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2019年04月14日
オロモウツ観光案内順路3(四月十二日)
承前
階段を下りたら、左手前方に見える幼稚園の建物の脇を通って、ムリーンスカー川を渡って、堀の外側に展開されていた砲台の置かれた出丸のようなものが残っているところに向かってもいい。その一番奥にはパラツキー大学の科学啓蒙施設もあって、自然科学だけでなくオロモウツの歴史についても、見て感じて体験することで理解することができる。去年の夏にこの施設で、要塞都市時代のオロモウツは、水堀に囲まれていたため湿気が多く、病気が多発する町として軍人達に恐れられていたなんてことを知ったのである。
とまれ、今回のお散歩ではそこまで時間もないので、階段を下りたらすぐに左に向かって、崖下に添うように走っている道をたどる。街の建物を見上げながら歩いていると、オロモウツのこのあたりは、丘というよりは岩の上に建設された街で、水堀の内側には城壁を建設する必要がなかったことがわかる。こんな岩の上の町を守れるような城壁を建てるのも難しかっただろうしね。
この城下公園と、岩の上の街を行き来するのに何箇所か階段があって、どこから上ってもそれぞれに趣深いのだが、今回は最初に見えてくる、一番崩壊度の高い階段を上ろう。こわれているのは上の建物で、階段自体は問題なく登れるから、そこは心配する必要はない。階段を上って更に道なりに坂道を登っていると、市庁舎の塔が見えてくる。一番高いところまで行くと、細い通りの上に塔がそびえているように見えるところがあるが、ここがオロモウツで写真を撮るならここという場所のひとつである。
ちょっとした広場になっているところを右に曲がると、巨大な聖ミハル教会の建物が見えてくる。ここがオロモウツ市内では一番高いところになるのかな。ミハル教会に入って奥の棟の地下の水溜りを見に行ってもいいし、棟に登ることもできる。教会の入り口の前の小さな像の置かれた広場が、誰も広場だと認識していないが、モラビアを代表する貴族家の名前を取ってなづけられたジェロティーン広場である。
城下公園から階段を上ってこのあたりまで、あちこち細い通りに迷い込むのも散歩の醍醐味である。オロモウツは小さい街なので、変な路地裏に入り込んでしまっても適当に歩いていたら知っている場所に出るものである。観光名所なんか無視して、意図的に道に迷うのも楽しいのだが、残念ながらオロモウツではすぐに知っているところに出てしまう。
このジェロティーン広場からまっすぐ進むと、左手に礼拝堂が見えてくる。ヤン・サルカンドルという拷問死したことで列聖された人物を記念して建てられたものなので、礼拝堂の地下には中世以来の拷問道具が展示されている。サルカンドルがどの拷問を食らったのかはかかれていなかったと思う。キリスト教徒の人がいたら、ここにもヨハネ・パウロ二世が来たんだということを強調しておこう。
宗教嫌いの人、もしくは建築愛好家は、ジェロティーン広場のところで右に折れる。突き当りまで行くと公園に下りる階段がある。階段は白い塔のような建物の中に入っているのだが、出入りを管理するために階段にはこの手の施設が付属していたのだろう。以前は暗い、汚い、臭いと三拍子そろった階段で、上り下りするのが怖いぐらいだったのだが、改修工事を受けてからはきれいに維持されていて、重要な散歩コースの一部となっている。
階段の左手のクリーム色の外壁の建物は、オロモウツのジャーマンセセッション様式の建物としては最高傑作だといわれるプリマベシ邸である。アールヌーボーという言葉のほうが一般的なんだろうけど、使いたくないのである。ただしセセッションはセセッションでもウィーン風のセセッションらしい。絵画のセセッション、つまり分離派で、ウィーンの分離派と言えばクリムトである。プリマベシ一族とクリムトの間に親交があったのは故なしとはしないのである。この建物についてはすでにあれこれ書いたので繰り返さないが、残念なのはレストランが閉鎖中だということである。運がよければ敷地への入り口のドアが開いていて、中の様子を見ることができる。
プリマベシ邸の前の通りを進むと、右手にピンク色の派手な、そして巨大な建物がある。これがオロモウツを拠点のひとつにしていたイエズス会の学寮が置かれていたコンビクトという建物で、同時に我がチェコ語を鍛え上げてくれたパラツキー大学の発祥の地でもある。イエズス会の学寮が発展して大学として認められたのが、現在のパラツキー大学なのである。ただし、パラツキーの名が冠されるようになったのhビロード革命後のことである。
建物の真ん中あたりに入り口があるので、大学関係者じゃなくてもそ知らぬふりで入っていこう。レストランも入っているから普通の人も出入りしてかまわないことになっているのだ。中庭の一番奥の兵のところまで行って、もしくは階段を下りて更に外側に出てもいいけど、とにかく下の公園を見下ろそう。旧ユーゴスラビアの兵士たちの遺骨を納めた納骨堂のギリシャ神殿のミニチュアのような姿が見えるはずだ。最近上部の改修工事も始まったので、今年の夏までには建設当初の厳かな姿を取り戻すはずである。すぐに落書きで埋め尽くされるかもしれないけど。
ヨーロッパの政教分離の実態に興味のある人がいたら建物の中に入ろう。入り口から入ったら左手、中庭から戻ってきたら右手の入り口から中に入る。こちらは受付があるのでわりと夜遅くまで開いているはずだ。それはともかく廊下の一番奥に扉がある。あいていたら中に入って、あいていなかったら手前の階段を二階に上がって、廊下の突き当りを右に曲がる。ガラス張りになっていて中がのぞける場所が二つある。見ての通り、礼拝堂である。国費で運営される国立大学にキリスト教の礼拝堂がある。これを日本の政教分離にうるさい人々はどう評価するのだろうか。ヨーロッパの伝統を感じて云々なんてのんきなことをぬかしやがりそうな気がするんだけどなあ。
またまたしゃべりつかれたので、コンビクトの中のレストランか、中庭のベンチで一休みと言うことにしようか。
2019年4月12日23時。