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2016年07月16日
サマースクールの思い出(九)――知り合えた人々(七月十三日)
二年目の宿舎は、前年から変更されて、街のはずれ、トラムの二番と七番の終点ネジェジーンにある新しく建設されたというパラツキー大学の寮だった。一人部屋をお願いしてみたら、一番上の階のキッチンもついたなかなかいい部屋に入れてもらえた。ベッドがソファーに内蔵されているものを寝るときだけ、変形させてベッドを引き出すものだったのが玉に瑕だった。もちろん、来客があるわけでなく、例外を除いてベッドにしたままだったけど。
サマースクールが始まる前の週末、まだ参加者が全員集まっていない土曜日に、夕食でもとろうと宿舎を出てトラムの停留所に向かった。ネジェジーン地区は旧市街まで歩いて二十分ほどなので、トラムを使うのが一般的で、事務局の手配で定期券が購入できることになっていたが、土曜日は定期券を販売している市の交通局が休みなので買えず、自動券売機で買ったんだったか、オロモウツに到着したときに駅で何枚か購入したんだったか、思い出すことができない。
とまれ、乗車券片手にほとんど誰も乗っていないトラムに乗り込んだ。そしたら、一人体格のいい男の人が乗っていて、どちらからともなく声を掛けた。こっちにしてみれば、この時間にネジェジーンからトラムに乗るのは、チェコ人と見分けがつかなくてもサマースクールの参加者だろうと思えたし、向こうは向こうでこの時期オロモウツにいるアジア人は、サマースクール関係者だと判断したのだろう。
最初に「日本人か」とあまり上手でないチェコ語で聞かれて、そうだと答えてお互い下手なチェコ語であれこれ話し始めた。これが、何だかんだでサマースクールの期間中一緒に行動することの多かったオランダ人のフランクとの出会いだった。
最初に行ったのは、指定レストランのうち一番ネジェジーンに近いMだっただろうか。武道を学んだことがある関係で、少しばかり日本語もできるというフランクは、英語で教えるクラスで勉強すると言っていた。前年の私よりははるかによくできていたのでチェコ語で教えるクラスで勉強もできるだろうと言ったら、初めてのサマースクールだから不安なんだと言っていた。英語で勉強するほうが不安な人間にはできない考え方だなあ。
このフランクとはなぜか気があって、クラスが別だった割には、食事や映画の上映、午後の講義なんかでよく一緒に行動した。昼食でビールを飲んでしまって、午後の講義中眠気をこらえるのが大変だったのもいい思い出である。
ターニャが先生だったら、フランクは学友という感じかな。ターニャもクランクも、たまにオロモウツに来ているようで、何年かに一回ばったり再会して道端で大声を上げてしまうことがある。お互い忙しくて長話もできないのだが、特に連絡することなく偶然会えるというのは本当に嬉しい。そして、外国人二人でチェコ語で話ができることを、心の底から嬉しく、誇りに思うのである。
この年は、日本の大学でチェコ語を勉強しているという人たちと、一緒にいろいろやったのかな。前の年もある大学の院生にお世話になったのだけど、その人の後輩たちが来ていたのだ。大学の二年生と四年生だったか、みんなチェコ語で勉強するクラスにいたのはさすがである。
たしかサマースクールが始まってすぐ、昼食に出かけて、同じクラスの人だけでなく大きなグループになってしまったときだったと思う。うえのクラスの人に日本のことを聞かれて答えられなくて、あたふたしていたのを見るに見かねて助け舟を出したのだった。そしたらなぜか妙に感謝されて先輩と呼ばれるようになってしまった。
大したことは言っていないのだけどね。ただ、チェコ語で話そうとして最初に考えたことがチェコ語で言えないことに気づいたときに、日本語であれこれ言い換えてからチェコ語にしたほうがいいというようなことは言ったかな。今では最初からチェコ語で考えることが多いけど、当時はまだ日本語で考えてからチェコ語にしていたので、日本語で別の言い方を考えるというのは、重要な方法だったのだ。
そんな感じで、質問されたり、こっちから質問したりしていたら、寮の一人部屋にキッチンが付いていて、数人で座れる食事用のテーブルがあるなんてことも知られた結果、最終週に何人かで集まってお別れのパーティーをしようということになっていた。せっかくなので、ターニャとフランクにも声をかけて、全部で六人か七人でお酒を飲みながら楽しい時間を過ごすことができた。おつまみを作ってくれた日本から来た人たちにも感謝である。ターニャとフランクへの御礼にもなったはずだし。
二年目は、特筆することもそんなに多くなかった。強いてあげれば、他の人たちがプラハに行っていた二週目の週末に嵐に襲われて、暴風雨はまあ日本の雨と比べたら大したことはなかったのだが、雷がひどくて、音と光に夜眠れなかったことぐらいかな。それもサマースクールが終わって、自分ひとりがオロモウツに残ったときの寂寥感に比べればなんでもないことだったし。
7月14日21時。