『安全地帯 アナザー・コレクション』六曲目、「一秒一夜」です。「熱視線」カップリングですね。
矢萩さんの作曲・ボーカルという、レア度が高いにもほどがある曲です。矢萩さんのボーカルは『冒険者』や『喜びの歌』で堪能することができますが、聴いてるとなんかクセになるんですよね。そんなわけで、安全地帯もう一人のボーカリストといってもいいでしょう。シャドウボーカリスト、ふだんは二列目で司令塔としてパスを供給しているけど、いざというときは自分がゴール前に突進していって自らゴールを決める、そんなファンタジスタであるといえます。
さて、能力的にはボーカリストがつとまるとはいえ、なんでまた玉置さんを差し置いてまで歌ったのか?これはバンド内の事情ってやつなんだと思います。アマチュアでも、オリジナルをやるバンドなら、曲作った人が歌ったほうがいいよねって感覚があるのです。おそらくですが、アマチュア時期の安全地帯にも似たような感覚があって、矢萩さん、俊也さん、玉置さんがそれぞれ歌うってことがあったんじゃないかと思います。たんに玉置さんの曲がとにかく多くて玉置さんばっかり歌っていたから傍からは不動のボーカリストに見えていただけで、本人たちは別の思惑、活動方針で動いているということがあるものです。俺の曲なんだからこれは俺のものだ、俺が歌うんだからおまえら手を出すな!みたいな縄張り意識とはちょっと違ってですね、作った人がいちばんこの曲をどういうふうに歌として形にしたいかわかっているから、作った人が歌ったほうがしっくりくるってことなんです。バンドとして、曲として、完成度が高いほうを選択するわけですから、結果としてそうなるんですね。
玉置さんは、曲を陽水さんに作ってもらうという会社からの案を断って、自分で歌う曲は自分で作る、そうでなければ北海道に帰るといって「ワインレッドの心」を生み出したわけですから(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、自分の曲でないものは歌わない、くらいのこだわりがあったのだと思います。ですから、この曲も自分では歌わない、矢萩さんの作った曲は矢萩さんが歌う、という、おそらくはアマチュア時代から持ちつづけてきた方針に従ってそうしたものと思われます。
イングウェイさんみたいに、曲は自分で作るけれども自分では歌わず、自分の思った通りに歌えるボーカリストに出会うべく次々とボーカリストをクビにしては新しい人を試すという人もいれば、YOSHIKIさんみたいに、ボーカリストは決まっているんだけどそのボーカリストが自分の思った通りに歌えるまで年単位で歌い直しさせる人もいます。いずれの場合もボーカリストは「そこまでいうなら自分で歌えよ!」と思うことでしょう。ですから、歌は曲を作った人が歌うという方針はバンドとしてごく合理的なのです。まあー、逆にいえば、自分で曲を作らないボーカリストってのはものすごく立場が弱いんですよ。傍からはバンドの看板に見えると思いますけど、携帯ショップのカウンター店員みたいなもので、接客ぜんぶやるんだけど使われてる感がハンパないわけです。
さて曲は、手で叩く系のパーカッションのリズムに乗せてアコギともエレキともつかぬ鮮やかなクリーントーンのアルペジオで始まり、矢萩さんのボーカルがワンフレーズあってからすぐにズシイーンとベース、ボワボワ系のシンセが重ねられてBメロ、そしてドラムが入ってサビへと行きます。サビでは、印象的な加工アルペジオのギターが響きます。総じて、陰鬱なイメージです。
二番でもドラムとベースがアタマから入っていますが陰鬱さは当たり前に変わらず、ズシ……ズシ……と重ーい歩みの黒い影を霧の向こうで眺めるような、矢萩さん独特の雰囲気全開に曲は進みます。
そう、矢萩さんの曲ってこんなイメージなんですよ。ですからのちに「冒険者」聴いたときに、大丈夫ですか暗さがちょっと隠しきれてませんがムリしてませんか矢萩さん!とちょっと心配になったほどです(笑)。
