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『安全地帯V 好きさ』二曲目、「パレードがやってくる」です。
どうして「どーだい」の次にこんないい曲をもってくるんでしょう、出し惜しみしなさすぎです。あ、いや、もちろん全曲いい曲なんですから、たんにわたくしにとって大好きな曲が二連発で収録されていて歓喜というか、もっとこの二曲は離して聴きたいなあ〜というだけのことです。
川島さんの「カコココ!カカココ!ン!カココ!チロリロリロリリンリン〜」というシンセが効きまくってますよね。八十年代には比較的良く耳にした音色です。アイドル的なバンドや、アイドルそのもののバックバンドで使ってたように思います。まあ、当時はそれが珍しくもなかったのであんまり違和感を感じませんでしたが、いま聴くと「あーあ」って感じかもしれません。安全地帯の実力だからこそこういう強いシンセの音色を装飾音的に「使えた」のであって、実力的に劣る歌手やバンドでは、シンセに「使われる」ことになりかねません。川島さんは、安全地帯のサポートだからこそ思う存分活躍できたような気がしてならないのです。『ドキュメント I LOVE YOUからはじめよう』でみられる川島さんの、この曲を演奏する姿の楽しそうなことったらありません。
いきなりサビの話で恐縮です。前奏〜Aメロでは、「フルフル〜」という、なんだか鳩の鳴き声みたいな音が入ってます、というか、それがリード的な役割ですよね。この音……何なのかよくわからないんです。いや、これもおそらく川島さんがシンセで鳴らしている音なんですが……Sine Wave?あ、よくわからない話をして自分のバカがばれるのは嫌だから、これくらいにしておきましょう。あー、うん、いい音色ですよね(笑)。
CDで耳を澄まして聴いててみると、左右からギターの音が、似た音色で聴こえます。右チャンネルの、おそらく武沢さんが、アコースティックギターでコードストロークによるリズム刻み、左チャンネルの、おそらく矢萩さんが、これもアコースティックギターか、もしくはエレキギターのクリーントーンで、全音符でのコードストローク、そして四小節ごとにキメのフレーズをユニゾンで弾きます。このユニゾンの箇所でなければ、武沢さんがアコースティックギターだとは聴き取りにくいように思われます。あ、いや、わたくしには聴き取りにくいです。まいったな、どうも最近、書けば書くほど、確信がどんどんなくなってくるような感覚に襲われがちです(笑)。音色の聴き分けに関しては、わたくしおそらくそこらのスコア採譜者以下ですので、少しも参考にならないことをお許しください。うーん、『安全地帯II』『安全地帯III 抱きしめたい』の頃に比べて、安全地帯が多様な音色を使うようになったからだとは思うのですが……このアルバムを越えるとこの手の悩みはかなり減ることが予想されますので、頑張れワタクシ!すみません、勉強のために、いまはこの程度の実力で書かせてください。きっと皆さまに何らかの形でご恩返しできるよう努力いたします(笑)。
間奏のギターソロは、オクターブでのユニゾンです。音色的にはアコースティックギターのようでもありますが、アコギにしては不自然なくらいずいぶんサスティーンがあるので、おそらくはエレキギターで重ねて作ったものと思われます。きっとオクターバなど使わず、丁寧に重ねたのでしょう。わたくしこの音色が好きなのですが、ライブだとホーンセクションに演奏されてしまって悔しい限りです。でも、ホーンセクションの音色、豪華ですよね。会場で聴いたら「こっちのほうがいいかも!」とか思うに違いないのです。
さて、六土さんのベースは、前奏ではドーンと全音符、Aメロに入るあたりで四分での刻みに映ります。曲を支えることを最優先する六土さんらしい控えめなベースラインです。サビ、間奏では「ボペボペボペボペ」と、オクターブ上の音と交互に八分で弾いています。これは「風」で聴くことのできた奏法ですね。いかにもパレードがいま目の前を通り過ぎているかのような感覚を演出しています。音色に起伏がほとんど感じられず、一瞬シンセベースかとも思ったのですが、ライブ盤では指弾きで同じ音をお出しになっている様子が見て取れますので、単に六土さんが超絶に安定していただけでした(笑)。
