2016年01月06日
江戸の大ベストセラー『豆腐百珍』って知ってる?
ヘルシーで栄養満点でリーズナブル。植物性タンパク質食品の代表選手ともいうべき豆腐。日本食のバリエーションが豊かになった背景には、油揚げ、厚揚げ、がんもどき、焼き豆腐、高野豆腐、湯葉など、さまざまな形に加工される豆腐の存在抜きには語れません。
江戸の豆腐は現在の4倍サイズ!
豆腐が庶民のあいだで食べられるようになったのは江戸時代のこと。それまで、豆腐は寺院での精進料理に使われる食材であり、一般人の口に入る機会はあまりありませんでした。
豆腐にスポットライトが当たるようになったのは、豊かな食文化が花開いた江戸後期に入ってから。都市部に食材を売り歩く「棒手振り(ぼてふり)」という個人の行商人が現れ、その中に豆腐売りも登場。豆腐や油揚げ、がんもどきを担いで売り歩くようになったことで、庶民の食生活に欠かせないものとなりました。
ちなみに、その当時の江戸の豆腐は一丁のサイズが現在の4倍もあったそう! 当時の文献には上方の豆腐と違って江戸の豆腐は固く、水に浮かべなくても崩れなかったと記されています。
『豆腐百珍』から生まれたグルメブーム
そんな中、1782年(天明二年)には『豆腐百珍(とうふひゃくちん)』という料理書、つまり豆腐レシピの本が刊行されます。豆腐料理を「尋常品(家庭でよく料理されるもの)」「通品(一般的に販売されているもの)」「佳品(見た目も味も優れたもの)」「奇品(一風変わったもの)」「妙品(奇品以上に変わっているもの)」「絶品(豆腐本来の良さを最大限に活かした美食)」の6カテゴリーに分け、それぞれのレシピを記述したこの本は、一躍ベストセラーに。江戸市中に豆腐料理ブームを引き起こしました。
あまりに好評だったため、翌年には『続編』『余録』が刊行され、豆腐料理のレシピ数は278品にも及ぶことに。さらに、ブームの波に乗って『卵百珍』『鯛百珍』『甘藷(いも)百珍』など、類書も続々と刊行されました。江戸の食文化が豊かになったのは、『豆腐百珍』がきっかけだった、といっても過言ではないでしょう。