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『安全地帯V 好きさ』三曲目、「海と少年」です。
この曲は、いわゆるバラードなんですが、もう、ひたすらさみしいバラードです。悲しいんじゃありません。さみしいんです。
田中さんのリム打ち、ごくごく抑え目な、スナッピーだけを震わせるかのようなスネア、そして四回だけ、一回目の「涙はそのまま」の直前、サックスソロの直後「あのなつかしい」の直前、そして最後の「涙はそのまま」の直前、「返さなくて」の直前にズドンと打ち据える音……これは、スネアとフロアタムを同時に叩いた音に聴こえますが、これがもう効果的で効果的で……目の前でこの音圧を受けたら、泣けてくるでしょうね。ドラムだけで泣く人も珍しいですけど(笑)、それくらい強弱とタイミングは人の心を震わせる可能性があるのだと教えてくれます。
そして六土さん、いくつかの箇所でアクセントを効かせつつも、原則はけっして歌の存在感を減ずることのないように、いや、歌の存在感を増すためのように、全音符や二分音符を中心に低音を響かせます。また、「あのなつかしい」からの箇所で「ドゥー・ドゥドゥー、ドゥー・ドゥドゥー」とリズムを刻んでいる箇所が、寄せては返す波のようで、忘れても忘れても思い出される想い出のようで、これもまた涙モノです。
さて、ギターですが……サビ、というか、田中さんの「ズドン!」で始まり六土さんが「ドゥー・ドゥドゥー、ドゥー・ドゥドゥー」と弾いている箇所で、短音刻みがわずかに聴こえます。『安全地帯VI LIVE〜月に濡れたふたり〜』だと比較的はっきりと聴こえますが、ギター一本なのか二本なのか、矢萩さんなのか武沢さんなのか、正直よく聴き取れませんでした。音の聴こえる方向からすると武沢さんの音だと思われますが、もしかしてライブではお二人で同じ刻みをしているのかもしれません。この渋さが涙モノ……いや、これはちょっとムリしました、すみません(笑)。この曲は余計にギターを入れないほうがよいと判断されたのでしょう。
さて、一番目立つホーンの音ですが……ご存知の通り、これは一番わたくしの苦手とすることでありまして……、おそらくトランペットなんだと思います。ほんとにおそらく、で申し訳ありません。わたくしトランペットとトロンボーンの区別もよくできないのです。ただ、トロンボーンにある低音部の「ブッポンブッポン」感が聴こえてこないもので、トランペットだと判断しただけなのです。『安全地帯V』ではトランペットは数原晋さん、という方だけがクレジットされていますので、おそらくはこの方が吹かれたのではないでしょうか。Wikiでみると、なんだかとんでもない大物スタジオミュージシャンな感じがする経歴で、うおー、なんでこういうことを知らずに過ごしていたんだろう、という気持ちになります。わたくしの場合、トランペットとトロンボーンの区別ができるようになるほうが先ですけどね、ふつうに考えて。
さて、歌ですが、この曲では、ドラムとベース、トランペットで十分泣けますので、玉置さんの歌が入ると危険なくらい泣けます(笑)。
おそらく中西さんの弾かれたピアノをバックに、「白い砂浜なら」と玉置さんがささやくように歌った瞬間に、気分はもう海です。泳ぐ海でなく、眺める海です。ああー、そうそう、砂浜に一人で寝転んで、誰にも邪魔されたくない気分のときってきっとあるよねー、とか思うまでもなく、主人公と一体化してしまいます。
ただ、それは松井さんの仕掛けた罠でして、
実は主人公は、砂浜で寝転んでなどいないのです。「海をみつめている」のが、砂浜に寝転んでいる「きみ」ですよね。で、その瞳はかつての、「僕」だと言っているんですね。つまり、これは、砂浜に寝転んでいる「少年」を見ている「僕」が語っている歌なのではないでしょうか。
「寝転んでいたら、みつめるのは海じゃなくて空だよ」
うっ!
すると……砂浜に寝転んでいるのは「僕」で、そのほかに、海をみつめている「きみ」がいる……「僕」は何かでふさぎ込んでいるか考えこんでいるかして、誰かが呼びにきても振り向かないような心境にある……のに、「涙はかえさなくていい」などと、「きみ」に思いやりを見せる……?
