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2018年06月20日

『物語を忘れた外国語』後7(六月十九日)



 十五章以降は苦手なものが続く。第十五章と十六章は、アジアがテーマなのだが、アジア諸国の言葉は、ピジンとかクレオールの存在を知ったときには、インドネシアの言葉に一瞬だけ興味を持ったけど、勉強したことはないし、アジア諸国の文学作品もほとんど読んだことはない。子供向けの昔話なんかの中には、アジアのものもあったかもしれないけど、『スーホの白い馬』って翻訳だったっけ? 日本人の作品だったっけ?
 例外は中国だが、言葉は中国語ができるのではなく、古典を漢文として読めるに過ぎないし、文学は読んだことがあるのは、せいぜい『三国志演技』『水滸伝』ぐらいのものである。現代中国の言葉や文学に興味があるかと問われたら、ないと答えるしかない。朝鮮半島に関しても、言葉はもちろんできないし、文学は日本語で書かれた作品も含めて読んだことはない。日本名で執筆活動をしている人については、読んだことがあるかもしれないけれども、確認するつもりはない。日本語で書かれ、日本が舞台で、登場人物の大半が日本人であれば、読むのに何の問題もない。

 話を中国を除いたアジア諸国を舞台にした物語に拡大しても、文学であれば、竹山道雄の『ビルマの竪琴』ぐらいしか読んだことがないし、映像作品となると、アメリカ映画の「プラトーン」「キリング・フィールド」ぐらいしか見たことがない。第二次世界大戦に関するノンフィクションは結構読んだけど、物語とは言いづらい。
 だから、自分はアジアを軽視しているんだなんて反省をするつもりはない。もともと外国文学の翻訳は苦手で、推理小説とSF系の作品を除けば、外国文学なんてろくに読んじゃいないのだ。映画にしても、日本映画ですらろくに見ておらず、チェコに来てからチェコ語の勉強をかねて見たチェコ映画の方が多いくらいである。つまり、自分にとって文学、物語というものは、日本語で書かれたものであって、映画というものはチェコで制作されたものなのである。

 第十七章では、外国語を学ぶための書かれた物語と映像作品のいいとこ取りをしたものとして、戯曲が紹介される。この戯曲という形式がまた個人的には非常に苦手で、ちゃんと読了したのは、国語の教科書に出てきた民話劇の「木龍うるし」ぐらいしかない。考えてみれば、チェコ語を世界的にした「ロボット」という言葉を生んだチャペクの『R.U.R.』も、戯曲形式で書かれている。この作品は、義務的に読んだ。多分最後まで読んだと思うけれども、『クラカチット』や『山椒魚戦争』なんかの小説形式で書かれた作品ほど楽しめなかったのは紛れもない事実である。『蟲の生活』とか戦前の何とか全集に収録された古いのを神田の古本市で発見して、大喜びで買ったはいいものの、戯曲故に読みきれなかったし。

 以上、つらつらと、『物語を忘れた外国語』の各章を読んで思いついたことを、直接の関係あるなしにかかわらず、書き散らしてきたのだけど、言語学をテーマにした本に比べて、はるかに思いつくことが多く、連想があちこちに広がっていって収拾がつかなくなりそうなこともあった。久しぶりに幸せな読書のひと時を味わうことができたのである。
 その一方で、自分の不肖の弟子っぷりも今まで以上に明らかになった。外国語を学ぶために物語、読書を役に立てようという主張からして、大賛成ではあるものの実践はできないと来ている。外国語学習と読書、映画の視聴の間に密接な関係を作り出せればよかったのだろうけれども、我が人生では読書だけが孤立してしまっている。だからと言って、何かのために本を読むというのはあまりやりたくない。何かの一環として本を読むだったらまだ許せるのだけど、やはり読書そのものが目的であって、手段というふうには考えられないのが、活字中毒者の性なのである。

 『物語を忘れた外国語』に関する文章全体をしめるには、どうにも中途半端な感じだけれども、長く続いたこの件に関してはこれでお仕舞。
2018年6月19日23時55分。







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