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2016年02月18日

チェコサッカーの黄昏二 ボヘミアンズ問題(二月十五日)



 チェコ語起源で外国語に取り入れられて外来語として世界中に広まった言葉はそれほど多くない。一番有名なのは、チャペク兄弟が作り出したと言われる「ロボット」だろうか。それから、ピストルというのもチェコ語から誕生したらしい。本来は高い音を出す笛「ピーステャラ」という言葉があって、それまでの重い音を発していた銃器と比べると、軽くて高い音を発する短銃の名称に転用されたのが、「ピストル」という言葉の起源なのだという。もう一つは、一般にはポーランド起源だと思われているダンス「ポルカ」が、実はチェコ人の列強によって分割されたポーランドに対する共感から生まれたものだという話である。
 たいてい外国に出たチェコ語というと以上の三つが上げられるのだが、サッカー界にはもう一つあった。「パネンカ」である。本来人形という意味のこの言葉は、サッカーではPKの特別な蹴り方をさす言葉として使われている。もちろんチェコでは人形がサッカーをするとかいう話ではなく、パネンカというのは選手の名字である。ヨーロッパ選手権の決勝で、アントニーン・パネンカが、西ドイツのゴールキーパをあざ笑うように、真ん中に軽く蹴って決めたPKが話題を呼び、世界中で「パネンカ」と呼ばれるようになったらしい。

 パネンカが現役時代時に所属しクラブのシンボルのようになっているのが、ボヘミアンズというプラハのクラブである。そして、残念なことに、ここ十年以上にわたって、ボヘミアンズは、チェコのサッカー界が抱える最大の問題のひとつとなってしまっている。いくつもの裁判が起こされ、延々と続き、いい加減結果が出てほしいと思われている。裁判の結果は出たのかもしれないが、それが実際の結果につながっていないのが現状なのである。
 ことの発端は、ボヘミアンズ・プラハを運営していた会社が倒産したことにある。当時はプラハ第三のチームの座をビクトリア・ジシコフと争っていたが、スパルタ、スラビアのような国内各地にファンを擁する人気チームとは違って、集客力に難があり経営が苦しかったのかもしれない。トップチームは解散となり、これでチェコのサッカーリーグからボヘミアンズ・プラハの名前は消えるはずだった。
 しかし、ボヘミアンズ・プラハのファンは数は少ないが、その分熱狂的なファンが多く、すぐにクラブの保存運動を始める。しかし、運営会社が清算手続きに入ってしまったため、またオーナーに拒否されてしまったために、運動の方向を転換しファンたちの力で自分たちのクラブを立ち上げることになった。
 「ボヘムカ(愛称)は自分の人生だ」と熱狂的に語る人々の中には、社会的な地位の高い人たちも多く、そういう人たちの尽力で、びっくりするぐらいのスピードでクラブが設立された。ボヘミアンズ・プラハとは別組織になっていた育成などを担っていた下部組織が、倒産に巻き込まれることなく活動を続けており、協力を得られたことも、早期の再建につながったようだ。しかし、ボヘミアンズ・プラハの名跡を継ぐことは許されず、下部リーグからの参戦ということになってしまった。
 そして理解できないことに、ボヘミアンズ・プラハの名称とロゴなどの使用権は、ファンたちが設立したクラブではなく、別のプラハの郊外の地区を本拠地とする当時二部に在籍していたクラブに売却されてしまった。その結果、ボヘミアンズ・プラハという名称の使用を禁止されたクラブは、クラブの創立年を入れて、ボヘミアンズ1905という名称を使うことを余儀なくされたのである。
 この二つのプラハのクラブは、あれこれ裁判沙汰を起こしているわけだが、一般の人々の支持は、もちろん圧倒的に本家のボヘミアンズ1905に集まっている。またどちらのチームも、下部リーグから昇格し、2010年前後には、当時ガンブリヌス・リーガと呼ばれていた一部リーグに、二つのボヘミアンズが在籍するという異常事態が起こっていた。挙句の果てには、ボヘミアンズ・プラハ側が、ボヘミアンズ1905との対戦を拒否して、試合放棄で1905の勝利扱いとなり、勝ち点剥奪の処分を受けた。その後は一部での対戦はないが、ボヘミアンズ1905が二部に降格した時など、ボヘミアンズ同士の対戦が行われている。

 ここまでは、どちらのボヘミアンズを取るかという争いに過ぎなかったのだが、その後2012年ごろに、旧ボヘミアンズ・プラハの関係者が、ボヘミアンズに関するさまざまな権利を一元化するためとか称して、新たにFCボヘミアンズを設立して、事態はものすごくややこしいことになった。ボヘミアンズ1905からスパルタに買われて、さらにドイツに移籍したバーツラフ・カドレツに関する権利も、旧ボヘミアンズ・プラハ時代に下部組織で育成されていたこともあって、どのボヘミアンズに属するのかがはっきりせず、というよりは相互に争っており、ドイツ側が移籍金の支払先がわからないと言って支払いを停止していたこともある。これも、カドレツが期待されたほどドイツでは活躍できなかった理由の一つだと思う。
 正直、プラハの郊外の地区のチームが名前だけを買い取った新ボヘミアンズ・プラハも、書類上にしか存在しないらしいFCボヘミアンズも、とっとと存在を禁止して、一般の認識のようにボヘミアンズ1905を正当な後継者として認定して、この問題にけりをつけてほしいものである。

 最後にボヘミアンズに関するちょっといい話を付け加えておこう。イバン・トロヤンという俳優がいる。チェコ版アカデミー賞とでも言えるチェコのライオン映画賞で、何度も表彰されボヘミアンガラスで作られたライオン像をいくつも授与されているチェコでも有数の俳優なのだが、この人が熱狂的なボヘミアンズファンなのだ。以前、ボヘミアンズがシーズン終盤に降格圏にいたときに、トロヤンがチェコ版アカデミー賞で獲得したライオンの像を、お守りとして貸し出し、チームは毎試合それをベンチに置いていた。そのおかげか奇跡的に残留を果たしたことがあるのである。
 また、上記のファンによるボヘミアンズ復興運動にも積極的にかかわり、選手としての象徴がパネンカなら、ファンとしての象徴はこのトロヤンだと言えるような存在になっていた。クラブもその功績を讃えるために、トロヤンが所属してプレーしていたアマチュアのクラブに移籍金を払って獲得し、シーズン最後の順位も決まってしまった試合の最後の数分間だけ、ボヘミアンズの選手としてデビューさせるという粋な計らいを見せたのである。これでトロヤンが下手糞だったら美談でもなんでもないのだが、トロヤンはもともとアマチュアながらサッカーをプレーしていたし、このデビュー戦のために一ヶ月以上も特訓を受けたらしく、少なくともチームの足を引っ張るようなことはなかった。
 有名人ファンとクラブの関係という点では、トロヤンとボヘミアンズ以上のものは見受けられない。スパルタやスラビアだともっと生々しい関係、つまりお金の関係が出てきそうだし、ボヘミアンズというクラブは、ある意味でチェコでももっとも幸せなクラブなのかもしれない。ボヘミアンズ問題が存在することはチェコのサッカー界にとっては大きな不幸であるけれども。

2月16日22時30分。


 ちょっと修正。2月19日追記。




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