いやいやいやいや、何をおっしゃるうさぎさん!
これは傷心の少年を、やさしい気持ちでみつめる「僕」(大人)の話だよ。ほらほらほら「心の広さ」を「きみ」が知ることを期待して待っているんだろう? これこそ少年特有の傷心を懐かしい気持ちで思い出してその心情を思いやる大人の歌なのさ!
うーん、と、すっかり話は歌詞の話になっていますが、これは上に色々混乱して書いた通り、もしかしたら幾通りかの解釈を許す歌なのかもしれません。わたくし自身は、傷心の少年をやさしい気持ちでみつめる大人説を採りたいです。わたくしにとって松井さんとは、そういうロマンをもった人なんだと、これまでずっと信じてきたからです。こういう思い込みにかぎって、あっさり新情報によってひっくり返されがちなんですけども、それはそれで心地よいショックがあって、なかなかいいものです。
さて、玉置さんの歌に戻りますが、
どうしてこの人は、こういう歌が歌えるんでしょう……上川盆地育ちで海など知らずに育っているのに……広大な海原が目の前に広がるような、とんでもない説得力です。「その瞳は僕なんだ……」と、ものすごい声量なのに、つぶやいているかのように聴こえる箇所なんか、他の歌手ではおそらく近いニュアンスを出すことすら難しいでしょう。これは本当に、玉置さんだけの能力なのではないでしょうか。しいて言うなら美輪明宏さんなんですが……だいぶ毛色が違いますね。
「涙はそのまま……」で涙をたたえているのは少年の瞳なんですが、こっちの目にも涙がじわっとしてきかねません。松井さんの詞と玉置さんの歌で表現されているだけの、実際には存在しない光景なのに、うっかり自分の若き日の心象風景にとって代わりかねないほどの迫力で歌いあげられます(笑)。わたくし波が荒くて堤防が設けられた海辺(子どもは砂浜へは立ち入り禁止)で幼少期を過ごしましたが、うっかり砂浜で寝転んで海をみつめ暮らしていたんじゃないかと思い込みかねません。ああー、これはもはや洗脳に近いものがあります。
「いいよ いいよ」もなんて破壊力でしょうか。ただ許可しているだけなのに(笑)、何かもう、絶対的安心を与えるかのごとく、聴く者の胸に迫り、心を包み込みます。これは、『安全地帯V』の、この時期から玉置さんの歌に加わった魅力ではないでしょうか。
そして曲は、トランペットソロとエレクトリックピアノの掛け合いを、六土さん田中さんが土台を支えてフェイドアウトしていきます。ああー、これはフェイドアウト許す!(笑)。フェイドアウトは安易な気がしてあまり好きでないわたくしですが、この曲はフェイドアウトせざるを得ないでしょう。ライブバージョンでも、フレーズ的にはまだ思わってないよって感じで終わってますよね。最後まで聴きたいけど、最後があったらつまらないから最後があってほしくない、という、フェイドアウト必須の楽曲といえるでしょう。
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ワインレッド以降、だいぶ意に沿わないことをして疲れちゃったんですよね、バブルの最中に方向転換を試み、バブルが弾けたあたりで新方向を打ち出したら思ったより売れないものだから、苦しかったと思います。
B.バルドーの旦那さん(名前失念)が、゛色気のある人間は何をしても全ての仕草が色っぽい゛とのたもうたそいたな。
M.ディートリヒなんかは男装して男みたいに振る舞っても色っぽいです。
それとは別に意識して作る色気。
これは、M.モンローが作った モンローウォークみたいな感じで。
きっと男性にもそうゆうのあるかなあ、と思われます。
玉置さん、多分、潜在能力で前者もあるし、演技者として後のを意識されてる時もあったかな、と、思いました。(全開ですね)
最近、ライブDVD見て思う限り(と、幸せになるために…を読む限り、ワインレッドが売れてかなり自分自身をそのイメージで演技して無理されて最終的に混乱されたように思う…)、歌う表情は演技してたのかなあ、って思います。
声は、生来の色気と歌の技術の賜物〜。
いずれにしても自分自身を削る名演技だし、
世間の皆を騙せるほど凄かったでしょう。
そのイメージで売れちゃったからしょーがないかも
ですけど、かなりしんどかったやろうなあ。
今、この歌、もっかい歌ってみて欲しいです。
もっと、何か違うものが見えそう。
タイトルが、海と少年。
それを描いたものかなあ、って。
北海道で海って、積丹半島の先っちょ、か、礼文島あたりしか思い付かんのですが、
(初めて聞いたときは房総半島あたりを思った)
緑の寂れた崖の上に少年が膝を抱えて座ってる
きっとそこが白い砂浜ならば彼は寝転んで
