2022年05月21日
ふたりなら
玉置浩二『LOVE SONG BLUE』四曲目、「ふたりなら」です。安全地帯時代の感覚に近いバラードで、昔からのリスナーであったわたしにはとても自然に響きました。とはいえ、新時代玉置さんの曲であることには違いないわけでして、当時のわたしには聴こえなかった新時代の要素がふんだんに盛り込まれているわけです。
クレジットをみますと……ギタリストが鈴木さん長田さん玉置さんの三人になっていますね。あんまり詳しくないんですが、チューブスクリームの丸い歪みが鈴木さん、ディストーション系の深めな歪みが長田さん、アコギが玉置さんってところでしょうか。みなさん素晴らしい音です。安全地帯時代のようなギターアンサンブルですが、音やフレージングが矢萩さん武沢さんとはもちろん違いますので、違った趣のアンサンブルを楽しむことができます。こんなふうにギタリストが変わるとサウンド違うんですよ、あ、いや、それはもちろんなにストでも同じなんですけど、わたしのようにすぐギターに耳が行ってしまう人にはわかりやすい変化だと思います。そしてドラムに山木秀夫さん、ベースに岡沢章さんですか……いずれも名の知れた、正確にはわたしのようなロック馬鹿でも目にしたことがあるような名の人ですね。どうやって集めたんでしょう、いまこんなバンド組めないですよ……とんでもない豪華仕様です。また、オペレーターに藤井丈司さんが参加されています。
遠くからポワポワとした高音シンセが聴こえてきてフェードイン、低音シンセ、ギターのハーモニクスが混じりそれらがやんだ一瞬に玉置さんが「アウア~」とひと唸り、ドラム、ベース、ピアノが入ります。ピアノがストロークでリードをとります。ギターがギューン!と小さな音量なんですがめちゃくちゃ目立つ音質で音を伸ばし、ドラムがフィルイン、ふう、前奏だけでだいぶ聴いたって満足感があります、さすが豪華バンド(笑)。
シンプルなアコギ、ピアノをバックに玉置さんのボーカルが入ります。ふたりで暮らそう……なんと唐突でシンプルなことか!詞の技巧も何もあったもんじゃありません。それがひとこと目に言うことでしょうか。意表をついております。松井さんの「ふたりで踊ろう」はまだ踊るだけですが、これは暮らしてしまいます。つづけて「ふたりで歩こう」です。手順的にこっちが先な気もするんですが……ああ、人生を一緒に二人で歩いていくわけですね、そりゃ暮らしてからだわ!……とくだらない妄想しているうちに、ギターのリックが入り曲は展開していきます。このギター、初聴時から耳について離れません。玉置さんの歌の強さにどんぴしゃりで曲を盛り上げます。歌手のアルバムなんですから歌手の存在感を越えちゃいけないんですけど、完全に空気になるのもいけません。レコーディングだと30分だけ弾いてもらってあーキミもう帰っていいよです(レコーディングのスタジオはこのくらい殺伐としています)。どうしたらこんな絶妙に印象的なリックを弾けるんでしょう。ギタリストとして嫉妬するのもおかしなくらい、さすがのお二人です。逆をいうと、歌が玉置さんだからこそここまで存在感を出せるギターを弾けたわけでして、歌手の実力が高ければ高いほど呼ばれたミュージシャンも実力を発揮できるわけなのです。
歌は早々にサビに入りまして「ふたりなら」と玉置さんが高らかに歌います。ツヤとハリのある、素晴らしい声です。安全地帯時代と、「田園」以降のソロ充実期、そして安全地帯の復活した現代、どの時代でも玉置さんの歌は一目置かれる以上の評価を得てきたわけですが、日本一歌がうまいといわれるようになってきたのは現代になってようやくなのです。お叱りを承知でいうのであれば、わたくしこの時期こそが玉置さんの声が絶頂期にあったと思っています。それなのに安全地帯が失われていたのは運命の皮肉としか言いようがありません。田中さん、六土さん、矢萩さんが一人ずつツアーメンバーとして参加してくれて、しばらくして武沢さんがお戻りになる決心をなさるまでの十年弱で、玉置さんの声は少しずつ少しずつ、その高音部とツヤを失っていったように聴こえるのです。これは相対的なことですし、好みの問題でもありますからいいとか悪いとかじゃないんですけども、94-95年ころに武道館かあるいはスタジアム級のステージに安全地帯が立っていたら……と残念でなりません。安全地帯に限らず歴史ってそういうものなんですけどねえ。
