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2017年08月05日

「明治天皇と日露大戦争」新東宝嵐寛寿郎高島忠夫若山富三郎

1957年に新東宝が総力を結集して製作した戦争映画大作が「明治天皇と日露大戦争」である。

社長の大蔵貢がアラカンこと嵐寛寿郎をくどき落として、明治天皇役を引き受けさせたという。

今でこそ天皇陛下を描く映画も少なくないが、当時は天皇を役者が演じるのは恐れ多いとして

タブー視されていた。

アラカンは右翼に襲撃されることも覚悟して明治天皇役を演じたと言う。

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時は明治37年ロシアの南下政策は満州朝鮮におよび、日本はロシアの脅威を感じていた。

国内ではロシア討つべしの世論が高まっていたが、平和を望む明治天皇(嵐寛寿郎)はあくまで外交で

解決しようと、ロシア皇帝に和平交渉に応じるように外交電報を送るよう指示していた。

しかしロシアは日本の要求を無視して、満州に続々と大軍を送り込んでいたのだ。

事ここに至り天皇は、首相桂太郎や元老や軍部の意見を取り入れて開戦の決断を下した。

ロシアに宣戦布告した日本海軍は、旅順港に出入りするロシア軍艦の動きを封じようと

閉塞作戦を実行する。指揮官の広瀬中佐(宇津井健)は第一回目の閉塞作戦に参加して

成果を挙げたが二度目の作戦で部下の杉野上等兵曹を助けようとして敵の砲弾にあたり


戦死する。

一方陸軍は世界最大の旅順要塞を攻略すべく、第三軍司令官に乃木希典大将(林寛)が就任する。

陸軍は勇猛果敢に敢闘するが敵は機関銃など、近代兵器を使って反撃しいたずらに死体の

山を築いていく。

世論は乃木を批判し大本営も乃木の更迭を考えるが、天皇は断固反対する。

そのころ首山堡攻撃では橘周大(若山富三郎)が決死の覚悟で奮闘するが敵の攻撃で戦死する。

そしてロシア海軍はリバウ港を出港したバルチック大艦隊が極東へ向かっていた。

日本海軍は猛訓練に励んでいたが敵の動きをつかんではいなかった・・・


日露戦争のアウトラインをつかむのは恰好の映像であり、旅順港閉塞作戦から旅順要塞攻撃、

水市営の会見、遼陽会戦、奉天会戦、日本海海戦と主な作戦は描かれている。

戦前の教育を受けた人なら必ず習う軍神広瀬、橘、乃木と出てくるので当時の人には

物語に入りやすかったのではないか。

明治時代はまだ戦争の武士道や騎士道があった時代だが、第二次世界大戦の無差別爆撃や

原爆、ゲリラ戦、生物兵器となんでもありの時代になってゆく。

東郷長官は東宝戦争映画でもおなじみの田崎潤が演じている。特撮もよくできており

艦橋や大砲のレプリカなどよくできていてリアリティもある。

アラカンは明治天皇を演じるにあたって参考になるモデルがいないので苦労したようである。

映画は大ヒットし観客動員数は2000万人。興業収入は当時の額で5億7000万円と

空前絶後の成功を収めた。

映画の成功で新東宝は大蔵貢のワンマン体制を確立するが、わずか3年後に大蔵は解任され

1961年新東宝は倒産する。新東宝最後の花火ともいえる作品である。


監督は「日蓮と蒙古大襲来」の渡辺邦男。

posted by ハヤテ at 12:54| 戦争映画
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