2018年03月17日
スロバキアの政党1(三月十四日)
先日、スロバキアの若手のジャーナリストのヤーン・クツィアク氏が、殺し屋に殺害されたと見られる事件で、フィツォ首相の政権が激しい非難と抗議にさらされているという話を書いたのだが、その後のスロバキアの政局についての報道を見るにつけ、自分がほとんどスロバキアの政治状況を知らないことに気づいてしまった。首相のフィツォ氏の政党がスメル(方向)党で、チェコの社会民主党に対応するものだというのは知っていたし、フィツォ氏の政府が連立政権だというのも知っていた。しかし、ニュースで連立政権に参加している他の政党の名前を聞いても、野党の名前を聞いても全くピンと来ない。スロバキアの政党の名称はチェコ以上に混沌としているのである。
ということで、ちょっとばかりスロバキアの政党について調べてみようと考えたのである。スロバキアはチェコと違って国会は一院制で議院総数は150人、そのうちの約3分の1、49議席を占めているのがフィツォ氏のスメル党で、他の三つの小政党と組んで連立与党となっているらしい。スメル党は2016年の春に行われた総選挙までは過半数の83議席を確保していたようだから、第一党になったとはいえ、チェコと同様、社会民主主義を主張する政党は凋落傾向にあると考えていいのだろうか。
この党が設立されたのは90年代の終わりのことで、所属していた左派民主党に不満を抱いたフィツォ氏を中心とするグループが脱党して設立したものである。2002年の総選挙で議席を獲得して以来支持を増やし、2012年の選挙では過半数の議席を獲得し、ヨーロッパのこの辺りでは珍しい単独与党のフィツォ内閣を成立させたのだが、2016年の総選挙では結党直後の2002年を除けば最低の結果に終わり、連立を組んで内閣を成立させることを余儀なくされ、政権は不安定で運営には苦労しているようである。2014年の大統領選挙に立候補したフィツォ氏が一回目の投票では一位になっていながら、決戦投票で財界出身のキスカ氏に敗れた辺りから支持の低下が始まっていたようである。
連立与党の二つ目は、スロバキア国民党であるが、民族党と訳してもいいかもしれない。チェコ語の「národní」は、名詞「národ」からできた言葉だが、民族と訳したほうがいい場合と、国民と訳したほうがいい場合があって、しばしば悩まされる。プラハの劇場は国民劇場と訳することが多いが、博物館は国民博物館、民族博物館よりは国立博物館のほうがいいだろうし、銀行もチェコ中央銀行と訳すのが穏当だろう。チェコ語ではどれも「národní」という形容詞が使われているである。
とまれ、このスロバキア国民党は、ビロード革命直後から存在する政党で、民族主義的な傾向を帯びた右翼の政党のようである。以前選挙の際に、ロマ人に対する差別を助長するようなキャンペーンを行って批判されたこともあるという。これまで何度か連立与党として政権に関わっているが、同時に当選者を出すための5パーセントの壁を越えられずに議席を失ったこともあるという選挙結果が安定しない党である。2016年の選挙での獲得議席は19。
略称のSNSは、世の中にSNSというものがはびこり始める前から使っていたものであろうか。SNSの隆盛がこの党の党勢に影響を与えていたりはしないかなんて馬鹿なことを考えてしまう。どちらかと言えば左寄りのスメル党と極右に近いとみなされるSNSが組んでいるのは、チェコでバビシュ氏のANOとオカムラ党が組むのに近いのかもしれない。スロバキアにはさらに右を行くコトレバ党があるからそこまでではないか。
三つ目は「MOST-HÍD」党で、議席数は11。スロバキア南部を中心に居住するハンガリー系住民の利害を代表する党のようである。党名も「MOST」がスロバキア語で、「HÍD」がハンガリー語なのだろう。直訳すれば橋だが、スロバキア人とハンガリー人の間の懸け橋になろうという意志を党名にしたと考えておく。設立は2009年と、比較的新しく、結党直後の2010年の選挙以来毎回議席を獲得している。
EUの初期の加盟国を中心に世界中で、スロバキアの右傾化、極右のスロバキア民族主義の台頭が批判されて久しいが、批判する連中はスロバキアにハンガリー系の住民が中心となって組織した政党が存在し、連立政権に参加し、今回のクツィアク氏の事件後の政局でも重要な役割を果たしていることをどのように評価するのだろうか。少数民族とはいえ民族主義的だから極右だとか言い出すのかなあ。何もわかっていないまま批判するやつらが多いからなあ。仮にスロバキアに本当の極右ハンガリー民族主義があるとすれば、それはハンガリー系住民の居住地域のハンガリーへの併合を主張するはずである。
実はスロバキアには、ハンガリー・コミュニティ党とでも訳せるより強くハンガリー系住民の利益を主張する党が存在して、この「MOST-HÍD」党はそこから穏健派が分かれたものらしい。ハンガリー・コミュニティ党は分裂後の2010年からは国会に議席を確保できていないから、スロバキアのハンガリー系の住民は穏健派が多いと考えてもいいのだろうか。
最後に与党として挙げられるのは「#SIEŤ」党。前についているものを無視すれば、網とかネットという意味の言葉なのだが、ネット上での活動を中心にしているのか、スロバキアに網をかけて分裂を防ごうというのかよくわからない。現在はこの党出身の大臣はいないようだから連立与党から脱退した可能性もある。こちらは2014年の大統領選挙に立候補して僅差の三位で決選投票に進出できなかったラドスラフ・プロハースカ氏が設立した政党である。
ちょっと調べてみたけどよくわからんというのが結論である。フィツォ首相は今回の政治危機に関して、連立が解消されて野党が政権を担うことになったら大変なことになるとして、自らが退陣し、連立を維持したままで新しい内閣を組織することを提案したらしい。意外や意外、この人、こういう譲歩はしない人だと思っていた。それはともかく、今回の件でスロバキアの政治情勢がかなり長期にわたって不安定になることは間違いない。せっかくなので次回は野党について書いてみる。
2018年3月15日23時
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