2017年09月28日
ヤン・トシースカ死す(九月廿五日)
チェコの俳優ヤン・トシースカが死んだ。享年80歳。土曜日にプラハのカレル橋からブルタバ川に転落し救急隊員によって救出され軍の病院に搬送されたものの、転落した際の怪我がもとで日曜日の深夜に亡くなったということらしい。80歳を超えていたとはいえ、毎日ジョギングするなど健康には問題なさそうだっただけに、その死は驚きを以て迎え入れられた。
トシースカという名前を聞いて、すぐにあの俳優だとわかる人は、チェコ映画のファンか、チェコ語を勉強する目的でチェコの映画をあれこれ見てきた人ぐらいだろう。アメリカに渡ってからのミロシュ・フォルマン監督の映画のファンにも知られているかもしれないが、その場合にはヤン・トシースカではなく、ジャン・トリスカにされているかもしれない。
トシースカの出演した日本でも知られていそうな映画としては、スビェラーク親子の最高傑作である「オベツナー・シュコラ(小学校)」(1991年)、アメリカに亡命する前のこれはスビェラーク父とスモリャクが脚本を担当した「ナ・サモテ・ウ・レサ(森のそばの一軒家で)」(1976年)があるぐらいだろうか。
「オベツナー・シュコラ」では、担任の女性の先生を心がやむまでに追いつめた崩壊しきった学級を立て直すために送り込まれてきた先生の役を演じている。初めて登場するところで黒板に、自分の名前を書いて、「イメヌイ・セ・イゴル・フニーズド(私の名前はイゴル・フニーズドだ)」と言ってバンと黒板に腕をたたきつけるシーンは、数多のチェコ映画の中でも一二を争う名場面である。
映画は第二次世界大戦直後の共産主義体制が確立しつつある時代を背景にしている。だからスビェラーク父演じる主人公の父親は、「チェコスロバキアは地理的にも東西の懸け橋になれる」なんてことを言うのだが、トシースカ演じるこのフニーズド先生は、戦争中のパルチザン上がりで軍隊的なスパルタ方式を持ち込み学級を掌握することに成功する。言うことを聞かないクソガキどもをどうにかするには、多少の体罰も必要だというのは世の東西を問わないのだ。
ただこのフニーズド先生、厳しいだけではなく、授業中にバイオリンを弾いたり戦時中の武勇談を語ったりして子供たちの心を掴んでいく。その武勇談がちょっとすごすぎてパルチザン上がりと言うのは経歴査証じゃないかなんて疑惑も浮かび上がるし、とんでもない女好きで女性関係で問題を越して一度は解任されてしまうのである。子供たちの要望で復職するのだけど、遠足に出た先で不発弾に怯えて何もできないと言う醜態をさらしてしまう。
ヤン・トシースカはこんな複雑な人物を見事に演じ挙げ、登場人物たちの中でも圧倒的な印象を残す。チェコテレビのニュースによれば、小さな役でも主役を越えるような存在感を発揮するのがトシースカの演技だったのだという。
もう一つの代表作「ナ・サモテ・ウ・レサ」では、主役のスビェラーク父の友人を演じる。念願の田舎の一軒家を手に入れられそうなのに、妻の反対にあって悩んでいるスビェラーク演じるプラハ人が、トシースカ演じる友人と二人で田舎の一軒家に泊まって、平然と飲みのたかるベッドに横になる友人に思わず、「何でお前が俺の嫁じゃないのかなあ」なんて言ってしまうのが一番の見せ場と言うことになる。
この映画が撮影された後、ハベル大統領とも友人だったトシースカは、1977年にアメリカに亡命してしまう。ハベル大統領の二人目の夫人が偉そうにトシースカについてコメントしていたけれども、共産主義政権に異を唱えた「ハルタ77」に対抗して、共産党が準備した「アンチ・ハルタ」に署名したと言われるこの女性が、「ハルタ77」の時代にハベル大統領と親交のあった人物に対して賢しらにコメントするのをチェコの人はどう思っているのだろうか。
亡命したトシースカは、アメリカでも俳優の仕事をすることになるのだが、しばらく時間がかかったようである。1980年代に入ってから同じく亡命者のミロシュ・フォルマンの映画に登場するようになったらしい。その後、ビロード革命後にチェコに帰国したわけだが、原則としてアメリカに住んで俳優の仕事をし、チェコには仕事があるときだけ戻ってくるという生活を送っていた。チェコでは劇場俳優として活躍し、特にシェークスピア劇のリア王と言えばトシースカというぐらいになっていた。
これから新しい映画の撮影に入るところだったというのに亡くなってしまったのは残念なことである。転落する前には、カレル橋の欄干に腰掛けていたというトシースカは、ブルタバ川の川面に何を見ていたのだろうか。
2017年9月27日23時。
これにも出演しているらしい。殺し屋の役だったかな。9月27日追記。
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