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2020年12月10日

カレル・チャペクの戯曲番外続(十二月七日)



 昨日のチャペクの戯曲『母』は舞台での上演で、作品の発表から50年近く後のものである。現代化がされていたようには見えなかったが、冷戦末期の東側での上演という時代背景が演出に影響を与えていないという保証はない。チャペクのような有名作家の作品だと影響があったとしてもそれほど露骨ではないだろうし、気づけるだけの知識は持っていないから気にしてもしょうがないのだけど。
 それに対して、今日見た映画の「白い病気」は、戯曲が発表された翌年の映画化なので、監督のハースの解釈が入るにしても時代背景はチャペクの原作と共通するはずである。この映画が1937年末に完成して公開されたのは、1938年にはミュンヘン協定が結ばれることを考えると、ぎりぎりで間に合ったと言いたくなる。ナチスドイツの影響下にある政権に、こんな、かなりあからさまな反ナチス映画の制作を認められたとも思えない。

 話はとある国で、俗に「白い病気」と呼ばれる致死性の病気が流行するところから始まる。感染してなくなる人の大部分が50歳以上の年配の人という辺りが現在の状況に似ているともいえなくはない。それがこの秋、原作となった戯曲の日本語訳が連続して刊行された理由のひとつであろう。とまれ、国立病院(多分)の伝染病の権威の下でも定められた療法を守るだけで、この場合には治癒のための療法がないため、対処療法で最後はモルヒネを与えることしかできていなかった。
 そこに、ハース演じる、貧民の間で医療活動を行っているという医師が現れて、自分が試して効果のあった療法を試してほしいと求める。最初は断られるのだが、あれこれあって試すことになり、その療法が効果的であることが確認され、「白い病気」は死病ではなくなる。だが、皿洗いで見ていないので事情はわからないのだが、その療法は公開されることなく、ハースにしか治せない病気になってしまう。

 その裏側で、この国では軍の将軍が政敵を追い落として独裁体制を確立させており、周囲の小国を制圧するために軍備を増強し戦争の準備を始めていた。このあたりが、原作が執筆された1937年当時のナチスドイツを思い起こさせるわけである。独裁者に指導された国民も、小国を制圧するための戦争を熱狂的に支持していた。
 そんな中、独裁者の右腕とも言える男爵が、「白い病気」に感染し、身分を隠してハースの元に出向いて治療を求める。ハースは悩んだ挙句に、独裁者の戦争を止めることを条件に治療を約束する。男爵としては飲める条件ではなく、交渉は物別れに終わる。医者としては、患者の治療に条件をつけるなんていいのかね。

 病気を抱えた男爵を心配する独裁者は、ハースを呼び出し、さまざまな条件を出して治療を求めるが、交渉はまとまらず、病死に怯えた男爵は自殺してしまう。独裁者はその死を乗り越えて、軍には宣戦布告なしの隣国への侵攻を指示し、自らは官邸のバルコニーから集まった市民に対して、開戦の演説をする。市民達も熱狂的に独裁者を指示し戦争を求める声を上げる。
 その演説の最中に、一度建物の中に引っ込んだときに、ありがちな展開だけど、独裁者は自分が「白い病気」にかかってしまったことを知る。それで、治療を受けるために戦争をやめるか、余命三ヶ月で戦争を続けるかの選択を迫られる。結局は娘と男爵の息子である副官の説得を受け入れて、戦争の停止を決意するのだが……。

 あんまり事細かに書くとネタばれになってしまうので、この辺で自粛するけれども、最後の部分を見ながら、あらゆる権力を求めて手に入れた独裁者と、その独裁者を生み出し熱狂的に支持する民衆のどちらがたちが悪いんだろうなんてことを考えてしまった。国民国家の成立以後の独裁者は、ほとんどすべて民衆の支持を得て、民主主義的な手続きを経て権力の座についているのである。アジア、アフリカの旧植民地の独立国なんかは例外も多いけどさ。
2020年12月8日23時















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