田中さんも、手数をあまり入れない方針で、フィルイン以外はふつうの八分に徹しているように聴こえます。実はわたくし、こういう曲だったらきっとバスドラは全踏みするんで、田中さんもきっとそうだろうと思っていたのです。ところが今回聴きなおしてみると、バスドラは一拍目と三拍目だけでした。あり?と思って何回か聴きなおしましたが二拍目四拍目にはバスドラが鳴っていないように聴こえます。あきらめずDVDでも確認しようと試みましたが(笑)、やはり踏んでいないようです。うーん、思い込みって怖い、というか、わたくし、自分が聴きたいようにしか音楽を聴いていないのだということを、またまた思い知ってしまいました……。
そんな具合で、この曲ではわたくし、聴き取り五連敗くらいしています。遠藤が故障した時の大洋ホエールズのようです。この状態で玉置さん松井さんの二連戦に挑むのは、危険すぎるような気がしなくもありません(笑)。
危険な第一戦、玉置さんの歌です。あ、いきなり大量失点でコールドです。うーん、「晴れた午後の〜」の一回目のAメロ(ヴァース)と、「昔 恋に〜」の二回目のAメロ(ブリッジ)とでは、玉置さんの声のトーンが変わっているように聴こえますね。「晴れた午後の〜」は若干ささやき声ですが、「昔 恋に〜」は声に張りをもたせ、サビ(コーラス)への弾みをつけているように聴こえるのです。たんにメゾ・フォルテにしただけといえばそうなんですが、「昔 恋に遊んだ きみ」がやってくる(かのような気分になった)ので、心が浮き立った、ざわめいた、という心情描写のように聴こえます。なんと切ない……。
どさくさに第二戦、松井さんの歌詞も語ってしまいます。ダブルヘッダー二連敗です。むしろ、この二つを切り離して語るほうが難しいと初めから知るべきでした。野球ノリで書いてしまったので引っ込みがつかなくなりお見苦しい箇所があったことをお詫びいたします。あの日、「きみ」と一緒にみたパレードが、あの日と同じような午後に、「ぼく」の住む街へとやってくる。当然に、「きみ」と過ごしていたあの日々のことを思い出します。いま「ぼく」はあの頃の日々の恋の楽しさ、興奮、それによる生活の充実感といった感覚を失いそうになっている「つらい日々」の只中にいます。そこへあの日「きみ」とみたパレードがやってくるわけです。「きみ」との日々を強制的に思い出させるかのように。これは悲しい・寂しいのと同時に、それでも何か嬉しい気分にさせられてしまう切ない気分になること請け合いです。
もっとも、この「パレード」は、消防団の出初式とか(笑)の、現実のそれではなく、何かをパレードに見立てたものなのかもしれません。具体的に何か?はわからないのですが……川面を泳ぐ小魚たちとか……アーケード商店街を行き交う人々がわたる横断歩道とか……うーん、具体的な何かを想定してしまうと一気に気分が台無しですのでこれくらいにして、ともかく何かの象徴的なものなのではないか?とわたくしは考えております。だって、パレードって、そんなにやってこないじゃないですか。消防団の出初式とか、夏祭り夜くらいですよ。たとえば『イージー・ライダー』で主人公たちが紛れ込んで逮捕されてしまったようなパレードって、一体何のパレードなんでしょう。わたくしもバイクに乗っている最中に、あー、前方のパレードに混じって逮捕されてみたいーでも頭の茹ったやつにトラックの助手席から撃たれて死にたくはないーとか、アホな妄想をしなくもないのです(バカ)。
ああ、話がすっかりずれました。曲はサビ(コーラス)に入って、玉置さんの声も最高潮、すっかりフォルテです。これは、眼前を過ぎ行くパレードを観ながら、ぼくをあの日に戻してくれ!あの日のように、ときめかせてくれパレードよ!こんなに楽しげな歌なのに、この玉置さんのフォルテが、助けを求める絶叫のように聴こえるのです。ライブ盤ですと、若干この強弱をあまり意識しないで楽しく歌っているように聴こえますね……心境の変化が多少なりともあったのかもしれません。
さて、曲は二番に入ります。この歌詞は昔から謎でした。襟のボタンを外すのは、「先輩……第二ボタンください……」でブチッと外すあれではなく(笑)、ふつうに襟を開けて広げ、解放感一杯で駆け出した、と解するべきなのでしょう。いやー、第二ボタンのアイデアに何年もに引っかかっていました。それじゃ訳が分からないのは無理もありません。
とはいえ、空に名前を投げる、という比喩はまだまだ謎です。なるべく頑張って妄想してみましょう(笑)。
