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2018年01月30日

ゼマン大統領再選1(正月廿七日)



 所用でプラハに出かけることになり、最近の例によってレギオジェットで八時半ぐらいにオロモウツを発った。そのために、五時半という平日よりも早い時間に起きてしまう自分に疑問を感じなくもない。昔は七時前の電車に乗るのに五時半ぐらいに起きていたはずなのだけど。家を出る八時ぐらいまで何をしていたかと言うと、ただぼおっとしていたのである。最近だけでもないけど、目覚めてから頭がちゃんと動き始めるまでに時間がかかる。以前早起きしていたころは電車の中で寝ていたけど、レギオジェットを使うのは、ちょっと贅沢するのは、スペースを確保して、PCであれこれ文章を書くためなのである。
 それなのに、それなのに、今回は文章を書くよりも、ネットに接続してあれこれ読むのに時間を割いてしまった。これなら別にビジネスなんて贅沢をする必要はなかったのに……。それもこれも大統領選挙の第二回投票が行われていたせいである。経過や結果が気になってという意味ではなく、車内で配布された新聞のスポーツ欄を見ても、ハンドボールのチェコ代表の歴史的活躍が結果を知らせるだけの小さな記事で済まされていたのである。

 これがサッカーやアイスホッケーだったら大統領選挙の期間中ではあっても、詳細な記事がいくつも出るのだろうけど、ハンドボールはやはりマイナースポーツなのである。それでも、大統領選挙の期間中でなければ、もう少し人をつぎ込んで、監督二人やキャプテンで得点王のズドラーハラあたりのインタビューが出たに違いない。そして車中でネットに接続しなくても、文章を書くネタに困らなかったはずである。それが、多少八つ当たり気味だけど大統領選挙のせいだという所以である。
 そして、バビシュ氏に関しては、アグロフェルト傘下のムラダー・フロンタとリドベー・ノビニのハンドボールに関する報道が改善されない限り、反対派に回ることにする。バビシュ内閣が成立して国会で信任を得るのは、今回の大統領選挙の結果からも避けられない流れだし、今さら大声でバビシュ批判をするつもりはないけれどもさ。

 さて、プラハでの所用を終えてオロモウツに戻るべく駅に戻ったのが五時すぎ、開票が始まってまだ三時間ほどだったので、結果は確定していないだろうと思って、うちのに問い合わせてみたら、僅差だけど、ゼマン大統領の当選が確定したという。プラハでの開票に時間がかかることを考えると、もう少し時間がかかると思っていたのだが、今回は決選投票で候補者が二人しかいなかったから、開票と集計の作業が一回目よりも早く進んだのかもしれない。

 ゼマン大統領が勝つだろうことは、選挙が始まったときから予想していたけれども、最終的な得票率の差、三パーセントというのをどう理解するかはなかなか微妙である。ドラホシュ氏が立候補を表明した時点から考えると、これ以上ないぐらいの大善戦であるのは確かである。しかし、第一回目の投票の後、落選した候補者のほとんどがドラホシュ氏支持に回り、既存の有力政党の多くも党全体で、あるいは党首個人でドラホシュ氏への支援を表明し、いわば反ゼマン連合が結成されたことを考えると、もう少し何とかならんかったのかなと、戦いようがあったのではないかという思いは否定できない。
 ただ、ドラホシュ氏に課されたのは、一回目の投票と決選投票の間の二週間弱の間に、敗退した候補者の支持者からの支持を固めると同時に、ゼマン支持者の取り崩しをすることだったのだ。同時に相反するようなことを実現しなければ、勝ち目はなかったわけだから、最初からかなりの無理難題だったとも言える。ゼマン支持者を取り込むようなことを主張すれば、元からの支持者はともかく、他候補の支持者は逃げていくだろうし、そう考えると大々健闘かな。

 結局、今回の選挙は、ゼマン対ドラホシュではなく、ゼマン対反ゼマンでしかなかったのだ。その構図を最後まで崩せなかったことが、ドラホシュ氏の限界で最大の敗因だった。現職の大統領に挑む新人候補者としては、反現職で変化を求める以外の戦略は取り難かったのだろうし、それが選挙で現職候補が有利な理由でもあるのだろう。
 ドラホシュ氏が選挙戦の終盤で、自分は国民をまとめるような大統領になりたいと語っていたのは、ゼマン支持者も反ゼマンもどちらもまとまれるような大統領という意味で使っていたのだろうけれども、枕として、ゼマン大統領は国民を分断しているという批判を入れてしまったから、ゼマン支持者には受け入れにくかっただろうし、どのようにゼマン大統領が分断してしまった国民をまとめるのかの部分に説得力が今一つ感じられなかった。
 ドラホシュ氏の支持者には圧倒的に知識人、もしくは自らを知識人とみなす層が多く、この事実も一部の中間派をゼマン支持に押しやったかもしれない。国民中の知識人、知的エリート階層がヨーロッパの民主主義の確立とその維持に大きく貢献したことには疑問をさしはさむ余地はないが、知識人たちが自らの力、いや、自らの正しさを過信するあまり一般の民衆にそっぽを向かれることがあるのもまた事実である。この前のアメリカの大統領選挙にもそんなところがあったけどさ。

 チェコでは知的エリート層に含まれ、伝統的に政治的発言をすることの多い俳優や歌手たちが、一部を除いて盛んにドラホシュ支持を打ち出し、チャリティーと称した応援コンサートなんかを開催していたのもあまり関心できたものではなかった。一回目の投票の後の世論調査で、ドラホシュ氏支持の回答がゼマン支持を上回る結果が出ていたせいもあるかもしれないが、ドラホシュ支持の芸能人たちが浮かれすぎているように見えてしまった。
 こんな浮かれすぎにも見える熱狂というのは、勢いが必要な、熱狂的な勢いなしには引き起こせない革命には欠かせないものだろう。ただ、ある程度成熟した社会の民主主義的な選挙においては、それほど大きな力を持ちえるとは思えない。反対派をも巻き込むような熱狂を巻き起こせれば話は違うのだろうけれども、今回の騒ぎは、外には広がらない仲間内でのお祭り騒ぎにしか見えなかった。
 そして反ゼマン連合の声が大きすぎたことも裏目に出た。政治にはあまり関心を持たない消極的ゼマン支持者の危機感をあおることになり、その結果、今回66パーセントと一回目の投票よりも投票率が高かったのもゼマン大統領の再選に寄与したはずである。逆に言えば、消極的反ゼマン派というのは想定しにくいし、ドラホシュ氏側は投票率が上がったところで上積みはできなかったということなのだろう。

 長くなったので以下次号。
2018年1月28日24時。









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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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