2017年02月03日
雪の高尾山(正月卅一日)
九州の田舎を出てから、十年以上東京、及び東京近郊に住んでいたのだが、東京の名所めぐりをした記憶はあまりない。東京に出た当初は、せっかくだからとあちこち先輩の案内などで出かけ、新宿新都心のビルに登ったり、東京タワーの下まで行ったり、浅草の辺りをぶらついたりしたが、大学が始まると、いつでも行けるだろうというので、積極的に出歩かなくなり、行ってみたいと思いつつ行き残したところは非常に多い。
大藪春彦の小説で存在を知り、東京の世田谷なんてところにもそんなものがあるんだと感動した等々力渓谷には出かけた。これは、研究会の集まりで世田谷区の史跡めぐりをしたときに、ついでに地元の人に案内してもらったんだったか、近くの美術館に出かけたときに、ついでだからと足を伸ばしたんだったか、明確には覚えていないのだけど、これで渓谷と呼んでいいのかと微妙な気分になったのは覚えている。谷にはなっていたし、川も流れていたし、木も生えていたんだけど……、当時は川の水が臭ったような記憶がある。まあ、九州の山奥の渓谷と比べちゃいけないということなのだろう。とまれ、渓谷に階段で降りていくというのは、なかなかに衝撃的であった。
東京の自然の名所では、奥多摩の鍾乳洞に行こうという計画もあった。ただし、直前に、当日の朝だったかもしれないが、ディズニーランドに行き先を変更されて地団太踏んだのだけど。あのときも、雪で寒いからとか、帰ってこられるかどうかわからないからという理由だったかなあ。誰に連れられていったんだろう? ディズニーランドなんて自分から行きたがるはずはないから、誰か逆らえない人に連れられていったはずである。そして、こんなところ二度と来るまいと、既にして中に入る前に決意したのだった。
実際に出かけた、もう一つの自然名所は、高尾山である。ここに出かけたのは、大学時代にお世話になった先輩が、仕事を辞めて田舎に帰ることになったとき、まだ行ったことがないから行ってみたいと言い出したせいである。一人で行くのは嫌だと仰るので、お世話になったお礼もかねて、後輩三人でお供したのだった。
最悪だったのは、決行日前の天気で、二三日前に大雪が降った。当日には、平地では雪は完全に姿を消し、電車の運行もダイヤどおりだったのだが、高尾山に近づくにつれて、線路の周囲に残っている雪の量が増えていき、山登りなんて、ハイキングレベルでも何年もやっていなかったので、大丈夫かと不安になってしまった。
高尾山口の駅について、周りを見渡すと、本格的なトレッキングというか山登りというかの格好をしている人たちが多かったのも、不安を増幅した。いっそのこと、ケーブルカーで登ろうよと提案したのだけど、若さと健脚を誇りたがっていた先輩に却下され、自分の足で登ることになってしまった。同行した同輩と一緒にため息をつくしかなかった。
行きは、コンクリートで舗装された普通なら一番楽な道を登って行ったのだが、この日は普通ではなかったので、なかなか前に進めなかった。降り積もった雪が、昼間一度融け、夜間の気温の低下で凍結してコンクリートの路面を覆い隠していたのだ。履いていたのは冬用の滑りにくい靴でも、登山用の靴でもなく、足を滑らせながらゆっくりと時間をかけて、体力を消耗して、翌日の筋肉痛を確信しながら登って行くしかなかった。
帰りは、行きとは違う道がいいと言い出した先輩の鶴の一声で、西日の当たる尾根伝いの道を降りていくことになった。登りと同じ道で下るのはすべるのが怖いというのもあったから、悪い選択ではないと思ったのだけどね。今度は雪が融けてその下の地面がどろどろになっていて、ところどころ滑りやすくなっていた。行きがつるつるなら、帰りはずるずるで滑りやすさの質は違ったのだけど、危険であることには変わりなかった。
予想通りというか何というか、まず先輩が足を滑らせて尻餅をついて、滑り降りていった。崖から落ちるなんてことはなかったが、ズボンも靴も背中にしょっていたリュックも、上着の袖も、泥まみれになってしまった。これを皮ぎりに、みんなでこけたり、こけかけたりを繰り返し、ふもとに降り立ったときには、目も当てられないぐらい上から下まで汚れていた。
これで、バスに乗ったりお店に入ったりしたら、営業妨害だよなということで、見つけた水場で洗える限りの場所を洗って、できる限り泥を落としたのだった。水の冷たさに、冷たい水に濡れたズボンや上着の袖の不快さに、雪なんざいらねえと叫んでしまった。
八王子に向かうために乗り込んだバスの運転手さんにも、時間調整のために入った喫茶店の人にも、迷惑そうな顔をされてしまった。最後に入った飲み屋だけは、外がすでに暗くなっていたのと、地下で店自体が薄暗かったのとで、特にとがめるような視線で見られることはなかったが、ある程度酔っ払うまではお店の人に対して申し訳なく思う気持ちは消えなかったのだった。
件の先輩が帰郷するまでには、さらに二、三回会う機会はあったが、今生の別れと一番密接に結びついているのは、この日の雪に覆われた高尾山なのである。やはり、雪なんてものは、ろくでもないものなのだ。そんな雪嫌いが、チェコなんて国に来て、雪に降られて泣き言をこぼしているのは、どういういうことなのだろう。これもまた、わが人生を、道を踏み外し続けていると形容する所以である。
2月1日22時。
最近、スポーツネタと、回想ねたが多いのは、ネタ切れゆえである。2月2日追記。
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