2020年12月20日
「スラブ叙事詩」裁判(十二月十七日)
チェコを代表するアールヌーボーの画家アルフォンス・ムハの大作「スラブ叙事詩」を巡る裁判については、これまでに何度か書いてきた。現時点ではプラハ市への寄贈が有効だという判決が効力を有しておりプラハ市の所蔵物となっている。残念ながらというよりは、プラハ市の怠慢によって展示するべき場所がないため、誰も見ることができない状態になっている。博物館、美術館の類は現在の規制によって例外を除いて閉鎖されているから、仮に会場があったとしても見にいけないのは不幸中の幸いというべきか。
とまれ、現在の「スラブ叙事詩」が、ムハとの約束を反故にしたプラハ市の手にあるのが許せないようなのが、孫のジョン・ムハ氏で、プラハ市がモラフスキー・クルムロフから裁判で強奪してからも、プラハ市を相手に法廷闘争を繰り返している。状況は錯綜を極めていて、同じ裁判が控訴や上告、差し戻しなどを経て、延々と続いているのか、裁判が結審するたびに新たな裁判を起こしているのかはよくわからないが、ジョン氏の執念には頭が下がる。
その何度目かも、どのレベルでの裁判なのかも判然としないが、武漢風邪流行による渡航の規制のせいで本人がチェコに来られない中、行われた裁判で、これまでの判決を覆してムハからプラハへの寄贈は無効で、「スラブ叙事詩」はムハの遺族に所有権があるという判決が出たらしい。ただし、これで、実際に「スラブ叙事詩」がジョン氏の手に戻り、ジョン氏の主張するモラフスキー・クルムロフでの展示につながるかというと、話はそう簡単ではない。
問題の一つは、これまでプラハ市側の主張である、ムハ本人からではなく、ムハの経済的支援者で「スラブ叙事詩」の制作も支えたアメリカ人の実業家から寄贈を受けたのだという主張について、この裁判で判断されたのかどうかわからない点である。そもそも、ムハがプラハに寄贈するとした約束を根拠にしたプラハ市の所有権は、以前の裁判で否定されているのである。
それで、プラハ市側が持ち出してきたのが、約束を反故にしたプラハ市が受け取れなかったことで宙に浮いた「スラブ叙事詩」の所有権は、経済的支援者のもとに移ったはずであり、プラハ市はその支援者から寄贈を受けたのだという主張だった。それが裁判で認められた結果、「スラブ叙事詩」は、モラフスキー・クルムロフからプラハに移されることになった。このプラハ市の主張が通った裁判と今回の裁判の判決がどのように関係するのかは、ニュースを聞いてもよくわからなかった。
二つ目の問題は、仮に今回の判決によって、プラハ市の所有権が完全に否定され、ムハの遺族に所有権が認められたとしても、遺族に当たるのがジョン氏だけではないというところにある。ムハの相続権を持つ人物として、もう一人孫娘にあたる人がいるらしい。遺産相続で遺族がもめるというのはよくある話だが、ムハの遺族がもめているという話は聞いたことがない。
ただ「スラブ叙事詩」に関しては、もめる可能性があるのだ。ジョン氏が専用の展示施設を作っていないプラハに「スラブ叙事詩」を展示することに反対し、「スラブ叙事詩」を救ったモラフスキー・クルムロフでの展示を主張するのに対して、孫娘のほうは、専用の展示施設はなくても、プラハで展示するべきだと考えているらしいのだ。
プラハではようやく専用の展示施設の建設の計画が具体化しつつあり、遅すぎるとしかいえないけれども、それが完成するまではモラフスキー・クルムロフで展示するということで関係者の間で話し合いがついており、クルムロフでは城館の改修工事が進んでいる。とりあえずは、裁判や遺族間の話し方がどうなるにしろ、最悪の事態は避けられそうだ。願わくは、プラハの建設計画が遅延を続けて「スラブ叙事詩」が一年でも長くモラビアに残らんことを。
考えてみれば、プラハに専用展示施設が完成していれば、ジョン氏もプラハでの展示にかたくなに反対することはなかっただろうから、先に建設計画を立ててから権利の請求をすればよかったのに、強欲プラハが何の負担もなく、巻き上げようとしたのがすべての発端なのである。
2020年12月18日24時。
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