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2014年06月20日

激動の昭和史「沖縄決戦」1

太平洋戦争末期、絶対国防圏に定めたサイパンが陥落し、米軍はいよいよ日本本土に迫りつつあった。

大本営は、次に連合軍が、フィリピン、台湾、沖縄のどこに来るのか諮りかねていたが、沖縄防衛のためにすでに

第32軍は編成されていて、首里に司令部が置かれ、渡辺正夫中将が統括していたが、県民の不安を煽るような

発言で更迭され、変わって陸軍士官学校で校長をしていた、牛島満中将(小林桂樹)が着任、牛島中将は中国戦線で武功をあげた

闘将ながら温厚篤実な性格で頼りになる指揮官と言えた。
牛島を支える副官には、剛毅な長勇少将(丹波哲郎)と、アメリカ留学の経験もある冷静で合理主義者の八原弘道高級参謀(仲代達矢)である。

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大本営は沖縄防衛強化のため、北満、北支より第28師団、第62師団、独立混成旅団、精鋭の第9師団を送り込み

万全の体制をとりつつあった。

最初の大本営の作戦では精鋭の3個師団を中核に強化された砲兵を武器に連合軍を水際でたたき落す作戦だった。

10月那覇は空襲で灰になり、しかも大本営は何を血迷ったか、第9師団を台湾に引き抜き積極攻勢は難しくなり、

もともと洞窟に籠り持久作戦を行うつもりだった八原参謀の意見が大勢を占めつつあった。

しかし、大本営は飛行場確保にこだわり、航空参謀を派遣した。

そのころ沖縄泉知事は、出張と称して本土へ逃げ帰りそのまま帰ってこなかった。

変わりに着任したのが、責任感の強い島田知事だった。大規模な学童疎開も、対馬丸の撃沈によりできなくなり、

島田知事は、県民を守るために心を砕いた。

散髪屋の比嘉(田中邦衛)は那覇空襲で店を焼かれ、丁度司令部で散髪屋を募集していたことから応募し司令部に潜り込んだ。

そして県民は招集のため、兵隊となり、中学生まで招集され鉄血勤皇隊が編成され、女子学生たちは看護婦として南原陸軍病院に勤務することになった。

映画パンフレット 激動の昭和史 沖縄決戦(1971作品) 発行所:東宝株式会社事業部(A4版)1971年発行 監督: 岡本喜八  脚本: 新藤兼人  出演: 小林桂樹 、丹波哲郎 ほか

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posted by ハヤテ at 16:06| 戦争映画
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