いたでしょう
いま、君の眼差しは海をみている
その瞳から見える風景は僕にも見えるようだ
そして涙をながしているね
きっと何か辛いことがあったのか
君を大切に思う人が呼び掛けても
振り向きもしない
いつかはその呼び掛けに振り向くことが
あるでしょう、
君がその人の深い気持ちに気づいた時に
でも、今はそのままだね
涙は海に返さなくていいんだよ
最後の返さなくていい、は、とめどない落涙がまるで
海に返してるように見えた、ので、涙をとめて
と思ったのか、
人は海からきた、と言いますから、
海にかえる → 涅槃飛びしないでね
みたいな気持ちもあるのかなあ……。
玉置さんがストーリーテラーとして
一枚の風景を描写しているように思いました。
郷ひろみさんの「月に濡れたふたり」は、あれはあれでアリ、を目指した意欲作でした。でもわたくしは好きではありませんでした(笑)。曲は同じなのに、しかも郷ひろみさんも相当のボーカリストなのに、こうじゃない感がとても強いんです。玉置さんでないと「歌えてない」感が出てしまいます。ドリカムの「未来予想図II」を、いきものがかりの吉岡聖恵さんが歌ったことがあるんですけど、「ああ……頑張ったね……」と思ってしまうのに似てます。途中までは健闘したんですけど……きっと、忙しかったんでしょう(笑)。
玉置さんを凄い凄い言ってるだけのわたくしが凄いわけはありません。それは松田聖子ちゃんや中森明菜ちゃんの親衛隊がぜんぜん本人と関係ないのに似ています(笑)。えらそうだったら申し訳ありません、改めるよう心がけますので、どうか今後もよろしくお願いいたします。
会社の飲み会で少し酔った頭ですが、解り易く書いていただいて理解できました。
そういうことなんですね。
以前、すごくカラオケの上手い知人に安全地帯の曲をリクエストして、ちょっとガッカリしたのですが、その人に『安全地帯の曲は素人が手を出せる曲とちがう』と言われたのです。その時は意味が分からなかったのですが・・・・。
トバさんの言葉で、何かが繋がりました。(上手く言えませんが)
ありがとうございます!
玉置さんもトバさんも凄いです♪
あの記事を書いてから少し時間が経っているので、あのときと同じ考えで書けるかどうかはわかりませんが、ともかく書いてみますね。
わたくし80年代以降のヘビメタ育ちなもので、テクニック至上主義に傾きがちです。単に、ある程度テクニックがないと演奏できない曲で溢れていた時代だったというだけですが、それでも当たり前とされるテクニックを身につけるために、わりと努力を要した時代でした。
ですから、あまり心がこもっているかどうかは問題じゃないんですね。込める心を表現するためにテクニックを磨いた結果、うまく歌えていることと、心はこもってないけどテクニックが何かの原因で身についていてうまく歌えることには、あまり差がないんです。そんなわけで、いくら心を込めていても、ヘタはヘタだし、うまい人はうまいです。その差は歴然としています。
玉置さんは……歌の練習を相当なさったそうですし、またその身体も、あの歌を歌うのに必要不可欠な条件なのでしょう。もとからものすごくナイスな楽器が、弾き込まれてさらに出音がナイスになった、というのに近いです。
ささやくような歌で何事かを表現する、またその説得力がもの凄い!ということは、安全地帯の初期中期には、この時代ほど見られなかったため、新しい魅力だと思ったわけです。
セクシーさは……これは鍛えたことがないので何とも言えないところなのですが(笑)、カタログデータ的にわかるというか……あまりセクシーさに悶絶するということは、わたくしございません。イングリッドバーグマンは薄幸さが高いとか、ブリジット・バルドーは可愛らしさが凄いとか、これはプリウスの燃費が凄い、に近い感覚です。
奈良はいいですね。歌の心はこもっていなくてもいい派ですが(笑)、太古のロマンとかは大好物でして、もっと行きたい知りたいと思わせる場所です。
「心をこめて歌う」ということに、ほとんど価値を見いださない。
(玉置さんは)「恵まれた身体とテクニックのみであの凄みを出しているんだとばっかり思っていた」と書かれていましたよね。
私は逆(?)で、多くの女性がそう思ったように、玉置さんのあの歌う表情から、まるで玉置さん自身の経験したことの様に見えてしまうのです。
それが恵まれた身体と声とテクニックによって『感情をこめている』ように見えるとしたら・・・
実際はどうなのか分からないですが。
それプラスあの色気とセクシーさですから、それこそものすごい破壊力のヴォーカルです。
(男性の目にはセクシーさは感じないのでしょうか?)
