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2016年11月13日

モラビアサッカー界の異変3――やっと本題?(十一月十日)



 前々回書いたようにボヘミアとプラハで、あわせて10〜11チームになることが多く、モラビアから一部に参戦するチームは5〜6チームと言うところである。今シーズンは残念ながら5チームだけである。ただし、この数字は、ボヘミアとモラビアの境界にあるイフラバをモラビアのチームと数え、忘れられた感のあるシレジアもモラビアの一部と考えた場合である。
 イフラバを中心とした高原地帯は、ビソチナと呼ばれる地方になっているが、例外的にボヘミアとモラビアにまたがった地方である。中心都市のイフラバは、文字通り境界線上の町で、大部分はモラビアにあるけれども、町の一部はボヘミア側になるのだと言う。サッカーのスタジアムが、どちら側にあるのかは不明である。

 現在は二部に落ちてしまったバニークのあるオストラバは、モラビアとシレジアの境界にできた町で、古い地図を見ると、モラフスカー・オストラバとスレスカー・オストラバの二つの町として描かれていることがある。バニークが以前使っていたスタジアム、バザリはシレジア側にあったので、バニーク・オストラバはシレジアのチームと言われていたのだが、施設の老朽化で、現在はビートコビツェのスタジアムを使っている。ビートコビツェは、モラビア側のオストラバなので、バニークはモラビアのチームになってしまったと言えるのだろうか。以前はバニークの選手たちのことを、スレザネー(シレジア人たち)と呼ぶことがあったのだが、最近は聞かないような気もする。
 それはともかく、このモラビア、シレジア地方に、二千年代の初頭から安定して一部リーグに参戦し続けているチームはない。イフラバも、ブルノも、ズリーンも、スロバーツコも二部に落ちたシーズンがある。

 モラビアの首都で最大の都市でもあるブルノノチームは、オーナーが頻繁に交代し、チーム名も昔ながらのズブロヨフカに戻るまでころころ代わるなど体制が安定せず、その結果監督交代も多く成績も安定しない。それにスタジアムの問題もある。かつてチェコスロバキア史上最多の観衆を集めたと言われる駅からもそれほど遠くない伝説のスタジアムは、保守をされることもなく長年にわたって放置された結果、ほとんど廃墟と呼べるまでになっている。
 そのスタジアムが一瞬だけかつての姿に近づいたのが、ブルノ出身の人気者ペトル・シュバンツァラの引退試合だった。現在チェコテレビの解説者を務めるシュバンツァラは、昨年の五月に引退試合を昔のスタジアムで挙行するために協力者やスポンサーを集め、グランドの芝の部分に生まれていた草むらを処理し、芝を敷き、危険で人を入れるわけにはいかない本来のスタンドの代わりに仮説のスタンドを設置した。
 そして、サッカー界、ホッケー界から友人知人を集めてチームを結成して、行われた引退試合には、三万五千人という、現在のチェコのサッカー用のスタジアムでは収容できるところのない数の観衆を集めることに成功した。これはサッカー専用のスタジアムをこの場所に再建して、観客を増やしてブルノのチームを強化しようという強烈なメッセージだったのだろうけど、現時点では聞き取られることなく、かつてのスタジアムは、一日の祭りを終えてまた廃墟へと戻ってしまった。
 ブルノは下位で確実に一部に残れるという状態から、上位、つまりヨーロッパリーグを目指すという方向に舵を切ったはずなので、十年ほど前のスラビアが、長年放置されていたエデンのスタジアムの跡地に新しいスタジアムを建設することを一つのきっかけとして、リーグを連覇しチャンピオンズリーグにも三選を果たしたことを考えると、モラビアの雄たるべきブルノも大きく一歩踏み出してもいいと思うのだが、ホッケーチームの再建や、WGPのブルノ大会の開催維持などにお金がかかっているからなあ。市からお金を引っ張り出すのは難しいのだろう。

 モラビア、シレジア地方で、かつて一部にいたことがあるチームというと、ここに挙げなければならないのは残念なのだが、一時はヨーロッパリーグの出場権を争う位置にいたオロモウツ、一瞬の光芒ではあったけれども、ボヘミア外で唯一リーグ制覇を達成したことのあるバニーク・オストラバが挙げられる。いや、かつて一部にいたというよりは、かつてモラビア側の最上位を占めていたチームというのが正しい。ボヘミアのチームが上位を占めることが多い中、しばしば上位に食い込んでいたのがこの二チームだったのに、オロモウツも、バニークも経済的な問題を抱えているので、復活への道は険しそうだと言うしかない。

 さて、ボヘミアにブルシャニがあるなら、モラビアにはドルノビツェがある。このビシュコフの近くの村にも、一部リーグのチームが存在した。人口は二千人ほどなので、ブルシャニよりはましであるけれども、ここにも人口よりも多くの観客、八千人だったかなを収容できるスタジアムが存在していた。
 このチームが最後に一部に所属していたのは、2004/05のシーズンである。二部から復帰したばかりで8位に終わったものの、経済的な問題が発覚して一部リーグのライセンスをはく奪され二部に落とされてしまった。それ以来、ドルノビツェが一部に上がってくることはなかった。確か、経済的な問題が拡大続けクラブの倒産に至ったはずである。以前見たテレビのドキュメントでは使用されなくなったスタジアムが風化していく残酷な様子が映し出されていた。

 1990年代に下部リーグから一気に一部リーグにまで駆け上ったこのチームの背後にいたのは、確かヤン・ゴットバルトという実業家で、詐欺のような手口で脱税した金をサッカーに注ぎ込んでいたと言われる。最終的には脱税などの容疑でこの人物が逮捕されたことで、チームは資金源を失い崩壊してしまったようだ。ゴットバルトの裏にさらに大物が隠れていたという話もなくはないのだけど。
 もう十年以上も前の話になるが、2000年代の初頭に日本のJリーグのチームがドルノビツェと子供たちの育成に関してだったか何だったか協定を結んだという記事を見かけたことがある。当時はすでにゴットバルト氏の脱税容疑が表に出始めており、ドルノビツェが一部にいられる時期の終わりも見えていただけに、何でという印象を持ったものだ。どこのチームだったかな。

 とまれ、ブルシャニにしても、ドルノビツェにしても、村に一部リーグのチームがあってスタジアムがあるというのは普通のことではなかったのだ。維持するために関係者は無理を重ね経済犯罪にまで走ってしまった。いや違うか。経済犯罪で儲けたお金の使い道として、自らの趣味であったサッカーにお金をつぎ込んだというほうが正しいのかもしれない。
 1990年代、バーツラフ・クラウスが断行したクーポン式民営化は、多くの破産者と少数の大金持ちを生み出し、金を稼ぐためであれば多少の犯罪、脱税は問題ないという風潮をも生み出したのであった。サッカー界におけるその象徴がブルシャニとドルノビツェなのである。
 切りがいいのでここでおしまい。
11月11日17時。


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