名札の付いた制服を着ているときには、集団内での識別に「名前」を要しますから「名前」を常に意識して生活せざるを得ません。受刑者が自分のナンバーを呼ばれても、自分のナンバーを忘れていて返事をできなければ懲罰房入りになってしまう、に近い緊張感があるわけです。
しかしここは「名前」の必要のない恋のフィールド。名前なんてまったく意識することなく「ぼく」と「きみ」だけで充分のまま、思う存分駆け回れるわけです。これはものすごい解放感です。それこそ少年の頃に草原を駆け回り、膝がすりむけても意に介せず走り続けたときのように、集団内での識別なんて意識する必要はまったくありません。そこで、そんな少年の頃に戻るために、えいっと「名前」という呪縛を自ら解き放ったのです。それが名前を空に投げる、という比喩の意味するところなのではないか……と、現時点では考えております。
あー!うまく考えられたぞ!松井さんそうでしょ?そうだと言ってください!と詰め寄りたくなる気分です。なんて迷惑な話でしょう。例のごとく、「え?そんなこと考えてなかったけど……ただ単に名札の付いた上着を放り投げて走り出したくらいの意味なんだけど……」ですべてが崩壊する仮説です。ああ、切ない……。これは歌詞の切なさとは全然別なんですけども。
「春の詩」は、そんな少年の頃に駆け回った草原のような、恋愛というフィールドを二人だけで駈けた日々の想い出なのです。それを忘れないで、と言いたい気分というのは、わたくしとっくに失って久しいですけれども、というかうっかり思い出すと寝込みたくなるのでなるべく目を背けて生きようと思っている段階ですけども、これも、もっと歳を重ねれば、きっと「ジャンジャン思い出すぜ!どんとこい!」とか、思い出しても少しも心が痛まない悟りの段階とかに行きつくのかもしれません。どんな心境に至るのか、自分でもなんだか楽しみです。玉置さんはどのようなご気分でいらっしゃるのでしょうか。例の再婚騒動で少しだけ垣間見えましたけども、奥様の心中察して余りあるものがあります。
さすがにもう、「きみがほしいことば」は、わかっています。言ってあげればいいんです。というか、意識せずに言ってしまいます。多分に後難をおそれて(笑)。ああ、今日はなんだかパソコンに向かって仕事する気分じゃないな。君の靴でも探しに行こうか、とか。でも、これが言えないんですよね。まだ後でどんなことが起こるか、パターン認識ができていないうちは。ああ、きっとそのくらいの段階が、恋愛にドキドキワクワクしたり、傷ついたり自尊心を保とうとしたりで、かなり楽しい時期なのかもしれません。ドラゴンクエストで、まだ行ってない街やダンジョンが最初のマップにけっこう残っているくらいの時期といえるでしょう。
きっと きっと
最初にその「きみがほしいことば」を口にするとき、確実に何かの階段を登ります。登らないと次の世界が見えませんから登るに決まってるんですけど、それは何か、寂しいことでもあるのです。
おっと!気が付いたらかなり長い記事になっていました。どうやらわたくし、「どーだい」と同じくらいこの曲が好きだったようです。
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コメント、ちゃんと届いていますよ!じつは、パチモノブランド品の宣伝コメントがあまりに多いので(ちなみに日本語が自動翻訳くさいやつ)、わたしの承認制にさせて頂いております。それで、わたくしが気づくまで反映されないことになっているんです。ご心配おかけしてすみません。
さて、「空に投げた名前」は、空に叫んだとのご解釈、思わず唸りました。なんと自然な!マジでそうなんじゃないかな?と、自説をあっさり捨ててもいいくらい自然です。これは参りました。襟のボタン外すのも、叫ぶためなら納得がいこうというものです。
そして、そりゃ振り向きますよね、空に名前叫ばれたら。でも、なぜか遠く見える顔……じつは既婚者だった!なんと切ない!人間、つまらないことはその場でつまらないとわかって、ほしいものをほしいと言える人生態度をいつでも保っているべきなのです。でも、それができたら苦労はしないんですよね……。既婚者でなくとも、もう気まずくて戻せるヨリではない、ということなら、傍から見ればまだまだワンチャンあるんですけども、それもできたら苦労はしないんです。顔が遠く見えるようになったら終わった感がかなり高く、容易に形勢逆転はできないものです。春の詩にはなかなか戻れない……。
安全地帯や玉置さんの音楽のこと、まだまだたくさんお話できたらいいですね。わたくしも頑張ってネタ(記事)を上梓せねば!
