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2018年10月20日

放射線の話2(十月十六日)



承前
 ところで、福島の原子力発電所の爆発が起きたときに、人生の先達ともいうべき我が師の一人が、日本中で放射能が、放射能がで大騒ぎしているのを冷ややかに眺めながら、こんなの全然大したことないよと笑っていたのを思い出す。アメリカやらソ連やらが、ばんばん核実験やってた頃は、東京でも雨の中、傘を差さないで歩いて頭を濡らすと、結構髪が抜けたりしてやばかったんだからと回想されていた。この国連の常任理事国が大気中にぶちまけた放射線、放射性物質については、この本の著者多田氏も繰り返し言及しているけれど、以前は本当にひどかったらしいからなあ。それをまったく気にしないでいた人たちに、福島の放射能がとか言われても、信じる気にはなれない。ってのが普通の反応だと思う。
 チェコであの時、原子力パニック、放射能パニックが起こらなかったのは、一つには、距離が大きく離れていたからだが、チェルノブイリの原子力発電所の事故を、間接的にであれ経験しているのも大きいかな。あのときは、情報が全く入ってこず、だからと言って親分のソ連を批判することもできず、いろいろ大変だったらしいし。放射線による健康被害が、西ヨーロッパにまで及ぶのではないかと大騒ぎされたのに、実際にはチェコでは何の問題も起こらなかったという事実も、チェコ人が冷静でいられた理由であろう。

 ただ、同じ間接的にチェルノブイリの事故を経験したはずのドイツの報道はひどかったらしい。その結果なのだろうが、日系企業の人から、取引先のドイツ企業から、放射能に汚染された日本の製品は買えないから、ヨーロッパで生産しろとか、汚染されていないことを証明しろとか意味不明な要求をされたという話を聞いたことがある。福島からは何百キロも離れたところに工場があるにもかかわらずである。発作的に原子力発電所の廃止も決めるしさ。
 そんなことも考え合わせると、チェコの当時のマスコミの反応は飛びぬけて素晴らしかったのだなあと改めて思わされる。少なくとも公共放送のチェコテレビには、原子力発電と直接かかわったこともないような自称専門家はまったく登場せず、本物の物理学者か、原子力発電の現場で働いていた人しか出てこなかったから、根拠のなり理論的に通らない発言をすることはなかったし、日本のマスコミのように面白半分で視聴者の恐怖をあおるようなこともしなかった。著者の、でたらめを垂れ流すマスコミと核実験を阻止しなかった国連に対する批判にはもろ手を挙げて賛成である。

 ここでちょっと自分のことを考える。放射能と放射線、放射性物質の違いはわかっているつもりだった。それなのに、ついつい「放射能を怖がる」と言ってしまうのである。これではマスコミに「放射能=悪」だと洗脳された人たちと変わらないではないか。ちょっと反省である。それでも、放射線や放射性物質を身の回りからゼロにするのが不可能であることぐらいはできていたから、面白半分に報道される原発事故の記事を読んで信じ込むなんてことはなかったけれどもさ。
 高校時代だっただろうか、「ニュートン」が先鞭をつけた科学雑誌、完全理系の人ではなくても読んで理解できる一般向けの科学雑誌がいくつかの出版社から出ていたのだが、そのどれかで、地球上のあらゆるものは人体にとって毒となりうるという記事を読んだのを覚えている。一番安全な水でさえ、うろ覚えだけど、確か一度に5リットル摂取すると、半数の人がなくなるのだというのを読んで、目から鱗が落ちる思いがしたのである。

 考えてみれば、お酒だってなんだって度を過ごせば体に悪いのは当然である。ということで、気にしたほうがいいのかなとも思っていた食品添加物やら、果物の残留農薬やらもあまり気にしなくなった。毎日何度も同じものばかり食べていれば、体に悪い影響を与えることもあるだろうけど、そもそも同じものばかり食べるという生活が健康にいいわけないのだから、その中に有害な食品添加物が入っていようが、農薬がちょっと残っていようが大差があるとは思えない。
 放射線についても、原則としては同じ考えでいいことはわかっていたのだけど、放射能がなんて話になるとちょっとばかり不安になってしまうのも事実だった。マスコミに汚染されているのである。だけど、本書を読んで(ウェブ版だけど)、放射線に関しても同じ考えでいいことが確認できた。量が多すぎれば問題になるかもしれないけれども、少なくとも現在の量であれば、意識する意味すらない。同じようなことはチェコの原子力の専門家もニュースで語っていのだよ。でもね、外国語だったのと、時間の制限があるので細かいデータまでは出ていなかったのとで、ここまでの説得力はなかったのだ。

 本書の最後の部分に出てくる日本産のお米に、有毒なヒ素が微量だけど含まれているという話を読んで、お米を食べないのと、ヒ素で発癌率があがるのとどちらを取るかと言われたら、お米をたくさん食べて癌で早死にするほうを選ぶだろうと思った。これは科学者的な定量的な考え方から導かれる結論ではなく、純粋に感情的な結論である。
 米が嫌いという著者と違って、外国に住んでいるとお米が無性に食べたくなることがあるのだ。お米が食べられないストレスの悪影響を考えたら、ヒ素で癌になる率が上がるのと大差ないような気もする。一生コメを食べ続けても発癌率が上がるのはほんのわずかなようだけど、それが発癌率が2倍になるだったとしても、発癌率が50パーセントになるでも、あんまり気にしないでお米を求めてしまいそうである。あり得ないけど20年以上米を食べ続けたら100パーセント癌になると言われても、食べてしまうかもしれない。この窮屈で生きづらい世の中、癌にならないように細かいことに気を使ってまで、寿命を延ばしたいとは思えない。
 水も、放射線も、水自体(仮にトリチウムが含まれていたとしても)、放射線自体は、安全だとも危険だとも言い切れなず、大切なのはその量をもとにリスクを判断することだということを改めて理解させてもらえただけでも、本書を読んだ甲斐は十分以上にあった。放射線が出る理屈の当たりは完全に理解できたかどうかは怪しいけど、わかった気にはなれたから、読者としては幸せである。放射能を恐れている人は、一読すると恐れが消えて生きやすくなるかもしれない。でも、本書を読んでなお、いわゆる「ゼロベクレル」を叫ぶような人もいるんだろうなあ。

 放射能をポピュリスト的に悪用する政治団体の言うことを信用するのは、難民移民問題をポピュリスト的に悪用して支持を集めている極右の政党を信用するのと同じぐらい愚かなことである。100パーセント安全だと言い切る政治家もまた信用できないのは、本書を読めばわかる。ということは、日本には信用できる政党政治家は存在しないということか。いや、これもまた、○か×かの絶対的な評価ではなく、比較的どちらがマシかという観点で見るべきなのだろう。
 うーん、やっぱ書評にはならんかった。
2018年10月16日23時35分。










posted by olomoučan at 06:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係
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