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2018年01月10日

永観三年三月の実資〈下〉(正月七日)



承前

 廿一日は頼忠に呼び出された後、参内。検非違使別当を兼任する左衛門督の源重光から、正月に下総守藤原季孝を襲撃し怪我を負わせた犯人についての情報を得て、次いでの機会に天皇に奏上している。

 廿二日は早朝内裏から帰宅するが、昼ごろから体調を壊して苦しんでいる。そんなときには仏僧を呼んで祈祷である。
 検非違使を兼ねていた右衛門尉の源忠良からの情報で、検非違使別当の源重光が昨日の藤原季孝襲撃犯についての情報を天皇に奏上したことを知らされる。容疑者は左兵衛尉藤原斉明の従者二人だというので、源忠良と左衛門府生の錦文安に、藤原斉明のところに出向いて従者を出頭させることを伝えるようにという命令が下りている。もし藤原斉明が拒否した場合には、藤原斉明本人を捕らえて連れて来いというのである。しかし、藤原斉明はすでに摂津国に逃亡したとも言う。

 廿三日は、体調不良で特に書くべきこともなし。

 廿四日は、快復したのか中宮と上皇の許を経て参内。岩清水の臨時祭の試楽が行なわれている。それが終わった後、上皇の許に戻る。左大臣が季御読経に参加する僧の欠員を補充について定めている。実資が御前に候じていると、上皇が明日近江の唐崎に行くんだけど、雨が降るかも知れないから行くかどうか決められないなんてことを漏らしたようだ、

 廿五日は雨である。書かれていないが上皇の唐崎行幸は中止かな。実資は参内。夜になって天皇がまた左右の十列という競馬のようなものを見ている。場所は清涼殿の東庭というけれども、馬を走らせられる広さがあったのだろうか。

 廿六日は、延期された石清水の臨時祭の日である。内裏での儀式の様子が記されているが細かくは書くまい。ただ、祭事用の装束に着替えるのが早すぎると批判している。また、予定されていた栗毛の馬が病気になったために白栗毛の馬に変更されている。
 上皇が臨時祭を見たいという連絡があったので、実資は急いで上皇の許に向かう。実資だけではなく、大納言の源重信をはじめとして何人もの公卿も参入して、院の門の辺りで石清水に向かう行列を見物している。終わった後は酒宴である。

 廿七日は一日中雨。石清水臨時祭の祭使が帰参しているが雨が激しかったため御前には召されていない。汚れがひどかったのだろうか。褒美と饗応は射場殿で受けている。
 摂津国に逃亡した左兵衛尉藤原斉明を追捕していた検非違使の右衛門尉源忠良、左衛門志錦文安などが帰参して、藤原斉明はすでに海上に逃げていて捕らえられなかったということを奏上している。ただ藤原斉明の家来の藤原末光を捕らえている。その証言から正月に匡衡を刃傷したのは斉明で、播磨介季孝を刃傷したのは弟の保輔だということが確実になっている。ただし正月の記事では、「播磨介」ではなく、下総守になっていたはずである。花山天皇は法に基づいて罪を糺すように指示するとともに、父致忠のところにいるらしい弟の保輔についても捜査するように指示している。
 左衛門督の源重光が改めて奏上したのは、左衛門府生錦文安・右衛門府生安茂兼たちが戻ってきて言うには、致忠の話では、息子の保輔は長谷寺に出かけていて近々戻ってくるとい言うことだった。ただ怪しいところもあるので検非違使の官人たちが致忠宅を捜索したところ保輔の姿は発見できなかった。
 それに対して天皇は、致忠にいつまでに保輔を出頭させるか申し文を出させるように命じている。その申し文には来月の二日までにはと書かれていたようである。
 今日は上皇の季御読経の発願なので実資も参入している。
 また、天皇の即位を知らせるために宇佐神宮に使わす勅使が発遣されている。この使は和気氏で五位の位階にあるものの中から選ばれていたという。今回は和気仲遠。

 廿八日は、冷泉天皇の皇女で花山天皇の同母の姉である宗子内親王が祖父の藤原伊尹の追善供養のために、廿六日から行なっている法華八講の話から。今日は、四日にわたって朝晩一巻ずつ法華経八巻を講じていく法会の第三日目である。天皇の仰せで侍臣たちも仏事への捧げ物を準備して参列している。内裏でも読経が行われたようである。これも伊尹の供養のためか。

 廿九日は、院、頼忠のところ、内裏、院と動き回っている。院では季御読経の一環としての論議が行なわれている。実資の兄で修理大夫藤原懐遠の話で、上皇が突然明日童舞を見ると言い出したことを知る。乳母の加賀が亡くなって間もないのに、臨時の宴を開くのはどうなのかねえというのが実資たちの感想である。円融上皇、退位してからこういう場面が増えたような気がする。
 この日上皇から中宮の遵子に院に参入するように連絡があったようだが、病気のために仏事を行なっていたようで、参入していない。

 卅日は院の季御読経の結願である。予定では廿七と廿九の二日だったようだが、変更されたか。左大臣源雅信以下多くの公卿が参入している。終わった後、御前で酒宴が行われ童舞をご覧になっている。演目も記されているが、よくわからんし、ここでは省略。上皇からの褒美とは別に、実資も舞童を呼び出して着てきた服を脱いで与えている。
2018年1月7日23時30分。








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