以前に読ませてもらって
気になるところがあったので個人的な解釈ではありますが
書かせていただきます
私が気になったのは二番の
歌詞なのですが「空に投げた名前」というのは「きみ」のを叫んだということなのではないのかな?と個人的には
解釈していまして「きみ」の名前を叫ぶ勇気を出すために襟のボタンを外してふたりの間にある重たい空気を取り払いたかったのではないのかと私は解釈しました、そして
突然名前を大声で呼ばれ
「きみ」は驚いて振り返る
のですが既に「きみ」には
他の配偶者がいて二人は
想い合いながらも結ばれる
ことはないという別れの歌
なのではと聴いていました
「ぼく」は「きみ」のほしい
言葉を知っているけれど
もう一歩踏み出す勇気が無く
名前を呼ぶことしかできないなんて
こんなに悲しいことはないだろうなと
そう思いました
他の方のコメントも読ませていただきましたが
そういった解釈もあるのかと感心しきりでした
Vは初めて聴いた安全地帯さんのアルバムなので
非常に思い入れの強い大好きなアルバムです
なのでもっとお話ししたいな、なんて
思いました、これからも更新を楽しみにしています
昭和の男ですけど、玉置さんは「平成の火野正平」なんだそうですよ。火野さんが「おれだって平成の人間なんだけど」とツッコんでいたのが面白かったです。あんまり平成って感じがしないですよね、ふたりとも。玉置さんが「とうちゃこ」を引き継いでほしいなあ〜なんて思います。
ソロまで会えないのがサミシイ。
いや〜。
もぉ〜。
行かないで 最高です。涙がでちゃう。
昭和の人はそうそう、愛は語れないですね。
玉置さんは昭和の男ですが、平気で語ってきましたね。
そこが根本的に、人種が違うのか、おかしいというか、格好いいというか、オープンすぎというか、うらやましいというか。
規範にとらわれない自由さが凄い。
複雑ですね!
もと少年二人組の話というのも、想像できませんでした。うーむ、これはたぶんにわたくし男女のラブソングだという思い込みが全曲に渡って作用しているようです。
また新しい恋をするよ!そうしたらきっとあのことばをちゃんと言うんだ、だとすれば、そのことばはすごくシンプルなものなのかもわかりません。はじめから言えばいいじゃんと思うのですが、そういうのが言えないお年頃なのですね。わたくしいまでも言えそうにありませんが(笑)。昭和の男やからよういわんです。玉置さんはわたしよりよっぽど昭和の男なはずですから、生まれ育った時代は関係ないのかもわかりませんけども。
と、皆さんのコメントみて思いました…
パレード自身のイメージは、S.キングの小説にある
ような、サーカス団がやってくる感じです。
舞台はアメリカ田舎町。
カフェなんかに、歳いきの青年二人がビールなんか飲みながら昔語りをしながら見てる。
そういや、昔、二人で見て、パレードおいかけたよなぁ…。
二人は幼なじみです。
ブラッドベリの 何かが道をやってくる に出てくるような、凸凹コンビ。
(ふたりのとこで話題になった小説です)
陽気な彼は最近、婚約者と破局して大失恋。
陰の彼がなぐさめてます。
この二人は昔、恋愛でもなく純粋に精神的に密接な関係で、
ただそういうのもアメリカの田舎町なんで
下手に伝えて誤解されたら袋叩きだし、
お互い言いませんでした。
今は、そういう、懐かしい言葉。
人を好きだと思う純粋な気持ちを表す言葉を
懐かしく思い出した、また新しい恋をするよ、
がんばるよ、
と、そんな感じに思ってました。
(いや単なる私のイメージで申し訳ない…)
くじけた気持ちから立ち直る。
懐かしい君のおかげさ
しばらくしたら、次をみつけるよ
そーゆー歌。
聞いたら、回りに感謝しつつ明るく生きよう!て
思いますです、ハイ。
いい曲ですよね!つらい日々でも勇気が湧いてくる曲、そう思います!
