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2017年07月10日

シュンペルクŠumperk(七月七日)



 先日はオロモウツから南に向かってホドニーンについて書いたが、今回は北に向かうことにする。オロモウツから北に向かう鉄道路線は、モヘルニツェ、ザーブジェフを経て西に曲がりプラハに向かう幹線の270番と、シュテルンベルク、ウニチョフを経て、シュンペルクに向かうローカル線の290番の二本が存在している。
 その290番の終点の町、シュンペルクが本日のテーマである。ザーブジェフからシュンペルクに向かう路線もあるため、オロモウツからシュンペルクに行くなら、ブルノ始発でオロモウツを経てザーブジェフからシュンペルクに向かう急行を使うのが一番早い。かかる時間は45分ほどである。
 昔、暇にあかせてモラビア各地に出かけていたころは、ザーブジェフからシュンペルクに向かう路線が改修工事中でややこしいことになっていたので、290番で出かけた。各駅停車しか走っていないため、一時間半以上の時間がかかったんだったか。知り合いがみなオロモウツから消えて、何もすることのない夏休み中のことだったから、時間が一時間二時間余計にかかったところで、何の問題もなかったのだけど。

 シュンペルクの駅を出て、駅前から真っ直ぐ伸びている通を進むと、左手に緑の公園が現れる。その一番奥にあるのが、いや街の側から見れば一番手前にあるのが、シュンペルク地方の博物館である。博物館の入っている建物は、パブリーナ宮と呼ばれる建物で19世紀の半ばにナポレオンの帝政様式とよばれる建築様式で建てられたものらしい。正面から見たときの赤っぽい色が特徴的である。後方に大きな中庭を造るように建てられた部分は農場の建物で、牛小屋や乳製品を作るための工場が入っていたという話である。

 公園を出て左に曲がってフラブニー・トシーダを進むと、劇場が見えてくる。この劇場は20世紀の初頭に町に住むドイツ人のための劇場として建設された。建築のテーマは、押し寄せるスラブの波からドイツ的なものを守ることだったという。第二次世界大戦後にドイツ人は国外に追放されたため劇場もチェコ化された。
 ビロード革命後の1994年に火災にあい壊滅的な被害を受けたのだが、翌年から五年かけて修復が行なわれ、もとの美しい姿を取り戻した。チェコテレビで放送された番組「シュムナー・ムニェスタ」では、建築探偵で俳優のダビット・バーブラが、内部の様子を紹介していたのだけど、あまり覚えていないのである。

 その「シュムナー・ムニェスタ」で覚えているのが、郵便局の建物である。通が二股に分かれるところに1937年に建てられた機能主義の建物は、横に長く伸びていて、鯨をモチーフにしているのだったか、バーブラの感想として鯨を思い起こさせると言っていたのだったか。シュンペルクのような地方の小都市にしては、大きな郵便局の存在は、この街のかつての繁栄を物語っているのだろう。

 産業革命の波が中央ヨーロッパにも押し寄せた後、シュンペルクには紡績織物の工場が次々に建てられ、工場主たちが財産にあかせて、市内に豪壮な邸宅を構えるなどウィーンを模した街造りを進めた結果、19世紀の終わりには、北のウィーン、もしくは小ウィーンと呼ばれるまでになったと言う。町の中には、この時代にさまざまな様式で建設された邸宅が残っており、多分シュンペルク市のHPには、「小ウィーンの跡をたどって」という街中散策コースも紹介されている。中にはオロモウツの同じようにプリマベシ邸もあるのだけど、オロモウツのものとの関係はわからない。見た感じオロモウツのプリマベシ邸のほうが、建築的には価値がありそうだけどね。
 この街に出かけたのは、まだ「シュムナー・ムニェスタ」も知らず、チェコ語もろくにできなかったころなので、シュンペルクが、このような近代建築の宝箱であることを知らなかった。当時は特に宣伝もされていなかったような気がするけど、特にこの手の建築物に注目することなく、歩きぬけてしまった。日本の藤森建築探偵と、チェコのバーブラ建築探偵に近代建築の面白さを教えられた身にとっては何とももったいない話である。

 話を戻そう。郵便局の辺りまで行くと、シュンペルクの旧市街の本当の中心もすぐそこである。街を囲んでいた城壁も部分的に残っているし、周囲をほぼ円形に取り巻く道路は、昔は堀だったのではないかと想像してしまう。旧市街の中心は共産主義の時代によく使われた名前が残っている平和広場で、ネオルネサンス様式で建てられた突き立つ塔も印象的な市庁舎が建っている。本来はゴシック様式で建てられたものを20世紀の初頭に改築したものらしい。
 その広場から南に向かう通を突き当りまで行くと、ルネサンス様式の城館ががある。シュンペルクも、モラビア地方に力を振るったジェロティーン家の所領だった時期があるというから、オロモウツの北にある小村ジェロティーン出身のジェロティーン一族が建てた城かもしれないと想像しておく。現在では高校の校舎になっているが、ビール工場が入っていた時期もあるらしい。きれいに改修すれば、観光名所のひとつになりそうだけど、近代建築で売る町としては、高校を移転させてまで観光地化する意味が認められないのだろうか。
 近くには、シュンペルクで起こった魔女狩り裁判についての博物館もある。シュンペルクだけでなく、周辺では魔女狩りの嵐が吹き荒れたようで、近くのベルケー・ロシニにも関連する展示があったような気がする。余力があったらいずれこの魔女狩りについても書いてみよう。
7月9日10時。


 これは読んだことがない。7月9日追記。

建築探偵術入門 (文春文庫)






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