間奏では武沢さんかなと思われるカッティングに乗せてギターとシンセをユニゾンさせたような前フリメロディーがあってから矢萩さんの十八番メロウでヘビーなギターソロに突入します。この様子はまるっきりいつもの安全地帯ですから、この雰囲気は矢萩さんが作り出していたのだとハッキリわかりますね。そしてサビを繰り返し、ドコドコドコドコ!と左右に振ったドラムで曲は終わり、イントロのアルペジオでフェイドアウトです。いやーこれはコアな安全地帯ファンが楽しめる曲であることは間違いないのですが、およそA面の「熱視線」目当てに買った人を喜ばせるようなコマーシャルなところのない曲であるといえるでしょう。渋すぎます。
歌詞ですが、松井さんはのちの矢萩さんソロにも歌詞を提供していますから、そんなに違和感ある組み合わせでもなくなっています、後から考えれば。このときも、矢萩さんの声と曲調にうまーく合わせた遠い霞の向こうでうごめく影のような世界を描いていますね。「ふたりは砂になる」って、溶け合っているのに乾いてるじゃん!「12色の絵具箱」って最小セットじゃん、どれも極彩色に近いよ、それが「あなたに似あえば」って、ぜんぜん打ち解けてないよもう!と、かなり肩ひじ張ってギクシャクした関係を表現しているんですが、矢萩さんの曲調と歌でおそろしく淡々としているのです。影のようだからこそ、アクションがハッキリしていないと何をしているのかわからない(笑)。
「消えてゆくいとしさ」ですから、冷めてゆく関係なのです。それだからこそ、よその「誘惑にもうこわれた」わけです。ああダメじゃんもう。それでも、「永遠にふるえている一秒が不思議」……これが難しい……というかわからない……いまはすっかりダメになったけど、心を通わせ震わせたかつての一瞬一秒は、永遠にぼくの胸に刻み付けられているんだ的なことなのかしらと、平凡な感想しか浮かんできません。うーむもっと深い情念的なものを描いているような気がしないでもないんですが……。まあ、仮にそのとらえ方でよかったとしてですが、そういう一瞬って結構マジで刻み付けられているんだと思います。それはそうなる前には決してなかった思考・行動へと人を駆り立てるようになります。心理学の用語でいえば「学習」したわけです。80年代歌謡曲の世界でいえば一歩だけ「大人に染められた」のでしょう。だからこそ「絵具箱」というイメージが生きてきます。最初は極彩色みたいなはっきりした色しかなかった12色ですが、だんだん混じり合い、水で薄められ、画用紙のうえで乾き、どんどんなんとも言いようのない色に染まってゆきます。ですから、もうあなたに似あう色は12色の中にはなくなってしまっていた……ああいかん、なんだか泣けてきましたよ(笑)。そんな絵具のパレットに筆の先から水が滴る一瞬一瞬が、実は始まりから終わりまで続けられていた「学習」「染めあげ」の過程そのものであって、それを積み重ねた結果として一本に見えていたふたりの人生の道は二つに分かれていくことが決定的になってしまったのでしょう。絵具セットをいろいろこねくり回して取り返しがつかなくなる前にこりゃダメだと気づくことができないのが若さなのでしょう。苦い苦い、でも美しい一瞬として人の記憶に残り続けるのです。わたくし?もちろん、霞の中に見えていた影絵として拝見していただけですとも!
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室蘭!懐かしい響きです。日鉄でしたっけね。ずいぶん栄えた街なんです。「熱視線」が生まれた街なんですね……。北海道にいくつもある石炭の町もそうなんですが、単純に政治の都合で衰退させられてしまった感が強くて、北海道人からするとつらい気持ちに似た感覚を覚えます。イギリス映画『リトル・ダンサー』の寂しさです。
一秒一夜!
熱視線のB面で、これまたよくかけました。A面を聴くと何故だか必ずB面も責任というか、A面だけではかわいそうな笑
気がしてほとんど聴いてます。
矢萩さんの歌もなかなか良かった!
これは、熱視線は確か室蘭までディレクターさんが飛んで、曲を作らせて急ピッチでレコーディングをしたとか。
恋の予感がヒットしている間にすかさず間あけないようにリリースした模様で、その直後に玉置さんは体調を崩されました、確か。FNS歌謡祭とか辛そうでした。