2018年03月18日
スロバキアの政党2野党(三月十五日)
昨日に続いてスロバキアの政党である。野党第一党は2016年の総選挙で議席を21獲得した「自由と連帯」党である。略称がSaS。スロバキアの政党は妙に略称に凝るなあ。まあさすがに「a」を省いてSSを略称にはできんか。ちなみに、スロバキア語では「Sloboda a Solidarita」だか、チェコ語では「Sloboda」が「Svoboda」になる。似ていると言えば似ているけれども、見ただけ、聞いただけで気づけるかというと、外国人には無理だな。
この党も、2009年に設立された比較的新しい党である。設立直後の2010年の選挙では22議席を獲得しているが、スロバキア初の女性首相イベタ・ラディチョバー氏の内閣が倒れた後、2012年の選挙では大きく議席を減らしている。これはラディチョバー内閣の信任案への反対に賛成できなかった一部の国会議員が脱党したことが原因のようである。ラディチョバー氏もなあ、期待は大きかったのだけど……。
野党第二党はスロバキア語で「OBYČAJNÍ ĽUDIA a nezávislé osobnosti」党。強いて訳すとすれば、「一般人と独立した個人」党。何ともコメントしにくい名前である。略称は「OĽaNO」で、「オリャノ」と読むのだろうか。政党として設立されたのは2011年のことで、ラディチョバー内閣への対応をめぐってSaSと袂を分かった四人の国会議員が設立したもののようである。2016年の選挙での議席数は19。
その四人の国会議員はもともとSaSの党員ではなく、市民団体として存在した「OBYČAJNÍ ĽUDIA」が、SaSの候補者名簿に記載される形で選挙に立候補し当選したというから、最初から分裂含みだったということか。この党員以外の考えの近い専門家を自党の候補者名簿に載せて、票を集めるというやり方はチェコでも使われているし、選挙の制度としては問題ないのだろうけれども、選挙後に候補者として立ててくれた政党を離脱するのは問題ないのだろうか。日本でもそうだけれども、比例代表で選ばれた議員が党を離脱したり、別の党に移籍したりするのを見ると釈然としないものを感じる。
三つ目の野党は、極右の民族主義政党とみなされている「我らがスロバキア」人民党、である。同じ名称の党が存在したのか何なのか、党の正式名称には前に設立者のコトレバ氏の名前が入るようである。スロバキア語で「Kotleba – Ľudová strana Naše Slovensko」。設立されたのは2010年だが、2010年と2012年の二回の総選挙では議席を獲得することができず、難民危機を経た2016年の選挙で、いきなり14の議席を獲得している。さすがにSNS以上に極右のこの党とはフィツォ氏も手を結べなかったようで、連立には参加していない。
この党の前身にあたるコトレバ氏が設立した急進派の民族主義的な政党があったようだが、裁判所の命令で解党を余儀なくされている。チェコのこちらもしばしば裁判所から解党命令を受けている極右の労働者党と協力関係にある。チェコの労働者党はオカムラ党の台頭で支持基盤を失ったところがあるから、国会に議席を得るための5パーセントの壁を越えることはなさそうだが、スロバキアのコトレバ党は、現在のスロバキアの政情、EUの状況を見るにつけ、与党になることはなさそうだが、国会には議席を確保し続けそうである。極右の政党は、知名度の高い個人を表に出したほうが支持を集めやすいのかね。
四つ目は、「SME RODINA - Boris Kollár」党。後半は創立者の名前だろうから、党名としては前半を使うことになる。ということで、あえて訳せば、「我ら家族」党である。設立されたのは2011年で、当時はスロバキア市民党という名称だったようだ。ボリス・コラール氏は、政治の世界に入るまでは実業家だったというから、設立年といい、党首の経歴といいチェコのバビシュ氏のANOと重なるのだが、国会に議席を獲得できたのは2016年の総選挙が初めてのことで議席数は11である。
主義主張はよくわからないけれども、チェコ語のウィキペディアには、ポピュリズムとしか書いてない。現在の政党はどれもこれも、大なり小なりポピュリズム的であるけれども、この「SME RODINA」党は目に余るということだろうか。名称だけ見ると保守的な伝統的な家族主義を主張する政党のようにも見えるけど。
以上がスロバキアの一院制の国会に議席を持っている党だが、最近のニュースの報道を見ていると当選後に離脱して無所属になっている議員も数人いるようである。
意外なのは、チェコよりもキリスト教の信仰の強いスロバキアで、キリスト教系の政党が議席を獲得できていないことである。革命直後の1990年から存在するキリスト教民主党は2016年の選挙で議席を失っているが、獲得したのは4.9パーセントで、わずか0.1パーセントの差で、5パーセントを越えることができなかった。議席を確保するための最低の得票率が5パーセントというのは高すぎで、死票が多くなると思うのだが、これを下げるとただでさえ小党乱立で混乱の多い政局がさらに不安定になるだろうから、この規定は変えないほうがよさそうである。隣国のオーストリアにも同様の規定があって、こちらの境界線は4パーセントだという。
チェコ以上に既存の、ビロード革命で誕生した政党の衰退が進んでいるのがスロバキアだと言えそうである。チェコの既存の政党も、これまでのやり方を反省しないと、共産党を除いてスロバキア同様全滅ということになりかねないと思うのだけど、それはそれで悪いことではないのかもしれない。
2018年3月16日20時。
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