも当てはまると考えても
けっして不自然なことではない。

地球や月は球体、宇宙に無限に存在する星々も球体。
影響を受けるものが全て同じならば
時間も同じように流れているはずである。

しかしながら我々が時間に支配されだしたのは
長い人類の歴史を考えれば
つい最近のことである。

確かに時間という基準を知ることによって
便利になったこともあるが、
時間に縛られるとこで
不自由になってしまったことも多い。

社会という集団で生活をする以上
規律としての基準が必要になるから
時間というものが欠かせない。

欠かせないのだが、
それにガンジガラメになると
時間の奴隷と化してしまい
精神も肉体も蝕まれてしまう。

ジュリさんとかの猫を見ていると
人間の行動に合わせているだけで
当然のことながら時間で行動しているわけではない。

おそらく人間に飼われていなければ
太陽を基準に生活をしているはずだ。
まあそれが人間以外の生き物の姿であろう。
人間の、それもここ数十年の一部の人間だけが
時間というものを基準にして生きている。

宇宙誕生の意味を考えることが無意味なのと同じように
時間を意識することも無意味なのかもしれないなと
時間を意識したくない私は考えてしまうのだ。




posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学

2016年08月23日

時間について考えるA

時間というのは人間が便宜的に考えだしたものだ。
これは間違いない。

おそらく1日24時間というのは
12進法に基いて考えられたものだろう。

古代の人達は天文学を熱心にやっていたから
月の満ち欠けをみて
そこから1年を割り出した。
その際の基準となる数字が12で、
それにともなって1日が12の倍数である24時間となり
1時間は5倍の60分で、
1分も60秒に分割した。

地球上に住んでいれば
どこからでも見える月は時間の基準となり
どこでもだいたい12進法を用いることとなった。

ただこの場合の時間というのは
月と地球の関係から導かれたものにすぎない。
全宇宙からみれば
ごくちっぽけな太陽系の、
ごくごく小さな地球と月の関係でしかない。

宇宙には星が何兆個もあると言われている。
その何兆個もある星々を有する宇宙を
138億年前から存在すると言われている宇宙を
僅か何万年の歴史しか持たない我々人類が
我々の考えた時間でくくってしまっていいものなのだろうか。

それと同じように
我々人間の考える時間と
他の生き物が(考えているかどうか分からないが)
感じているかもしれない時間というものは
全く違うものなのかもしれない。

生き物それぞれにとって時間の受け止め方が違うのであれば
時間というものが全ての物質に対して平等ではない、
という仮説が立つ。

だとすると
この宇宙には
我々人類が考え及ばない「未知の基準」というものがあるのかもしれない。
その基準がわかると
なぜビッグバンが起こったのか、とか
宇宙誕生に意味、
生命が生まれた理由などが
スラスラと解るのかもしれない。









posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学

2016年08月22日

時間について考える@

台風が3つも来るとは。
さすがに温暖化、異常気象である。

次々南から熱風がやってきて
あっという間に猛暑日だ。

夏も終わりに近づいているので
蝉の音も一層激しい。

成虫になった蝉は1週間しか生きられないと言われているが、
本当のところは1ヶ月は生きているそうだ。

それにしても人間に比べればだいぶ短い。
だいぶ短いが、それは人間を基準にしているからであって、
同じ夏に湧く虫であるコバエの寿命も成虫は1ヶ月ほどらしいので
蝉に寿命を意識する感覚があるのなら
「コバエだって1ヶ月なんだから
私達ってそんなに寿命が短いって言うわけではないのよね」
と思うのかもしれない。

我々人間の場合は
生後1ヶ月で死んでしまえば
親や周りの人たちは
「なんでこんなに早く死んでしまったの」と
ものすごく嘆くはずである。

昆虫は昆虫の寿命があって、
人間には人間の寿命がある。
あたりまえのことだが
蝉には蝉の時間があって
人間には人間の時間がある。

おそらく蝉は1ヶ月生きれば
自分の生涯はそれなりの時間生きたと感じるだろう。
いや違う、
蝉というか生物は全て子孫を残すために生きて死んでいくのだから
種を残せればそれで満足なのであって
時間的にどれだけ生きたかなどということは
全く意味のないことなのかもしれない。





posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学
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