2017年12月16日
プラハ散歩 デイビツェ(十二月十三日)
プラハの地下鉄の緑色の線、Aだったかなの終点デイビツカー駅のある辺りがデイビツェである。昔、また中央駅からルジニェの飛行場への直行バスが運行を始める前までは、このデイビツカーの駅の近くのバス停から飛行場行きのバスに乗るのが、タクシーを使いたくない貧乏人の定番だった。飛行場まで行くバスはいくつかあったが、地下鉄との接続が一番いいのがここだったのだ。
当時は上にも書いたように、終点の駅だったはずなのだが、今回久しぶりに利用したら、路線が延びていて驚いてしまった。チェコでは一番高名な病院のあるモトルのほうまで延長されたらしい。一緒にプラハに行った人にもう何年も前の話だよと馬鹿にされてしまった。プラハにはめったに行かないんだから仕方ないじゃないか。ニュースでそんな話を聞いたことがあるような気はしなくもないけどさ。
デイビツカーの駅を出ると、チェコの街中には珍しい巨大なロータリーがあって、自動車での移動にはいいのだろうけれども、地下鉄で出てきた旅行者は、出口を間違ってしまうと、一度地下に降りて別の出口から出直した方がいいという感じになっている。このあたりナポレオン三世のパリを参考に街造りをしたなんて話がなかったかな。記憶違いかもしれない。
駅名のデイビツカーは、地名のデイビツェからできた形容詞で、地下鉄の駅を意味する名詞のスタニツェが女性名詞であるために女性形の「デイビツカー」という形になっている。日本語に訳すときに「デイビツェ」駅とするか、「デイビツカー」駅とするかちょっと悩むところである。同じ地下鉄の駅名でも、形容詞化していないものもあるのだが、その違いについて考察するのは、今は止めておこう。
プラハのデイビツェというと、二、三年前に、水道水がバクテリアか何かで汚染されるという事故が起こってしばらく断水したことがあるのを思い出す。あのときは、現在使用している水道管ではなくて、それにつながる老朽化した水道管にたまっていた汚水が逆流して使用中の水道管に流入してしまったのが原因だったか。古い街に住むというのは、プラハの中では比較的新しい地区ではあるけれども、こんな危険が存在するのである。
オロモウツも旧市街の水道管は、かなり昔のものがそのまま使われていて、数年前に大改修に手を出す前は、どこにどんな水道管がつながっているのか、正確には把握できていなかったなんてことを言っていたし。それから古い水道管には鉛管が使われていることが多くて、健康に問題が出る恐れもなくはないらしい。こちらはもう全て交換されたと信じたい。
プラハでは、プラハだけではないけれども、地下の水道管が破裂して水が流出し、部分的な断水が起こることがままある。これは、70年代に使用された水道管がチェコスロバキア製のものではなくて、ポーランド製のものであること原因らしい。東側諸国の所謂「分業」体制によって、比較的質の高かったチェコスロバキア製の水道管は、ソ連、もしくは西側への輸出に回され、チェコスロバキアでは、多少頻出の劣るポーランド製の使用を強制されていたらしい。そのポーランド製の水道管が耐用年数前に破裂してしまうというのである。ポーランドの人が聞いたら怒るかもしれないけれども、チェコではそういうことになっている。
デイビツェには、ユニークな演目と個性的な俳優たちで有名な劇場も存在する。ここの俳優兼舞台監督であるクロボトが監督をして、所属俳優のイバン・トロヤンなどが出演して製作されたのが、ノバの傑作テレビドラマ「オクレスニー・プシェボル」だし、チェコテレビで放送されたホテルを舞台にしたコメディ「四つ目の星」である。特に後者は、所属俳優のほとんどが出演したので、劇場の舞台を休みにして、劇場の全力を上げて撮影にあたったと言われている。
実際に、プラハで演劇を見にいったことはないけれども、いくつものそれぞれに個性のある劇場が活動をしている。そういう舞台で鍛えられた俳優たちが、映画やテレビドラマで演じるから、チェコの映画やドラマは、監督と脚本さえよければすばらしいものになることが多いのだ。外国映画の吹き替えも同様である。ポーランドでの外国映画の吹き替えは一人の俳優が淡々とすべての登場人物のせりふを読み上げるだけだというし、国によってレベルの違いは大きいのである。
さて、今回デイビツェの駅を出てロータリーの周りを歩いていたら、大きな記念碑が建っていた。第二次世界大戦中の犠牲者にささげられたものの一つだったようだが、献花などもされていて、周囲には、軍の活動を紹介するパネルも立っていた。このあたりには、チェコの防衛省や、軍の総本部など、軍関係野施設がいくつも置かれているらしい。道行く人たちの中にも軍服姿の人が目に付いたし。空港行きのバスに乗るのにしか使ったことがなかったから、まったく気付いていなかった。
そして、ロータリーから通りに入って坂を上っていくと、日本の国旗が見えてきた。あれ何と聞いたら、日本大使の公邸だとという答えが返ってきた。こんなところに日本大使の公邸があったとは、これも長年チェコにすんでいるけど知らなかった。もうちょっと上ったらトンネルの入り口が見え、これがどうも工費の高騰と工事期間の延長で悪名高いトンネル、ブランカの入り口らしい。反対側の入り口は見たことがあるけど、こっちは初めてで、そもそもデイビツェのほうから続いているということも知らなかったのである。
久々にプラハに行くと、そしてよく知っている人一緒にいると新しい発見がたくさんあるものである。だからといって、オロモウツのほうが好きだという結論が変わるわけではないのだけど、年に一回ぐらいだったらこういうのも悪くない。オロモウツは自分にとって当たり前になりすぎていて何を書けばいいのかわからないところがあるけど、プラハなら自分にとっての発見を書いていけば何とか記事にはなる。そうなるとプラハの記事のほうが増えていくのか、それはそれでいやだなあ。
2017年12月13日22時。
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