2018年04月03日
チェスキー・クルムロフ(三月卅一日)
ブデヨビツェに出かけたときには、もちろん当時から観光の目玉となっていたチェスキー・クルムロフにも足を伸ばした。宿泊はせずにブデヨビツェから日帰りで出かけたのだけど、レストランなどの値段を見たら見事な観光地価格になっていたから、貧乏旅行者に出せる宿代では泊まれる場所はなかったかもしれない。
クルムロフの巨大な城には行った。中に入ったかどうかは覚えていない。庭園にあるらしい回転式の野外演劇場はそれらしきものは見た記憶があるけれども、故障中で使用されていなかったんじゃなかったか。それから、堀で熊が飼われていたはずなのだが、見た記憶はない。庭園のほうに行くのに橋を渡ったのがここだったかな。
お城の対岸のブルタバ川の蛇行部に囲まれた旧市街はまだ現在ほどは改修が進んでおらず、どことなくうらさびれた印象を与えていた。適当に入ったお店で地元のビールを頼んだら、瓶しかなくてがっかりした。いや、がっかりしたのは、観光地価格で高かったにもかかわらずそれほど美味しくなかったからかもしれない。観光地化のせいでうらさびれた街の魅力がすでに失われつつあったのが残念だった。
そんなこんなでクルムロフに対してあまりいい印象をもてなかったモラビアのひねくれ物としては、お城としてならボウゾフの方がずっと魅力的だし、旧市街ならオロモウツの旧市街のほうがいいと主張してしまうのである。現在では、クルムロフの旧市街も改修が進んで、一般の観光客が大喜びするきらびやかな外観を手にしているのだろうけれども、プラハと同じ過剰なまでの派手さを感じて、魅力的に思えないのである。観光地なんてそんなもんだといわれればその通りだけど……。
クルムロフは、オーストリアの画家エゴン・シーレと縁があるらしく、当時からそれをアピールしていたけれども、シーレに今の華やかなクルムロフが似合うとも思えない。シーレのあの病的なものを感じさせる絵には、滅びゆく街の方がふさわしい。かつてのオストラバのビートコビツェの廃工場とかさ。
それはともかく、エゴン・シーレとかかわりのあった画家といえば、師匠に当たるのかなあ、グスタフ・クリムトがいる。ウィーンを活躍の場にしていたクリムトが、チェコに来たとか、チェコで絵を描いたとかいう話は知らないが、クリムトの作品はプラハの国立美術館にいくつか入っている。何も知らずに美術館に入って、クリムトの絵を発見して、予期せぬ出会いに驚いたことがある。ウィーンの分離派会館でベートーベン・フリーズの実物を見たときほどの感動ではなかったけど。
国立美術館ではもう一人、オスカル・ココシュカの絵も発見した。ココシュカも分離派に連なる画家だっただろうか。クリムトとのつながりで存在は知っていたけれども、チェコ人だった、正確には両親のどちらかがチェコ人で、チェコで活動していたということは知らなかった。ココシュカの絵は、クリムトやシーレの絵ほど熱心に見たわけではないから、どんな絵を描いたか具体的なイメージはもてないのだけど、日本で存在を知っていた画家が実はチェコの人だったというのは、ちょっと感動である。
その手の感動で言うと、アインシュタインがプラハで活動していたというのも驚きだった。いや多分、日本にいたときも情報としてはプラハでというのは読んでいたはずだ。ただ、それが実感を伴って理解できていなかっただけの話である。日本にいると今のチェコのプラハとハプスブルクの時代のプラハ、神聖ローマ帝国時代のプラハがいまひとつ連続して感じられない。プラハでさえこうなのだから、他のボヘミアやモラビアの町ともなるとさらに状況はひどい。
日本でよく目にするドイツ関係の書物で、チェコの地名もドイツ語を基にしたカタカナで表記されることが多いのも問題なのだろうけど、高校で勉強する世界史での神聖ローマ帝国の扱いにも問題がありそうである。ヨーロッパの国と王家の民族性なんてややこしいことを高校の世界史で教えるのが難しいのはわかるけれども、ドイツ人以外の民族の存在があまり感じられなかったんだよなあ。
話を画家に戻すと、世界的に有名らしいチェコの画家にクプカがいる。ピカソなんかと同じくキュビズムの画家で、去年だったと思うけれどもある作品がオークションで歴史的な高額で落札されたというのがニュースになっていた。あれはチェコ的な歴史的な高額だったのか、世界的な歴史的な高額だったのかはっきり覚えていないけど。
音楽とは違って、チェコの画家の作品だからという理由で見るようなことはなかったから、クプカのことも知らなかったし、ココシュカがチェコの人だったということも知らなかった。ムハがチェコ人だというのは、チェコに旅行することになって『地球の歩き方』で読んだんだったかな。正直、「スラブ叙事詩」を見るまでは特にファンだということもなかったから、それほど詳しく知っていたわけでもないし。
なんで、チェスキー・クルムロフというタイトルでこんな文章になってしまったのか自分でもよくわからないのだけど、実際に出かけたときに評判倒れだと思ったからかもしれない。そこまで大騒ぎするほどのことはないと思ってしまったのは、こちらがすねたひねくれ者だからだろうか。
2018年3月31日24時。
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