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2018年03月27日

スロバキアその後(三月廿四日)



 この前、スロバキアのフィツォ政権がジャーナリスト暗殺事件の責任を問われて、大統領をはじめとする国民の大半からの批判、抗議を受け、退陣を受け入れたことについては記した。今回は、その後の、と言ってもたいした情報があるわけではないのだけど、スロバキアの政界で起こった出来事を紹介する。
 フィツォ氏が、本人の意思に反して退陣することになった結果、後継者として首班指名を受けたのは同じスメル党のペテル・ペレグリニ氏だった。スロバキアの名字には詳しくないと言うか、チェコと違いがあるのか知らないのだけど、あまりスラブっぽさを感じさせないような気がする。「ペレグリーニ」と伸ばすと、イタリアとかスペインぽくない? このあたりはナポレオン戦争やらなんやらで、フランスやイタリア、スペインなどからつれてこられて帰れなくなった人たちも多いというから、そういう人たちの子孫なのかもしれない。名前は完全にスロバキアの名前だしね。

 もともと、スメル党内でフィツォ氏の後継者と目されていたのは、ときに皇太子などと揶揄されることもあったロベルト・カリニャーク氏だった。これまでの三回のフィツォ内閣で毎回大臣を務め、今回の事件が起こるまでは内務大臣を務めていた。ただ、あれこれ黒い噂、疑惑の絶えない人で、事件が怒る前から、野党を中心にカリニャーク氏の辞任、もしくは解任を求める声は強かった。いや任命したことでフィツォ氏にたいする批判もあったはずである。それでも、これまでかばい続けてきたということは、フィツォ氏も同じ穴のムジナであったということだろうか。
 それが、今回の事件でも最初はかばう方向だったのが、予想以上に高まった批判に耐え切れなくなったフィツォ氏はカリニャーク氏を解任することを決めたものの、対応の遅さが更なる批判につながって、結局は「無能な野党に政権は渡せないから」とか何とかいう理由で、スメルの政治家を首相とする内閣を成立させることを条件に退陣したのである。

 次の首相に指名されたペレグリニ氏は、大臣や国会議長、副首相などのポストを歴任しており、スメル党の有力政治家ではあるようだが、フィツォ氏とどの程度近い関係にあるのかなどはよくわからない。カリニャーク氏のようにフィツォ氏にべったりの関係であれば、反フィツォであることを鮮明にしつつある大統領のキスカ氏が首班指名をするはずがないから、連立のパートナーとなっている政党と大統領を納得させられる程度にはフィツォ氏から距離を置いた政治家なのだろうと判断しておく。
 そのペレグリニ氏の一回目の組閣の試みは、大統領に拒否された。スロバキアもチェコと同じで、大統領の首班指名、組閣、大統領による任命、国会における信任という手順を踏むようだが、大統領に任命を拒否する権利があるのかというのが問題になった。もちろん、首相を代えての連立政権の継続に反対して解散総選挙を求める野党側は支持していたけれども、憲法上どうなのかというのは確認しておく必要があるだろう。報道を見る限りペレグリニ氏が権限を逸脱したと批判した以外はあまり問題になっていないようだ。こちらがスロバキア語が理解できないからわからないという可能性も高いけどさ。

 キスカ氏が最初の任命を拒否した理由の一つは、フィツォ内閣で適正な捜査を補償できるかどうか心配だとされた内務大臣の名前だった。ニュースを見ていて、内務大臣候補の名前とその素性を聞いて、うちのが思わず「ティ・ボレ」と漏らしてしまうぐらい、ある意味衝撃的な名前だった。ヨゼフ・ラーシュという名前は知らなくても、ヨジョなら知っている人がいるかもしれない。それも知らないならエラーンはどうだろう。スロバキアを代表するロック、ポップス系のバンドなんだけど。
 チェコのオリンピックよりはロックよりで、どちらかというとカバートとかルツィエに近いのかなあなんていう説明で理解してもらえるとは思えないし、書いている自分自身もエラーンの曲なんて断片的にしか聞いたことがないからこれでいいのかどうか不安ではあるのだけど、見た目としてはごついおっさん達で、ファンも女性よりは男性の方が多そうなバンドである。ヨジョ・ラーシュはそのエラーンの中心としてボーカルを務める人物である。

 残念ながら内務大臣の候補となったのは、ヨジョ本人ではなく、息子のヨゼフ・ラーシュ若だったのだけど、政治家になっていて大臣候補になるような息子がいるだなんて、チェコでも知られていなかったから、うちのにとっても大きな驚きだったのである。キスカ大統領がこの人の任命を拒否したのは、さすがにエラーンのボーカルの息子だからということはないだろうけれども、大統領とエラーンという組み合わせがそぐわないのも確かである。
 内務大臣を拒否されたペレグリニ氏は、非党員の専門家としてフィツォ政権では厚生大臣を務めていたドルツクル氏を選んだ。専門家というのは担当する省に関係する専門家ではなく、組織運営の専門家という意味だったようだ。他にも変更があったのかもしれないが、二回目の組閣は大統領に受け入れられ無事に任命まではたどり着いた。これから国会で信任を受けることになるのだが、どんな結果が出るだろうか。反政府デモはとりあえずブラチスラバでは中止になったけれども、他の地方都市では継続しているらしい、連立与党で過半数は確保しているようだが、チェコと同じで造反者が出ないとは言い切れない。

 チェコと同様、スロバキアも政府があるのかないのかよくわからない状態がしばらく続くことになる。
2018年3月25日19時。





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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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