ああ……阪神淡路震災ですか……災害はなんでもそうなんですが、そこにいなかった者として、軽々しく語ってはいけない気がしますね。さまざまなニュースがあって、多くの人の姿や声が取り上げられたことでしょうから、その中には当然多くの人生の断片が織り込まれていたはずなのです。流れたのは断片ではあっても人の人生ですから、かならず何かの因果というか、ストーリーとでもいうべきものが含まれているのでしょう。そのストーリーの分岐が、見事にご自分の人生と交差する瞬間があったということなのでしょうか。それは、ありうることでもありますが、本当にこんなことが起こるんだ!という感動がそこにはあることでしょう……。U-17とかで名を馳せた若き名選手がその後消息不明になって、気が付いたら自分の街のローカルチームで復活して大活躍し全国にその名を再びとどろかせた、みたいなものでしょうか。いや、もっとですね。自分もそのチームの選手だった、くらいでしょう。
いきなりサッカーの話で恐縮です。でも、わたくし寝込んでしまうような話ばかりでして(笑)、ああー、出会っちまったー、逃げるにはもう遅いなーということがやや多いものですから、pukupukuさんの感動を想像するには、そんな話を持ち出すしかなかったのです。うう。
スーツケースから転がり出てきたマッチ箱とか、当時着ていたダブルのスーツのポケットに入っていたデジタル時計とか、そんな程度のもので、ふっと懐かしいことを思い出す、くらいがちょうどいいです、わたくし。
『きみがほしいことば』に関しては真逆な受け取り方だったのですね。
またきみに会えた時・・・って、状況は以前と同じではないですよね?
そう思って「きみに言う」とは考えられませんでした。
「きみにいえなかった」事を後悔してるから、今度はきっとちゃんと言うよ。(別の人に)だと・・・。でも、詩を書いたのは松井さん。同性のトバさんの受け取り方が自然なのかも知れません。
男と女、こんなに受け取り方が違うのですね。そりゃ、色々すれ違ってモメても仕方ないですよね(笑)。
私事ですが、同じ95年に神戸の震災関連のTV番組で、とても印象に残ったニュースがありました。何故印象に残ったのか、全く分かりませんでしたが、その13年後に本当に偶然にそのニュースの人と再会しました。振り返ると見事に点と点が繋がっての再会で、お互いに驚きました。
トバさんも「寝込まない再会」があるかも知れませんよ♪
1995年ですか……あの頃は、まだ経済が復活するものと思って、体力のある企業はあまり節制してなかった気がしますね。まだそれなりにバブルの雰囲気が漂っているのが、街をウロウロしてるだけの若造にも感じられたものです。
TVでとつぜん飛び込んできた「春の詩」には、さぞ驚かれたことでしょう。ただ、そういうときに、必要以上に心を傷めない女性の割合が想定以上に多いことは、ある程度承知しております(笑)。ああ、そんなヤワじゃないんだな、といつも感心するところであります。
ああ、ウエディングドレスで世界各地の写真撮りまくり……それは、後先をあまり考えてない若者らしい行動です。いくつになってもそんな心境になれるふたりだったんですね。なんだかうらやましいです。わたくし、そんな知人がいたら、ぜひ松井さんポジションにいたいものです(笑)。
その楽しそうな裏にこんな物語が!
昔の楽しかった恋をふと思い出してる自分は、辛いのですね・・・
空に投げた名前・・・うーん、多分トバさんの解釈で正解だと思いますが・・・
『春の詩』のような想い出は、普段すっかり忘れているのですが、ある日突然、目の前に飛び込んできたことがありました。
95年に何気なく観ていたTVのニュースにその姿が映っていたのです。(あ、犯人とかじゃありません。その人の会社が大変なことに)
驚きましたが、「ああ、そうなのか〜〜」と思っただけ。胸も痛くなりませんでした。
私は案外、薄情な女なのかも知れません(笑)。
対談記事でしたが、玉置さんが再婚騒動の事に少し触れられていて・・・
海外を二人で旅して、あちこちでウエディングドレスを着せて写真を撮った、と。
そんな素敵な思い出は、別離の後では辛いだけですよね。
『きみがほしいことば』を君に言ってあげるのか・・違う人に言うのでしょうか・・・
うーん、情報不足でわかりませんっ!
でも気になるな〜
君に言えなかった『きみがほしいことば』を今度は(今の恋人?に)きっと言うからね。でしょうか?