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2017年08月14日

ゼマン大統領を囲む人々1(八月十一日)



 このテーマで真っ先に挙げなければいけないのは、大統領府の長を務めているミナーシュ氏であろう。チェコの大統領は、アメリカやロシアなどの強い権力持つタイプではなく、どちらかというとドイツに近いもので、政治的な権限はさほど大きくない。国会議員の中から総理大臣になるべき人物を選んで、組閣させることはできるが、慣例として、第一党の党首が指名されるものだし、それ以外の人物が指名されるのは、連立交渉に失敗した場合に限られる。その首相も国会で承認を受けなければいけないわけであるし。
 だから、本来大統領が、政局に影響を与えるということはないはずだし、あってはいけないのだけど、現在のチェコの大統領の存在感は、その権限以上に大きいものになっている。それには、初代のハベル大統領がビロード革命の立役者で、二代目のクラウス大統領が、ビロード革命直後からに2000年代初頭のチェコの政治を主導してきた人物であるという事情が関係している。現在のゼマン大統領が、最後のこの手の政治的に大物の大統領になりそうである。

 ただ、ゼマン大統領の存在感が大きいのは、前任者二人と比べて、憲法で規定されている大統領の権限を越えるような行動が多いことによる。本人の見解では、国会議員による間接選挙ではなく、国民の直接投票によって選ばれた大統領の権限が、これまでの大統領より大きくなるのは当然だというのだが、それに賛成するチェコ人はそれほど多くない。
 来年の選挙に向けて立候補を表明している候補者の顔ぶれを見ても、将来大統領になりたいなんてことを言っている人物たちを見ても、小物感は否めないので、仮に大統領の権限が多少強化されたとしても、ゼマン大統領ほどの存在感を持つ大統領はしばらく出てきそうもない。

 そんなゼマン大統領の大統領府で存在感を発揮しているのは、大統領本人だけではない。大統領の面倒を見るのが仕事の大統領府なんてものを、意識することはゼマン大統領が就任するまでは滅多になかった。シュバルツェンベルク氏がハベル大統領の大統領府の長を務めていたことはよく知られているが、それはむしろその後大臣になったり、大統領候補になったりしたことによる。クラウス大統領のときに誰がこの役職を務めていたかなんて知りもしないし。

 それが、ゼマン大統領の大統領府の長を務めるミナーシュ氏は、特に悪い意味でよく知られている。最初に問題になったのが、最高軍事機密に触れるための権利を取れなかったという話だっただろうか。NATOのサミットがあった際に、大統領とともに出席したわけだが、その権利がなかったために、会議から排除されたんだったかな。その権利は自国の軍の情報部が、申請者を調査して適切だと認められれば得られるものらしいのだけど、ミナーシュ氏に関しては申請はしたものの、サミットまでに許可が下りず、その後も許可が折りないと言うのが問題になっていたような記憶がある。
 この権利が何を規準に認定されるのかというのはいまいちよくわからないのだけど、チェコの歴史を考えると、共産主義の時代に秘密警察の協力者ではなかったことの証明なんかが必要になってくるのだろうかと想像している。この件は、まあミナーシュ氏本人のせいとは言い切れないから、そこまで批判の対象にはなっていなかった。

 二年ほど前だっただろうか、ゼマン大統領の言動に不満を抱いたストホベンという名前の行動的芸術家集団が、改修中のプラハ城の屋根に登り、掲揚されていた国旗を取り外して、代わりに巨大な男性用の下着のトランクスを掲揚するという行動を起こしたことがある。ゼマン大統領には、国旗よりも汚れた下着がふさわしいという批判の意味をこめた行動だったらしい。
 この事件自体も、警備体制はどうだったんだとか、登るのに利用された工事用の足場の管理はどうなっていたのかなどあれこれ問題を引き起こしていたが、一番強く批判されたのが、この事件が起こったとき、ミナーシュ氏が自分の地元の南モラビアのある村の人たちを、プラハ城の大統領官邸に招待して、普通の人は入れないようなところまで見せて回っていたという事実だった。この遠足に来た一団の存在が、大統領官邸に関係のない見知らぬ芸術家連中が入り込んでも気づけなかった原因のひとつだったらしい。

 その後、プラハ城にはテロ対策と称して、入り口で飛行機に乗るときと同様の手荷物検査が行なわれるようになった。導入当初は長い行列が出てきている様子がニュースで伝えられていたから、今でも多くの人がプラハ城見学のために、行列を作っているのだろうと思っていたら、手荷物検査を嫌ってプラハ城に見学に来る人の数が激減しているらしい。城の前に広場も閑散としていて、小遣い稼ぎに楽器を弾いていた連中も稼ぎの悪さに別な場所に移ってしまったという。
 プラハ城を見学しようとして人の多さにうんざりして諦めた人には、今がチャンスかもしれない。ゼマン氏以外の大統領が誕生したら廃止されるのは決定的だというし、手荷物検査のわずらわしさを気にしないのであれば、人ごみに酔うなんてこともなくのんびり自分のペースで見学できるはずである。そして、そのことをミナーシュ氏に感謝しなければいけない。
 何でもこの手荷物検査の導入は、ゼマン大統領が強い批判にさらされたミナーシュ氏をかばうために導入を決めたものだという。入場者を制限することと、ソトホベンのようなよからぬことを考えてプラハ城のエリアに入ろうとする連中を排除することが目的になっているらしい。その意味で現在、見学者が減っているのは、望む所なのだろう。

 それから、ミナーシュ氏がジョギングするからという理由で、一般公開が停止された鹿の堀なんて名前の場所もあるらしい。ミナーシュ氏が危険にさらされるのを防ぐのが目的なのか、ジョギング姿がメディアに登場するのを防ぐのが目的なのか、判断の難しいところである。
8月12日23時。





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