ふたりなら愛があるってことは、ここでの「愛」はふたりでなければ成り立たないようなものであるわけです。ひとり悶々の愛は愛であって愛でない……そりゃ愛っていろいろなんでしょうけど、ここでの「愛」はふたりの暮らしを紡いでゆくものに限定されています。厳しいな成立条件!それを守るためにたたかう、生きる理由はそれだ、と玉置さんは最高のハリツヤで強く歌います。そして、演奏のほうなんですが、これが新時代玉置さんのバンドサウンドというべき、非常に生々しい音です。ドラムもベースもギターも、エフェクト処理の少なめな、それぞれのミュージシャンがもっている音色なのだろうと思われます。もちろん安全地帯のみなさんがエフェクターで原形を留めていないというわけではありません。これは単に安全地帯の音を作ろうとしていた安全地帯メンバーではない、という事実によるものと思われます。これは当時わたくしあまり気づいていませんでした。80年代が終わってまだ数年、耳のアップデートが追い付いていませんでしたが、時代はより生音に近いサウンドが中心になっていったのです。ですから、エフェクターによる極端な加工やデジタルレコーディングといった最新技術を駆使したやり方にストレスを溜めていた玉置さんにとっては、楽しいレコーディングであったものと思われます。
さて短い間奏を挟み、歌は二番に進みます。夕焼けに染まった緑の丘、そこにたたずむ赤い屋根の家、肌寒い季節にふたりがぬくもりをわけあって暮らす場所が歌われます。愛があるなあ、愛は目に見えるものでないのに、明確に目の前に情景が浮かびます。それが愛なんだと。のちの「明かりの灯るところへ」で松井さんが描いた愛の原形は、この曲にあるのだと思わされます。
こうした家は「迷ったならそこへ帰る」ことのできる場所として機能します。家ってそういうものだろと思わなくもないのですが、玉置さんにとってはそういう「家」が旭川の実家であったわけですから、そこを「ふたり」の場所として歌うというのは、大きな心境の変化、もしくは成長を意味します。玉置さん、すっかり復活したんだよかったよかったと思わずにはいられません。いろいろ生きる意味にも迷い、僕はもう死にたい気持ちなんですとか泣き言を言っていた静養時代を乗り越え、人生のいろいろを経て最後に残る「愛」だけで生きると、力強く宣言するのです。
曲はアウトロ……と思ったらこれは間奏ですね、歌詞カードの詞はもう終わっているんですが、最後にもう一度サビが歌われます。クレジットに記載のある小林正弘さんのトランペットと、清岡太郎さんのトロンボーン……おやまた浜田省吾さん関係の……おそるべし須藤コネクション!このお二人の音がギタリスト二人の音と絡み、さらに岡沢さんのベースがうなりを上げて曲を盛り上げます。玉置さんに遠慮がないんじゃないかと思うくらいなんですが(笑)、そこはさすがの一流ミュージシャン、きっちり最後のサビ、玉置さんの歌に照準を合わせて引いてゆきます。なんというメリハリの効いたアレンジ!玉置さんや星さんがどこまでミュージシャンに注文を出したかわかりませんが、一音一音指定したとは思えないくらいみなさんのびやかに演奏なさっているように聴こえます。安全地帯とは違ってみなさん玉置さんと寝食を共にしてきたわけではありませんから、新しいやり方を採らざるをえなかったものと思われますが、このアルバムはこの曲に限らずとても演奏が豪華です。この後、玉置さんはまた自分一人だけで音を重ねてゆく方向に進むわけですから、この豪華さは後から考えたらとても貴重なものだったといわなくてはならないでしょう。
最後のサビが終わり、今度こそアウトロにすすみます。ドラムがドコドコと轟音を上げ、ピアノとホーンが掛け合いをする長いアウトロです。それは一分半近く続き、フェードアウトしていきます。いやもっと聴きたいんですけど(笑)、いつまでもってわけにはいきませんね。豪華バンドの名残も惜しく、アルバムは次のアコギ弾き語り、どシンプルな「SACRED LOVE」へと向かいます。憎いなあ、このコントラスト。
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