「この時期から加わった魅力」というのは、大きく括れば、価値を見出さないと言われていた『表現力』ということなのでしょうか?
(うう・・・書いてて分からなくなって来ました。あの表情はテクニック?)
地理的には京都が近いので昔からよく行きますが、京都とはまた違う奈良の魅力に嵌ってもう10年ぐらいでしょうか。
三重県境に近いとこまで行くと、ちょっと日本じゃないような風景もあるんです。
ものすごい山奥に立派な神社があったりして。
きっかけはJR東海のCMですが、関西ではほとんど流れてなくて、サイトのアドギャラリーで感動しちゃったのです。(笑)
全部行くぞ!って。
前コメントに書いた時は、奈良県の雪を甘くみて、初めてJAFのお世話になりました。(笑)
玉置さんの歌に癒やしてもらう、それがよろしゅうございましょう。オトナになると、配偶者以外に癒やしてもらっちゃまずいような気が強くなってくるのを感じます。ああ、もちろんそれは分別盛りのお年頃ってやつで、この後どんどんフランクになっていく可能性もなくはないのですが(笑)。とりわけ、未婚の異性にはなるべく無感動に接するのが礼儀だろう、とか考えて、単なる無愛想な人になりがちです。
やっぱり玉置さんのこの曲を繰り返し聴いて、癒してもらうとします。
短い曲なのにインパクト大きい曲です。
私は香酔峠から伊勢方向、
南は台高山脈・大峰山系、大台ケ原方面を見たのです・・・多分。
(ここ10年ぐらい奈良に嵌ってよく行きます)
あ、たぶんそこを通ったことありますよ、名古屋方面から奈良入りしたときに、そこだけ高速が途切れて国道で山越えしたんですが、あっちがスズカかなー、と見渡した雄大な光景かもしれません。上川盆地は……そうですね、大雪山系が確かに似た感覚で見られるかもしれないですね。だだっ広い盆地を囲む残雪の山たちは、海の広大さを思わせるとも言えるかもしれません。
疲れていると、うっかり泣けてくることがありますね。聞きたいと思っていたセリフを聞いてしまうと危ないですので、なるべく人の話を無感動に聞くように心がけて暮らしております(笑)。
玉置さんの『いいよ いいよ』、なんて凄い破壊力なんでしょう。
誰かリアルで私にも「いいよ いいよ、そんなに頑張らなくていいよ」って言ってくれないかな(笑)。
玉置さんの歌い方、どうしてあんなに切なく優しく、それでいて鬼気迫るごとく感情が伝わるのでしょう。恋の歌は、ため息の様な切ない声だし・・・。
普通の歌手の「感情が入っている」のとは次元が違う。何が違うのかは、言葉でうまく説明できません。
以前、奈良県の北東部の標高の高い所から、遥か三重県の方向(?)に連なる山々の稜線が、大海原の波のように見えました。上川盆地にもそんな所があったのかもしれませんね。